16 囚われの身
更新履歴
2024年11月16日 第3稿として、大幅リライト。
2021年12月15日 第2稿として加筆修正
領主フィリッポスの古城は、オーデンの街で一番高い丘の上にあります――。ただでさえ高い壁で周りを囲まれている上に、壁の上や周りではたくさんの騎士たちが見回りをしていて、ネコの子1匹の侵入も許さない構えです。
その古城で最も護りが厳重な主塔の一室――領主の部屋に、リーゼは連れ込まれていました。
「運ばれてる間、麻袋が頬にあたって、ずっと痛かったんだけど?」
頭を覆っていた麻袋を乱暴に抜き取られ、口をふさいでいた布を外されると、すぐさまリーゼは文句を言いました。
フィリッポスとゴルドフは驚きを隠せません。それは、リーゼの後ろにいるマント姿の男2人も同様でした。目の前の少女は両腕を木の枷で封じられているというのに、まったく動じていないのです。
リーゼは運ばれている間にすっかり落ち着きを取り戻していました。こうなったら、とことん文句を言ってやるつもりです。
「だいたいなんでこんなことするわけ? 悪いことしちゃいけないって教わらなかった?」
領主への不敬を戒めなければならない立場のゴルドフですが、あっけにとられて言葉が出ません。
フィリッポスが大きな腹を揺らしました。
「フハハハハ、生意気な小娘め、そうでなくてはな!」
「笑ってないで質問に答えなよ」
「フィリッポス様にふざけた口をォォ!」
ようやく我に返ったゴルドフが平手打ちをリーゼに放ちました。鉄の籠手に覆われた大きな手のひらがうなりを上げてリーゼに迫ります。
「そんなの当たんないって」
リーゼは上半身を軽く反らして、あっさりかわしました。空振りしたゴルドフの巨体が、バランスを崩してぐらつきます。
「アカべぇの必殺技だってゆっくりに見えるんだから、おじさんの攻撃とか遅すぎ」
そう。リーゼとゴルドフではあまりにもレベル差があるので、どんな攻撃も遅く、のっそりに見えるのです。
「コノオォオォォ!」
ゴルドフが続けざまに左右の平手打ちを振るいました。渾身の籠手が何度も迫りますが、もちろん当たりません。2発……3発……4発……上半身を揺らしてかわすリーゼに翻弄されて、ゴルドフは息を乱し始めました。
「もう終わり? 疲れた?」
「おのれチョコマカと……小娘を押さえろ!」
リーゼの後ろにいたマント姿の2人が、「ははっ」と答えながらリーゼの左右の肘を後ろから押さえました。
「あ……」
リーゼはしまったと身もだえますが、大人の男2人の力でつかまれてはビクともしません。
ゴルドフは満足そうに口ひげの端を上げると、右の拳をギリギリと握り締めて、あらん限りの力で振り下ろしました。岩をも砕きそうな鉄塊がリーゼの顔面に迫ります。
炸裂する――その瞬間、鉄の籠手が宙を舞いました。きれいに脱げた籠手がキリキリと回りながら床に転がり落ちます。
なにが起こったのか分からないゴルドフがうろたえます。
リーゼの顔を半分隠すように、右足が跳ね上げられていました。籠手を蹴り上げた素足の右足が、揺らぐことのない見事なI字バランスを取っているのです。
まるで大木で腕を打たれたかのように、ゴルドフの腕は痺れていました。
「おのれ、異端の踊りの技か。往生際の悪い……」
「待~て待て~! ゴルド~フ!」
フィリッポスが憮然として、ゴルドフとリーゼの間に割って入りました。
「何をしておる! そのような拳が当たっては、せっかくの美貌が台無しではないか!」
「はっ、申し訳ございません」
ゴルドフは慌てて直立不動の姿勢となり、謝罪しました。
「まぁ、1発も当たらぬところを見ると、相当手加減しておったようではあるが」
「その通りにございます」
「ウソばっかり、本気だったくせに」
リーゼが黒い瞳を半分にしてにらみました。
「うるさい! 生意気を言うと、今度こそ顔面に……」
「ゴ~ルド~フ! やめろと言っておる」
「はっ」
フィリッポスが前に出て来たので、リーゼはあらためて問い詰めることにしました。
「さっきの質問に答えなよ。なんでこんなことするわけ?」
「クックックッ、想像以上に気の強い娘だ。これは……一気に汚してはもったいない」
リーゼに顔を寄せたフィリッポスが、短い指で小さな顎を持ち上げました。リーゼの背中を経験したことがない悪寒が走ります。
