16 黒い村
草原を東西に抜ける街道を、ゆっくりと進む馬車があった。前後には一見して冒険者とわかる護衛の騎馬が3頭ずつあり、周りに目を光らせている。
「む、あれは……」
馬車の手綱を持つ男が、背後の客室の小窓を叩いた。
「客人、貴族が通りますぜ。盾を持った獅子――あの旗は……ゲルツハーンだな」
「ゲルツハーン?」
客人と称された男が小窓から前を覗いた。確かに貴族の馬車群がこちらに向かって来る。百は超えるであろう騎兵が3台の馬車を厳重に取り囲んでいることからして、かなりの要人のようだ。
「道を譲ろう。馬車を止めてくれ」
馬車が路肩の草むらに止まると、疲れた外套に身を包んだ男が客室から降りてきた。長い金髪が左目を覆っている――旅商人のエリオだ。
エリオが胸に手をあてて頭を下げると、騎士たちも馬を下りて軽く頭を下げた。
「エリオではないか」
真ん中の馬車がエリオの前で止まると、窓から白い髭の屈強な男が顔を出した。
「これは、ゲルンハルト閣下。帝都へおいででしたか」
旧知であるのか、顔を上げたエリオにはうっすらと笑みが見える。
「ああ、聖女様の来訪を懇願したが、体よく断られたところだ」
「それは……それは……」
「お主は何用で帝都へ向かうのだ?」
「聖女様に呼び立てられまして……」
「また魔石か? それとも宝石か? ドレスか? 身一つで旅をするのが身上のお主が、護衛の者を連れるとは……。さぞかし金目のものを積んでいるのだろう?」
「良き商いをさせて頂いております」
エリオはニッコリと商人の笑みを浮かべた。
「回復薬はないか? お主の品は質が良いからな」
「いくつか持ち合わせがありますが、先日納品した品はもう?」
「北の村の瘴気がひどいのだ。回復薬が足りなくて、薄めて飲んでいる始末……」
「それは由々しき事態で……。2箱ほどございますので全てお持ちください」
エリオが右手の指を鳴らすと、冒険者たちが客室の後ろの荷台から木箱を下ろし始めた。
「すまんな。聖女様の買い物が終わったら、我が城へ立ち寄ってくれ。回復薬も武器も足らん」
「畏まりました」
ポーションを積み終わるとゲルンハルトは窓のカーテンを閉め、馬車は出発した。
頭を下げたまま横目で遠ざかっていく馬車を追いながら、エリオは思案を巡らせた。
(魔族の次なる標的がゲルツハーンであることは明白。あの堅牢な城を魔城として、帝国侵略の足がかりとする気か……。1人の少女の出現が、魔族の狙いを国ごと変えさせたのだ。3度に及ぶ侵攻を全て退けられた上に、“闇の大穴”まで浄化されられたのだからな……)
矛先がルクシオール王国に向かわなかったことにエリオは安堵したが、大陸最大の国である帝国への侵攻には疑念が湧く。
「我がルクシオールより、帝国の方が与しやすいということか? 何故?」
魔族は個の力がヒトより格段に優れているが、数が少なく、集団戦ではヒトに分がある。それ故に戦となれば、狡猾に策を巡らせ、周到に準備する。何十年にも渡って瘴気を貯め、“闇の大穴”を生み出したのがいい例だ。
東の空に漂う暗雲が、これからのゲルツハーンの運命を物語るようで、エリオの心中も曇った。
◆ ◆ ◆
“聖なる鎧を身に纏い
立ち向かうは、悪しき軍勢
下がれ! 私が盾となる!
聖騎士リィゼ、光と共に!”
恥ずかしい決めポーズをパパッと終わらせて、リィゼはピンクのクマの肩に腰掛けた。
「さ、行こっか」
ピンクのクマは大きく頷くと、堂々と村の門をくぐった。
寝静まった小さな村に護衛はなく、どんよりとした瘴気だけが漂っている。
実は、昼のうちに近くの森に着いていたのだが、くれぐれも姿を見せぬようにとオイゲンから忠告されていたので、すぐ助けに行きたくなるのを我慢していたのだ。
「瘴気で苦しんでる人たちがいるのに……」
昼寝に勤しむピンクのクマの横で、そんな不満をぶつぶつと漏らしていたのは言うまでもない。
イポルが助けを求めたトルガの村は、木と土作りの粗末な家が並ぶ小さな村落で、家の数は百戸ほど。村を囲む壁も木の杭を並べて板を張っただけの簡素なもので、たくさんの魔物が襲ってきたらひとたまりもない。
(聖女の結界が護ってきたってことかな?)
そんなことを考えながら歩いていると、村の中程にあるため池に出た。学校のプール3つ分ほどの大きさで、真ん中に鉄製と思しき柱が立っている。
「あれが結界かな?」
肩に乗るリィゼに向かって、ピンクのクマがこくこくと頷いた。柱の先端に取り付けられた多面体の宝石が金色に輝いている。聖魔法が込められた魔石――つまり、聖石だ。だが、その光は闇に溶け込みそうなぐらい弱々しい。
「急ごう。結界を貼り直さなきゃ」
ピンクのクマがため池に片足を踏み入れると、水面の瘴気がまとわり付くようにピンクの体を這い上ってきた。
「ウガ……」
「大丈夫?」
ピンクのクマは眉尻を下げながらも、ため池を2歩、3歩と進んでみた。ますます瘴気が体に纏わり付く。
「ウガァアァァァ……」
全身のピンクの毛が逆立った。
村の人がみんなこの水を飲んでると思うと、リィゼの背にも寒気が走る。
「アカべぇ、がんばって。“闇の大穴”に負けなかったんだから、耐えられるよ!」
リィゼは泳げないので、応援するしか出来ない。
アカべぇはフン! と荒い鼻息を吐くと、のしのしと黒いため池に踏み入れていった。
次回更新はいつもより1日早く、11/28(火)に『五つの加護持ちお姫様は、冴えない加護なし辺境領主に恋をする。』をアップ予定です。
https://ncode.syosetu.com/n1211ig/
↑もしくは画面上の、作者:イリロウ のリンクから。
どちらも読んでもらえるとうれしいです。
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