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01 自慢の包丁

更新履歴

2025年 10月5日 第3稿として大幅リライト

2021年 12月30日 第2稿として加筆修正

 王都ルクセンの酒場は、大勢の客でにぎわっています。仕事を終えた下級騎士や街の民たちの喧噪で、隣の席の声も聞こえません。

 そんな中、1人静かに杯を傾ける男がいました。目はどんよりと据わっていて、ひと口飲んではため息を吐いています。

 ルクシオール王国の酒は、葡萄に似た果物を原料にした赤ワインが主で、透明度の低い大ぶりなグラスでグイグイあおるのが正しい飲み方です。とはいえ、男の飲むペースは明らかに早すぎでした。


「やれやれ、料理も頼まず、らしくない飲み方だねぇ」


 酒場の男たちが息を飲みました。胸元があらわなドレスを身にまとう女が現れ、飲んだくれる男と同じテーブルに座ったのです。男と向き合い、妖艶な笑みを浮かべる女――それは、フエゴのサラでした。


「……随分、遅いお着きで」

「稼ぎ時に呼び出すのが悪いよ」

「む……それは、申し訳ない」

「まぁまぁ、週末に向けて、我々も英気を養わねば」


 恰幅のいい男、ラルがえびす顔で取りなすと、細面の男、ズーイと共にテーブルの空いた席に着きました。


「久しぶりですな、我らが揃うのは」


 エリオと3人の従者は、本来なら同じテーブルに着くことなどあり得ません。ですが、身分を隠している普段はこうして、商人と踊り子の一団として過ごしているのです。


「あんたが落ち込んでる理由は想像つくよ。リーゼだろ?」

「その通りで……。オーデンを出たとの報告が商会から来たのが半年前。そこから足取りが途絶えてしまった」


 エリオの口から深いため息が漏れます。ラルは気にすることなく店の娘に追加の酒と料理を注文しました。おすすめを聞くなど手慣れています。


「どこへ行かれたのだ……リーゼ様。また、お姿を拝見したい……」

「そんなに愛しいなら、そばを離れなきゃよかったんだ」

「それはなりません! あの方には、自らの目で世界を見て頂きたい。私の見識は時によって、あの方のまなこを曇らせてしまう」


 エリオがグラスの酒を一気にあおりました。


「だが……お会いしたい。あの方の……お力になりたい」

「入れあげてるねぇ。まぁ、それだけの価値があるのは認めるところだけどね」


 ラルとズーイが揃ってうなずきました。


「幸いなのは、身の安全を心配せずにすむことですな。あの方には最強のクマがついていますから」

「それに……あの方自身が、見たこともない強者だ。俺のナイフを……叩き落とした」

「底知れないねぇ。しかも、木の枝でだろ?」

「もう……あれは木の枝ではない」


 エリオが強い眼差しを従者たちに向けました。


「あれはもう……聖剣だ。リーゼ様が不法な騎士を打ち付けた時点でな。伝説とは……そうして生まれるものだ」

「子供が無邪気に振るってた木の枝が聖剣に……か。怖いねぇ」


 店の娘が笑顔と共に酒と料理を運んできました。その中の一品に皆の目が留まります。見たことのない薄さに切られたハムが、薔薇の花の形に盛られているのです。

 ラルが小さな目を見開きました。


「これは……」


 エリオも驚きを隠せません。


「以前来たときはなかったはずだが」


 店の娘が得意げに胸を張りました。


「料理長、自慢の逸品ですよ。なんでも、ものすごく切れる包丁を手に入れて、存分に腕を振るえるようになったんだとか」

「包丁……?」


 エリオの露わになっている右目がキラリと光りました。


「私は商人でして、その包丁、見せてはもらえないでしょうか?」

「いいですよ。料理長に聞いてみますね」


 娘が軽やかな足取りで戻ると、4人はさっそくハムの薔薇を崩し始めました。塩で固くなったはずのハムが、まるでシルクの布のようにほぐれていきます。

 一口頬張ったラルが、丸い顔をさらに丸くして喜びました。


「うまい! 舌触りがいいですな!」

「これは……食べたことのない食感だ」

「ほう、エリオ殿が食べたことがないとは、ただ事ではないですな」

「ズーイ、あんたのナイフでも、こんなに薄くは切れないんじゃない?」

「肉を斬るのは……容易ではない。まして、これほど薄くは……」

「あんたのは生きた肉の話だろ? 物騒だねぇ」


 そんな話をしていると、体格のいい料理人が包丁を持って現れました。そこいらの騎士や冒険者よりも、たくましい体つきをしています。


「これですよ。じっくりご覧なせぇ」


 料理長が包丁をテーブルの上に置きました。なんてことはない普通の形ですが、刃の輝きがまるで違います。艶めかしく、白銀に輝いているのです。

 エリオが息を飲みました。


「この輝きは……包丁が携えていいものではない。名高い騎士の剣を凌ぐものだ」