「ちょっ! 近い近い! 気持ち悪いって! 離れなよ!」
「コノォ! フィリッポス様に向かって!」
「よぉい、ゴルドォフ! こういう娘はじっくり責めるに限るのだ」
フィリッポスの唇の上を、太い舌がナメクジのようにうごめいています。
「地下牢へ連れて行くぞ」
「はっ」
意味ありげに、ゴルドフがニタリとほくそ笑みました。いよいよお楽しみの時間が始まるのです。
◆ ◆ ◆
眠っていたリーゼの姿が消えて、孤児院は大騒ぎになっています。
周りの通りや建物の影をくまなく探しますが、どうにも見当たりません。
リーゼのことだから寝床を抜け出しただけ――ぐらいにみんな考えていたのですが、書き置きもありませんし、嫌な思いがよぎります。
「まさか……領主様に連れ去られたのでは……」
シスターグレースは首を振りました。いくらなんでも領主ともあろうお方が、少女を誘拐するなど考えたくもありません。――けど、リーゼは黒髪に黒瞳なのです。
涙を浮かべながらリーゼの名を叫び続けるエミリーの肩を、シスターグレースがそっと抱き寄せました。
共にリーゼを探していたエリオは背後に気配を感じ、振り返ることなく孤児院の影に身を潜めました。
そこには、膝をつく影が3つ控えていました。先頭の赤黒い装束に身を包んだ女が、絞り出すような声を出しました。
「……申し訳ありません、油断しました。リーゼ様は領主の城に連れ去られております」
エリオの隠れている左目が怒気を帯びて、前髪の上からでも分かるほど赤く光りました。――ですが、怒りでざわつく体を抑えるように、努めて冷静に振る舞います。
「そうか、私も侮っていた。まさか、実力行使に出るとは」
「いかがいたしましょう?」
「無論、すぐにお救いしろ。あの下らぬ男がリーゼ様にかすり傷1つ負わせられるとは思えぬが、人の醜悪さに触れられていると思うと我が身が耐えられん」
「仰せのままに」
ひざまずく女が顔を上げました。目だけが出ている頭巾から流れる炎のような赤い髪は、まぎれもなく火のサラです。そして、背後で黒い装束に身を包む小太りな男と、背が高くて痩せた男は楽師たちです。
「エリオ様、1つお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「本人がおらぬというのに、なぜリーゼ“様”と?」
背を向けたエリオの肩がピクリと動きました。自らが示していたリーゼに対する敬意を、従者たちが形だけのものと捉えていたことに憤りすら覚えます。
エリオは、そのまま顔を少し傾け、流れる前髪の間から赤い左目を3人に向けました。その瞳には揺るぎない、真実の輝きがあります。
「私は、己の身分を隠すために、あのお方をリーゼ様とお呼びしているのではない。……心よりお仕えしているからだ。私は――いついかなる時も、あのお方の前でひざまずく!」
想像を遙かに越えた返事が返ってきました。主と仕えるお方が、あの幼い娘にひざまずくと言ったのです。3人は天地がひっくり返ったような顔をしました。
サラが、かみ殺すような笑いを漏らしました。
「クックックッ、我が主が仕えるお方であれば、我らの命など吹き消える火のごとく。命に代えても必ずお救いいたします」
「行け! 我が闇の刃が力を示す時だ!」
「はっ!」
――月夜に浮かぶ街を、3つの陰が駆けていきます。
連なる屋根から屋根へ飛びながら、サラは笑みを隠そうとしませんでした。
それもそのはず、陰から守ってきた主に生きる意味が出来たのですから。
サラは幼少よりそばにいるので知っています。エリオがそのすべてを見抜く左目から忌み嫌われ、ひっそりと過ごしてきたことを。成長して、世界を旅しながら世直しのようなことを始めても、いつもどこか空しさを感じさせていたことを。
理の通らぬ世、人の醜さを知るにつれ、己にできることの限りを感じていたに違いありません。
サラは確信しました。我が主は、己の持つすべての叡智、力を、あの少女に注ぎ込むつもりだと。
「喜べ! 世界が変わるぞ! 我らはその先駆けとなるのだ!」
「はっ!」
3つの影が闇から闇へと躍動していきます――丘の上で街を見下ろす古城へ向かって。
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