11 体育館
更新履歴
2024年10月07日 第3稿として、大幅リライト。
2021年12月10日 第2稿として加筆修正
(この部屋に入るのは久しぶり。体は……覚えてるかな?)
リーゼは重い鉄の扉に体重をかけて、ゆっくりとスライドさせました。
凜星がビルドした【マイルーム】には、まったく中世ファンタジーっぽくない部屋が1つあります。『オルンヘイムオンライン』に体操服っぽいコスチュームが実装されたときに、体育館の壁とか、跳び箱なんかも一緒に配信されたので、小さな体育館を作っておいたのです。
なんで剣と魔法の世界に体操服と体育館? と、凜星は思いましたが、【マイルーム】の家具は外に持ち出せなかったので、ゲームの世界観を壊すことはありませんでした。
――もう帰れないかもしれない。
そんな思いで作った体育館には思い入れがあり、画面の中の自分が跳び箱に座ったり、マットに寝そべったりするだけで、幸せな気持ちになりました。
ズダァーーーン!
ピンクのクマがダンクシュートを決めました。
(ジャンプしなくても届くよね? 簡単すぎじゃない?)
そんなことを思うリーゼでしたが、ピンクのクマは構わず体育館を走り回っています。どうやら運動器具に興味津々で、いろいろ試さないと気が済まないようです。
はしゃぐクマをよそに、リーゼは真ん中に敷かれたマットに進みました。
(また、体育館でトレーニングする日が来るなんて……)
窓から床に射し込む光が暖かくて、まるで「おかえり」と言ってくれているようです。
「アカべぇ、遊んでないで手伝ってよ。60数えられる?」
「ウガッ!」
リーゼは仰向けになって横たわり、ピンと足を伸ばしました。
(トレーニングウェアがあればなぁ……)
着ているのが孤児院の布の服なのが残念ですが、仕方ありません。
「いくよ、スタート!」
「ウガッ!」
伸ばした足をそのまま少し上げて、降ろす運動を繰り返します。降ろす時にゆっくり降ろすのがポイントで、これを1セット60秒やるのですが……。
「ウガッ! ウガガッ! ウガガガッ! ウガガガガッ!」
「プフッ!」
リーゼは吹き出してしまいました。
「それ、数えてるの? 笑っちゃって力が入らないって! 心の中で数えて、終わったら教えてよ」
「ウガッ!」
アカべぇは黙ると、時間を指折り数え始めました。声は出していませんが、口がもごもごと動いています。心の中で「ウガウガ」言っているのでしょう。
リーゼはおかしくてたまりませんが、がんばって足上げを続けました。
「ウガーーッ!」
ピンクのクマが両手を上げました。60秒数え終わったようです。
「ん……いたたた……」
久しぶりに使った腹筋が痛みます。農場のお手伝いで体を使っていましたが、ずいぶんと鈍ってしまったようです。
次は、体の右を下にして横たわり、右肘をマットについて体を支えました。
「いいよ、数えて」
「ウガッ!」
体を真っ直ぐ伸ばしたまま、腰だけを左右に振ります。
(う……キツい……)
歯を食いしばって、がまんします。
「ウガガーーッ!」
また60秒が終わりました。次は体の左を下にして、同じ運動をします。
その次は、うつ伏せになって、エビ反りです。といっても、持ち上げるのは頭ではなくて、足のほう。足の裏が、頭越しにマットにつきました。
(よかった、柔軟性は落ちてないみたい)
健康だったときと同じように、どんどん基礎トレーニングをこなしていきます。だんだん、うれしさが込み上げてきました。地味で、キツくて、練習メニューで一番キライだったのにです。
(つらかったことほどいい思い出になるって、コーチの言ってたとおりだな)
30分間、容赦なく体に熱を入れると、ひとつひとつの動作に精密さが戻ってきました。スッと伸ばした腕にも、指先まで気持ちが入ります。
――うん、これなら出来そう。
体育館の隅に立って、右手を上げました。
リーゼのあらたまった様子にピンクのクマが気づいて、正座しました。
(誰かが見てくれてるのって、いいな)
リーゼは胸いっぱいに息を吸い込むと、輝く黒い瞳で正面を見据えました。
「行きます!」
全力で床を蹴りました。3歩でトップスピードに飛び込んだその速さに、リーゼ自身が驚きます。頬を叩く風が経験したことのない強さなのです。
――いける!
