14 聖女の焦り
月見えぬ夜のこと――。
暗い森をひたすら抜ける小さな影があった。息を切らし、木の根に足を取られながらも、くじけずにどこかへと向かっていく。粗末な布の服から露わになった手足には擦り傷が刻まれ、汗を拭うたびに頬が血で汚れていった。
(聖騎士様……聖騎士様なら、きっと村を救ってくれる)
足下を取られて、小さな体が小石と枯れ枝だらけの固い土に打ち付けられた。
ぐうっ……。
もう何度転んだかわからない。だが、諦めるわけにはいかない。小さな影はぐいと鼻を拭うと、また立ち上がって駆け始めた。
(“闇の大穴”を浄化した聖騎士様なら、きっと……きっと……)
涙の浮かぶ瞳には、少年らしい力強い光が満ちている。一刻も早く……早く……。道なき道を小さな影が分け入り、森の奥へと消えていった。
◆ ◆ ◆
大陸の西の端には、帝国ダキオンの帝都ダキオ・ラがある。人の往来が盛んで、石造りの街並みが地平の彼方まで埋め尽くし、10階を越える建造物も珍しくない。東の強国であるルクシオール王国からも、小国のネイザー公国からも遠く離れた立地が、争いの備えに希薄な悠々とした大都市の形成をもたらしていた。
その中心にそびえ立つのが、皇帝ジークムンドの居城だ。街の様相とは正反対に、何重にも施された高い壁に守られた要塞は、天に挑むかのように十数本に及ぶ塔を突き立てている。
「何卒、聖女様の祈りを賜りたく、お願い申し上げます」
狡猾そうな顔が並ぶ謁見の間――。玉座から続く赤い絨毯に片膝をつき、白い髭を蓄えた貴族が深々と頭を下げていた。マントに覆われた体はたくましく、名のある将軍であることが伺える。
皇帝ジークムンドは、玉座に腰を下ろしたまま答えた。
「ならん。聖女ミラベルを東の果てであるゲルツハーンへなど送れるか! 魔族が棲むとされる山岳地帯の麓ではないか!」
「一時でございます! 瘴気による水の汚染を晴らして頂ければ、それで……」
ジークムンドに寄り添うように立っていた、ミラベルが不満げに口を開いた。
「もーっ、私が施した結界があるってのに、不足だって言うのぉ?」
押し殺したような声が、白い髭の間から漏れた。
「事足りておれば……ここに参りませぬ……」
「何だと? 聖女の結界を否定するというのか? 聞き捨てならんぞ、ゲルンハルト」
「ネイザー公国の“闇の大穴”が浄化されたことにより、瘴気が我が地へ向かっておるのです。これは……魔族侵攻の予兆かと……」
謁見の間を取り巻く貴族たちがざわついた。300年前に勇者が魔王を倒して以来、魔族とは小競り合いがあるものの、大規模な戦いには発展していない。魔族の狙いは小国のネイザー公国に絞られていたのだ。
「何を言っておるのだ? 貴様」
「は?」
蔑むような皇帝の声色に、ゲルンハルトは思わず顔を上げた。
「“闇の大穴”は復活した。沼全体を紫の液魔が覆い、恐ろしい溶解力でネイザー公国に厄災をもたらしている」
「そんな……馬鹿な……」
「魔族が我が帝国を狙うなど、あり得んのだ! ヤツらの狙いはあくまで小国ネイザー。わかったら、とっとと辺境へ帰れ!」
ぐぐ……老貴族の奥歯が軋んだ。こうも頑なに聖女を寄こさぬのは、何故だ? 先代の聖女様は求めに応じて、国中を周っておられたというのに……。
ゲルンハルトは立ち上がって一礼すると、マントを翻して赤い絨毯の先にある大扉の向こうに消えていった。
「やれやれ、戯れ言につきあわせてすまなかったな、ミラベル。詫びに宝石でもドレスでも好きなものを買い与えよう」
「うわぁ、ありがとうございますぅ、ジークぅ」
軽く握った両手を口元に寄せ、喜んで見せるミラベルだったが、内心は穏やかでなかった。
(マズいマズいマズいマズい! マジな瘴気とか私にどうにか出来るわけないでしょ! 辺境なんか封印ごとさっさと滅んじゃってよ!)
聖女の額をダラダラと冷や汗が流れていたが、皇帝ジークムンドが気づくことはなかった。
次回更新は、11/1(水)に『五つの加護持ちお姫様は、冴えない加護なし辺境領主に恋をする。』をアップ予定です。
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↑もしくは画面上の、作者:イリロウ のリンクから。
どちらも読んでもらえるとうれしいです。
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