12 歓喜の輪
更新履歴
2024年10月24日 第3稿として、大幅リライト。
2021年12月10日 第2稿として加筆修正
よく晴れた空の下――。
オーデンの街の噴水広場は、自由市を楽しむ人たちでにぎわっています。
リーゼたちは、ジャグリングや踊りを披露する大道芸の間を抜けて、噴水の前に陣取りました。噴水から見てダニーが右奥、ニコラが左奥に座って、リーゼが踊るスペースを確保します。
エミリーは、リーゼの服にあしらった花の向きを直し始めました。孤児院の質素な服が少しでも華やかになるようにと、エミリーが摘んできたのです。お団子にまとめられた髪の周りにも、花が飾られていました。
「うん、できた。かわいいよ、リーゼ。花の妖精みたい」
「ありがと。エミリーのおかげだよ」
「ううん、私はこれぐらいしかできないから」
エミリーは、リーゼの両手をそっと握りました。
「なにをするのか、なんとなくわかってるけど、無理しないでね」
「大丈夫、任せて」
エミリーは少し安心しました。リーゼの黒い瞳には、いつにも増して強い光が宿っています。
「うん。リーゼはすごい子だもん、信じてるよ。がんばって」
「ん……」
こくりとうなずくリーゼを見届けて、エミリーはそばを離れました。
リーゼに緊張はありません。幼いころから練習してきた技を見せるだけなのですから。
――いよいよ、リーゼの演技が始まります。
小さな胸で大きく息を吸うと、右手に握られたリボンの木の棒を高く掲げました。つま先立った両足から繋がる背筋は、美しい弧を描いて反らされ、まるでこれから魔法をかける妖精のようです。
異世界の素材で作られた新体操の手具のひとつであるリボンは、旅商人エリオのおかげで本物と遜色ないものが出来ました。もちろん、数十年に渡って研ぎ澄まされ、化学繊維で作られた本物のリボンには機能性で敵いません。けれど、ピンクと白のグラデーションに染められた一点もののシルクの光沢は、大量生産のリボンにはない気品がありました。
何かが始まる――。身動きしない黒い瞳と黒髪の少女に、道行く人の足が止まりました。
リーゼはまだ動きません。陶器の人形のように微動だにせず、掲げた木の棒を見つめ続けます。人々がつられて視線を集めたその瞬間――。
勢いよく右足が振り上げられました。指先まで伸びた素足が天を指します――と、同時にリボンで作った小さなループが足の周りで螺旋を描きます。
「おおっ」まるで生き物のような布の動きに、人々が感嘆の声を上げました。
そのまま左足を軸にスピンして、体の周りに大きなリボンの渦を作ります。まるで、竜巻のようなスパイラルです。
小さな少女が体の何倍もの長さの布を自在に操る様はまさに圧巻で、一気に人々は目を奪われました。
そう――リーゼが幼いころ、最初に扱った手具もリボンでした。見よう見まねで輪を描きながら、ピョンピョン跳びはねる姿に新体操のコーチは目を見張り、体操のコーチとどちらが教えるか取り合いになったのです。
体操は技の難易度を競うものだけれど、表現が必要。
新体操は美を競うものだけど、技の難しさも求められる。
結局、どちらも練習して、体操には新体操の美を、新体操には体操の技を取り入れることになりました。
――こうして、技と美を兼ね備えた、幼い年齢を越えた演技が作り上げられていったのです。
リーゼは柔らかくも鋭いターンを繰り出すと、妖精が水面を跳ねるかのようにつま先でステップを踏みました。軽やかな動きと身長を越える高さのジャンプは、鍛えられた技とレベル120の身体能力がもたらす身のこなしで、重力をまるで感じさせません。
リーゼが思い浮かべるのは、三日月の湖の情景――。月の光を振りまきながらヨルリラ草と戯れる、どこか寂しげな1人きりの妖精の姿です。
もう会えない勇者への思いを、空に投じたリボンに込めました。
リボンは虹のごとく大きな弧を描き、くるくるとつま先旋回しながら落下点に達したリーゼにキャッチされました。
観客が沸き上がります。
「妖精だ……花の妖精がそこにいる……」
