19 勇者の剣
更新履歴
2024年12月26日 第3稿として、大幅リライト。
2021年 12月16日 第2稿として加筆修正
まるで重力から解き放たれたように、小さな体がくるくると宙を舞います。
後方伸身2回宙返り1回ひねり――通称、伸身ムーンサルト。前転や側転程度しか知らないこの世界の者たちにとっては、まさに信じがたい人知を越えた身のこなしでしょう。
美しい――舞い落ちるリーゼを見上げる者たちは皆、そう思いました。
きれいに揃えられた両足が揺らぐことなく地面を捉えると、リーゼは静かにダニーへ歩み寄ります。
シスターグレースの腕の中でぐったりしていたダニーが、うっすらと目を開けました。
「リ……リーゼ……無事……だったんだな……」
リーゼはこくりとうなずきました。
「みんなを守ってくれたんだね。すごいよ、ダニーは」
「お、俺なんか……」
ダニーの手にはしっかりと木の枝が握られています。叩きのめされても、地に伏しても放すことがなかったその指を、リーゼはそっと解いていきます。
「勇者の剣、借りるね」
「ダ、ダメだ……ちゃんとした剣で……」
「ううん、これで戦いたいの。ダニーの勇気も……借りるね」
「リーゼ……」
ダニーの目から涙がポロポロとこぼれ落ちました。リーゼの気持ちがうれしいのです。けど、止めなくてはなりません。甲冑で身を固めた騎士たちに、木の枝で勝てるとは到底思えません。――けれどリーゼの瞳には、いつもの強い意志の光があります。
ダニーを抱きかかえるシスターグレースが、リーゼの手を取りました。
「リーゼ……いくらなんでも……」
「大丈夫」
シスターグレースの手をダニーの頬へ戻すと、リーゼは立ち上がって、フィリッポスへ向かってまっすぐ歩いて行きました。
ゴルドフがエリオを押しのけて、立ちはだかります。
「どうやって地下牢を出たのか知らんが、ここに来たことを後悔するがいい」
リーゼは深いため息をつきました。
「はぁ……後悔するのはそっちだって」
木の枝の切っ先が、巨漢の男に突きつけられました。
「かかってきなよ。そんな見かけだけの剣、このエクスツリーレの敵じゃないよ」
「ほざくなぁあぁぁ!」
リーゼの体よりも大きな剣が振り下ろされました。うなりを上げて2つの黒い瞳の間に迫ります。
「リーゼ様!」
エリオが叫んだのと同時にズーイがナイフを放ちました。細い刃のナイフがゴルドフの右目へ向かって空気を切り裂きます。
――その時でした。背後から迫るナイフを察知したリーゼが、ぴょんと後方回転しながら跳ねて、エクスツリーレを振るったのです。
弾かれたナイフが地に落ち、振り下ろされた大剣が誰もいない土を掘りました。
「手出ししないで!」
凛とした声が、教会の陰の闇に向かって響きました。
「バカな……我がナイフをいともたやすく……」
ゾーイには信じられません。それもそのはず、誰にも防がれたことがないナイフを叩き落とされたのですから。――つまり、あの半目でこちらをにらんでいる少女は、これまで遭遇した誰よりも強者ということです。
「まったく……私を助けたんだろうけど、あんなの当たったら、このおじさん死んじゃうって」
リーゼは視線をゴルドフに戻すと、再びエクスツリーレを突きつけました。
「助けてあげたんだから、ありがとうは?」
「うおぉおぉおぉお!」
ゴルドフが雄叫びと共に大剣を振り回しました。何度も何度も竜巻のように剣を振るいます。
「遅い、遅い、アカべぇの足下にも及ばないよ」
リーゼは上半身の柔らかい動きでかわしながら、ゴルドフの右の籠手に鋭くエクスツリーレを振るいました。
「ハグアッ!」
蓄えた口ひげの下から、大男らしからぬ情けない声が出ました。鉄の籠手の上からだというのに、右手を切り落とされたかのような痛みが走ったのです。エクスツリーレが真剣であれば、間違いなく手首から先がなくなっていたでしょう。
「じゃあ、お仕置きするから、歯を食いしばりなよ」
「あぁ?」
ゴルドフにはリーゼが何を言っているのか理解出来ません。ひねれば折れそうな痩せっぽちの少女が自分に何をしようというのか?