勢いに乗ってロンダートからのバク転(後方転回)を繰り出し、木の葉のように宙を舞いました。――ムーンサルト(後方2回宙返り1回ひねり)です。
リーゼの視界が、ぐるぐると目まぐるしく回ります。
(すごい! 無重力みたい!)
きれいに揃った両足が、揺るぐことなく床を捉えました。天に向かって広げた両手の間で、会心の笑みがこぼれます。
ボフボフボフボフ。ピンクのクマが、目を丸くしながら拍手をしました。
(憧れのムーンサルトをあっさり決めちゃうなんて……。しかも、タンブリングバーンのないただの床で)
床運動のフロアにはタンブリングバーンという、バネが仕込まれた板が設置されています。その助けもあって、選手は身長を超える高さに跳んだり跳ねたり出来るのです。ですが、リーゼはレベル120の身体能力と、鍛えた身のこなしで、何もないフロアでムーンサルトをやってのけました。しかも、高さにはまだ余裕があります。1回ではなく、2回ひねりも出来たかもしれません。いえ、3回だって……。伸身ならH難易度に相当します。
出来なかった技が急に出来るようになって、リーゼはなんだかズルをしてるような気分になりました。けど、これから難しい技に挑戦していけるのは素直にうれしいです。
――うん、週末には体が仕上がりそう。
「もっとも、披露するのはこっちじゃないんだけどね」
片目をつぶってはにかむ主を見て、ピンクのクマに「?」が浮かびました。
◆ ◆ ◆
「これでよろしかったでしょうか? リーゼ様」
週末を前にした夜のこと――。エリオが孤児院のテーブルの上に、幾重にも折り重なった細長い布を広げました。
「うわぁ~、きれ~い!」
感心するエミリーの横で、ダニーたちも興味津々にのぞき込みます。
リーゼは布を手に取って感触を確かめました。手のひらより少し幅の狭い布が、すんなりと指になじみます。
「うん、いい感じ」
「ありがとうございます。光沢の良いシルクを選び、摩擦に強い平織りにしました」
「ピンクのグラデーションもすごくきれい」
「近隣の街でも評判の職人に染め上げさせてあります。表、裏、どちらから見ても美しく仕上がっているかと」
リーゼは布に繋がった細い棒を持って、軽く振りました。
「スティックも持ちやすくていいね」
「固く粘りのある木を選び、薄くゴムを巻いてあります」
リーゼは納得したように、エリオに向かってうなずきました。
「ありがと。これなら申し分ないよ、本物みたい」
「本物? では、リーゼ様がお考えになったものではなく、元となる品があるのですね?」
しまった――。慌てたリーゼは、スティックを持っていない方の手を口にあてました。
「う、うん、まぁね。よく使ってたから」
「記憶はなくされたのでは?」
「か、体が覚えてるって感じ?」
ますます余計なことを言ったと、リーゼは視線を外します。
エリオは確信しました。記憶喪失は偽りであると――。ウソをつくとき、リーゼはいつも目をそらすのです。ですが、今はまだこの少女が何者であるか、追求するつもりはありません。話を変えることにしました。
「――それにしても、この布をどうされるのです? 皆目見当がつきませんが」
「ん~」
ちょっと考えたあとで、黒い瞳が悪戯っぽく輝きました。
「それは、明日のお楽しみ」
リーゼは信じているのです。幼いころから練習してきた技が、あの横暴な領主に立ち向かう力となってくれることを。
――明日は、久しぶりの競技会です。
【大切なお願い】
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
応援して下さる方、ぜひとも
・ブックマーク
・高評価「★★★★★」
・いいね
を、お願いいたします!