人の輪の外れで見守っていたエリオが、言葉を漏らしました。広場へ来たときから踊るのではと予想出来ましたが、こんなにも見事で、こんなにも斬新な踊りが披露されるとは思ってもみませんでした。まるで、時空を越えた別世界の踊りです。
エリオのリーゼを見つめる眼差しが語ります。この少女は、どこまで私の想像を超えていくんだ――と。
エリオの視界に、火のサラの奏者である2人の男が入ってきました。楽器を手に目配せします。
エリオはうなずきました。リーゼにとっても願ってもないことでしょうから。
奏者の男たちは人だかりを抜けると、リーゼの背後の噴水に腰掛け、楽器を取り出しました。リーゼも気づいて近寄り、小鳥のような動きでかわいい曲を要求します。
小さな太鼓が軽やかなリズムを刻み始めました。リュートが高音で跳びはねるようなメロディを奏でます。
リーゼが飛び出しました。つぼみの花が開いたかのように、1つ1つの動きが生き生きと躍動します。
楽しい――。リーゼの想いが観客に伝わります。自然と手拍子が始まり、広場で一番の盛り上がりとなりました。
いよいよクライマックス。リーゼの動きが止まります。演奏も止まりました。観客の手拍子が戸惑います。
もう終わり――いえ、リボンは小さならせんを作り続けています。
腰をひねり、斜に構えたポーズ――それは、火のサラのポーズです。
奏者は顔を見合わせました。まさか――。
催促するように少女が足を踏み鳴らしました。はっとして奏者たちは、情熱の演奏を始めます。
ピンクのリボンが炎に変わりました。
リーゼは一度見ただけのダンスを、妖艶に、そして可憐に再現していきます。
長いまつげを携えた黒い瞳が、挑発的に観客を見据えました。
「なんてこった……」
火のサラが天を仰ぎました。目の前で自分の踊りが事もなげに披露されています。何年もかけて習得した自慢の踊りが。
「あんた、とんでもない子を連れてきたね」
傍らに立つエリオが答えました。
「失礼ながら、私が連れてきたのではありません。私が……導かれたのです」
思いがけない返事に火のサラが少し驚きました。まるで生きる意味を見つけたかのような物言いです。
無限に続くかに思えるつま先旋回が勢いを増し、一気にブレイクしました。
遙かな空に差し出されたしなやかな両手と、反られた体が描く線の美しさ――それはまさしく、踊りを天に捧げた妖精の姿です。
割れんばかりの拍手が巻き起こりました。
息を弾ませたリーゼは、空に向けて満足そうな笑みを浮かべています。
火のサラがすごい勢いで駆け込んで、リーゼを抱き上げました。
「きゃっ」
「なんて子だい、あんたは! すごかったよ!」
「あ……勝手に踊ってゴメンね」
「なに言ってんだ、いいもの見せてもらったよ。けど――」
サラが切れ長の目で凄みました。
「今度は私が、あんたの踊りを盗む番だ」
「いいよ、教えてあげる」
生意気に言い返す少女を、サラは愛しそうに抱きしめました。
笑みを交わす2人の踊り子に、拍手は鳴り止みません。
「こんな踊り、王都でも見たことがない! 私は金貨1枚を払おう!」
エリオが大げさな振る舞いで、金貨をダニーに渡しました。両手で受け取ったダニーが目を丸くしています。
これがきっかけでした――。堰を切ったようにコインが投げ入れられます。
ダニーとニコラが上着の裾を持ち上げました。降り注ぐコインを受け止めようと、必死に走り回ります。
エミリーがリーゼにしがみつきました。
「すごいね、リーゼは。すごすぎるよ……」
「ううん、エミリーやみんなが助けてくれたからだよ。ありがと」
少女たちがつかんだ歓喜の輪――。喝采が広場いっぱいに広がっていきます。
◆ ◆ ◆
遠く眼下に響く歓声を、大聖堂の高みから見下す冷たい目がありました。聖職者らしく笑みを絶やさない目元が、むしろ男の不気味さを際立たせています。
「これは、フィリッポス様にお知らせしなければなりませんね」
男の名はディツィアーノ。天聖教会の威光を担う司祭の1人です。
【大切なお願い】
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