エクスツリーレがしなって、目にも止まらぬ速さで甲冑の関節部分を的確に打ち据えました。肘、肩、首、膝――
「ハグッ! グアッ! ギャッ! グゲェッ!」
打たれる度に無様な悲鳴が響きます。
「おのれえぇぇ!」
振るわれた大剣に最初の勢いはもうありません。剣筋は波を打ち、リーゼの動きを追うことすら出来ないのです。それでもリーゼは、容赦なくエクスツリーレを振るっていきます。
「ハガッ! グゲッ! アオゥ! ヒギィッ!」
ダニーが感嘆の声を漏らしました。
「スゲェ……リーゼは……やっぱスゲェよ……」
エリオは戸惑いを隠せません。
左の赤い目で見抜いたリーゼのレベルは20です。コルドフはレベル16。4のレベル差があるとはいえ、木の枝で圧倒出来るほどの差ではありません。たとえリーゼが勇者であっても――。
「リーゼ様……あなた様はいったい……。私の目でもわからぬことがあるというのか……」
心より仕える少女の底知れぬ力に、エリオは息を呑むことしか出来ません。
「グハァッ……」
あまりの痛みに、ゴルドフが膝をつきました。もう大剣を振るうどころか、持つことすら出来ません。
リーゼはその眉間に、木の枝の切っ先を突きつけました。そのまま突けば命を奪うことも出来ます。
「ごめんなさいは?」
「あ……?」
「反省したらごめんなさいでしょ? それとも、反省できないくらいバカなの?」
「うぐぐ……おのれぇ……なめおってぇぇ……」
「ええい、ゴルドフ! 下がれ! 見ておれんわ!」
フィリッポスが前に出ながら一括しました。
ゴルドフは巨体を引きずりながら、ヨロヨロと下がっていきます。
「いったい何をしておるのだ! たかが小娘に後れを取るとは!」
「申し訳……ございません。油断しました」
「侮るからそういう目に遭うのだ! もうよい! 黙って見ておれ!」
「はっ」
「まさか、彼奴の献上品を使うことになろうとはな」
不敵な笑みと共に、フィリッポスが右手を高々と掲げました。太った中指にはめられた大きな宝石が、赤い光を妖しく放ちます。
「出でよ、火の精霊! 我が僕となりて、敵を滅せよ!」
宝石から炎がほとばしり、中から何かが出てきます。赤い炎に浮かび上がったその陰はみるみる大きくなり、教会ほどにもなりました。
グオォオォォォ!
地面を揺らす咆哮とともに現れたのは、炎をまとった巨大な蜥蜴です。
その姿はかつて凜星が図鑑で見た最強の肉食恐竜を思わせ、切れ上がった大口に並ぶ牙は人間など一口で噛み砕いてしまいそうです。
地面にうずくまる孤児院の少女たちが、あまりの恐怖に悲鳴を漏らしました。
エリオが叫びます。
「馬鹿な! 精霊召喚だと!? なぜ貴様が国宝級の魔導具を!」
「フハハハハハ、我こそは王国を制する者! オーデンの街など、その手始めに過ぎん!」
エリオは左の赤い目で火の精霊を見定めました。
【種 族】火の精霊
【レベル】39
「レベル39! ほぼ上限ではないか!」
この世界では、どんなに鍛えてもレベルは40より上がらないとされています。レベル20を越えれば達人、30を越えたら歴史に名を残す英雄――。目の前で燃え盛る精霊は伝説の域です。
リーゼはスタスタと無造作に、火の精霊へ歩み寄っていきます。
「リーゼ様、なりません! その精霊は強すぎます!」
「フハハハ! 火の精霊よ、その小娘を屈服させろ!」
巨大な蜥蜴の足下で、リーゼは大きなため息をつきました。
「まったく、火の精霊くらいで大騒ぎし過ぎ」
リーゼはエクスツリーレで火の精霊の右前足を軽く打ちました。本気ではありません。ほんの少し――たしなめる程度に打っただけです。
「ピギャーーース!」
それなのに蜥蜴から、目玉が飛び出すような悲鳴が上がりました。あまりの痛みに、2歩、3歩と後ずさります。
――えっ!?
信じられない光景に、その場にいる誰もが目を見張りました。
火を纏う巨大な蜥蜴が、ひと踏みで潰れてしまいそうな少女に尻込みしているのです。
「ああ……リーゼ……あなたは、本当に勇者様なのですね」
シスターグレースは思わず手を合わせて、祈りを捧げました。
「知ってたよ、リーゼ。あなたが特別な子だって」
エミリーは、とてもうれしそうです。
「ええい、どうした!? お前まで怯むでない!」
フィリッポスは、指輪をはめた右手で背後の畑を指しました。
「まずは畑を焼き払え! なんのための火の精霊だ!」
畑なら恐れることはありません。火の精霊はリーゼに長い尻尾を向けると、命令に従って口の中に火を貯め始めました。
「あっ! ダメ!」
まとう炎で揺らめく火の精霊の背中をリーゼが駆け上がります。――ですが、間に合いそうにありません。火がもう牙の間から溢れそうです。
(なんで!? 動きがゆっくりにならない! 攻撃が私に向かってこないとダメなの!?)
リーゼが顔に到達するその寸前――炎が放たれました。
火山の噴火のような火柱が一直線に伸びて、日陰の畑をあっという間に火の海に変えていきます。
「ああっ! そんな!」
リーゼは火の精霊の頭を飛び越して、炎に飛び込みました。
「消さなきゃ! 畑が……みんなの夢が燃えちゃう!」
リーゼの小さな体がゆらゆらと、一面の業火の中に飲み込まれていきます。
「リーゼ様っ!」
エリオが走りました。彼にしてみれば己の身などどうでもいいのです。生きる意味を見出してくれたリーゼさえ守れればそれで――。
ズーイがエリオを羽交い締めにしました。
「エリオ様!」
「放せ!」
「なりません! 火の精霊の炎に焼かれて、生き残った者など聞いたことがありません!」
「構わん! リーゼ様を助けるのだ! 我が身に代えてでも!」
「私にお任せを!」
火のサラが、矢のような勢いでエリオたちの頭上を越えていきました。
「サラ!」
「我が火が火の精霊の炎に勝るか否か、とくとご覧あれ!」
火の踊り子はさらに勢いを増して炎へ向かっていきます。死を恐れるどころか、笑みさえ浮かべながら。――まるで、価値のある死地を見つけて喜び勇むかのように。
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