 ズーイの口から、ぼそっと声が漏れました。


「欲しい……」

「ダ、ダメですぜ! これ1本しかねぇんだ!」

「あたしが頼んでもダメかぁい?」


 サラの細い指先が、料理長のたくましい腕にまとわりつきます。


「あ、あんたは、フエゴのサラ。ダ、ダメだダメだ! たとえあんたでも譲れねぇ。……けど、この店でも踊ってくれねぇか? 頼むよ」

「フフッ、考えとくよ」


 エリオはすっかり酔いが覚めたようです。


「すまないが、この包丁をどこで手に入れたのか、教えてはくれまいか?」

「ロアンだよ。あそこに兄弟がいてな、いい包丁を売ってたってんで、送ってくれたんだよ」

「ロアン……ネイザー公国か」


 ネイザー公国は、ルクシオール王国の西の端と、大国である帝国ダギオンの東の端に接する国で、交易が盛んな小国です。


「ネイザー公国の中でもロアンは鍛冶が盛んな街だ。新たな出来の刃物が生まれても不思議ではない。だが……この包丁は飛び抜けすぎている」

「だろう? もう何本か手に入れてぇんだが、なかなか売ってねぇらしくてな。あんた、商人なら仕入れてきてくれねぇか? 代金ははずむぜ」


 エリオは即座に立ち上がって、胸に手をあてました。


「賜りました。明日、ロアンへ向かわせて頂きます」

「ありがてぇ! そこに出てる酒と料理は俺のおごりだ。楽しんでくれ」


 料理長は包丁を大事そうに抱えると、調理場へ戻っていきました。


「ネイザー公国に兄弟ってことは、あの料理長、ドワーフの血が入ってるね。道理で体格がいいわけだ」

「そうか……ネイザー公国へ行かれていたのか。我が耳に消息が入らぬわけだ」

「エリオ?」

「包丁の柄の焼き印を見たか?」


 うれしさに我を忘れたのか、エリオの口調は商人ではなく、主人のものとなっています。


「ああ、三角と丸の記号が並んでたよ」


 大雑把なサラの返事をエリオが補足します。


「三角、丸、三角の順だ」

「変な銘だなとは思ったが、何か意味があるのかい?」


 エリオはグラスの雫を指につけ、テーブルに焼き印の記号を描きました。


(※縦読みなら▼●▲)


「これは、記号で描かれたリボンだ」

「リボン?」

「そうだ。オーデンに残した者によると、リーゼ様は孤児院を去るとき、エミリーとリボンを贈り合ったという。あの方は、年相応に可愛らしいものを好むのだ。殺伐とした包丁にリボンの銘を刻んでも不思議ではない」

「じゃあ、あの包丁はリーゼが打ったって言うのかい?」

「あれだけの刃を打てる者が、なぜ包丁なのだ? なぜ剣ではない? なぜ突然現れた? リーゼ様なら納得がいく。あの方は争いを好まれないのだ」

「やれやれ、あんたのリーゼ愛もこじれてきたねぇ。いくらなんでも、鍛冶屋はないだろ?」

「お前たちは見たのだろう? リーゼ様にそっくりの獣人の盗賊を? ならば、鍛冶屋で……ドワーフとなったリーゼ様がいてもおかしくはない」

「……あの夜は、魔族の魔王にもなったしねぇ。あり得ない話でもないか」

「どの姿が真のリーゼ殿なのでしょう?」


 ラルの問いに、エリオはきっぱりと言い切りました。


「勇者であろうと、魔王であろうと、リーゼ様のお心はただ1つ。私は、そのお心に惹かれて仕えているのだ」


 ラルとズーイが、こくりと頷きました。

 サラが呆れたように頭を振ります。


「やれやれ、勇者ってだけでも国を動かす力があるってのに、とんでもないねぇ」



  ◆  ◆  ◆



 【マイルーム】に備え付けられた鍛冶場で、小柄なドワーフの少女が、身の丈ほどもあるハンマーを振るってました。灼熱の塊を打ち付ける度に、ピンクのツインテールが揺れて、褐色の肌から玉のような汗がこぼれます。

 熱を帯びた塊をやっとこで押さえているのは、ピンクのクマです。


「ふう……鍛冶レベルだけは上げといてよかったよ。剣は自分で作りたかったからね」


 あるじが何を言ってるのかわかりませんが、ピンクのクマは気にすることなく、温度が下がった塊を炉に差し入れました。


「グレープ、炉の温度もっと上げて」


 炉の前で控えていた紫色のトカゲが炎を吐き、炉がさらに勢いを増しました。

 ピンクのクマは、いっぱしの職人(づら)で、塊の熱し具合を見定めています。


「彫金のレベルを上げとけば、ちゃんとしたリボンを刻めたんだけどなぁ。そこがちょっと残念」


 三角と丸が並んだ焼き印を手に、ドワーフの少女が残念がりました。

 少女の名はリーム。――リーゼ第4の姿です。

 そう。リーゼ愛をこじらせた男の推察は、驚くほど当たっていたのです。

【大切なお願い】

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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