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10 訪れた悪意

更新履歴

2024年10月07日 第3稿として、大幅リライト。

2021年12月09日 第2稿として加筆修正

 それは――みんなが農場のお手伝いや、ヒルラ草を採りに出かけたあとのことでした。

 いきなり孤児院の扉が、荒々しく打ち開かれたのです。

 ヨルリラ草の商談をしていたリーゼとエリオは、はっとしました。

 豪華な衣装に身を包んだ太った男と、数人の騎士たちが大股で入ってきます。騎士の1人はゴリラみたいな大男で、鎧には太った男の服と同じように金の装飾が施されています。


「こ、これは、フィリッポス様、ようこそいらっしゃいました」


 シスターグレースが、慌てて駆け寄りました。

 フィリッポスと呼ばれた太った男は二重顎をさすりながら、大げさに声を荒げました。


「シスタ~グレェ~ス、いかんなァ~、いかんぞォ~」

「な、なにがでございましょう?」

「ヨルリラ草を売っての贅沢三昧、教会の孤児院にあるまじき行いではないか?」

「ぜ、贅沢ではございません。足りないお金を補おうと……」

「んん~? 余が用意した援助金に不満があるとでも?」

「め、滅相もございません。大変感謝しております。ただ……」

「ただァ~?」


 フィリッポスのなぶるような視線に耐えかねて、シスターグレースは目を伏せました。


「子供たちに……以前のような食事をと……それで……ヨルリラ草を……」

「ほほう、やはりヨルリラ草を売ったのは、お前か」


 したり顔のフィリッポスに、シスターグレースは言葉を失いました。そう――孤児院がヨルリラ草を売ったという確証はなかったのです。


「そこの見かけぬ男、貴様は何者だ?」

「これは失礼いたしました」


 エリオが静かに歩み寄り、頭を下げました。


「セルジオ商会の旅商人、エリオと申します。以後、お見知りおきを」

「フン、セルジオ商会か。融通の利かん連中だ」

「恐れ入ります」

「貴様がヨルリラ草を買い取ったのだな?」

「恐れながら、商いの詳細は申し上げかねます」


 フィリッポスの後ろで控えていたゴリラのような騎士が、今にも剣を抜きそうな勢いで前に出てきました。


「貴様ァ! オーデンを治めるフィリッポス閣下に対して無礼であろう!」

「よい、ゴルドフ。控えておれ」

「ははっ」


 フィリッポスが右手を上げると、ゴルドフと呼ばれた大男は慌てて引き下がりました。

 フィリッポスは再び、エリオに目を向けます。


「貴様、孤児院の救世主にでもなったつもりか?」

「滅相もございません。本日こちらに立ち寄りましたのも、日用品の入り用がないかお尋ねしていただけでして」

「フム、あくまでしらを切るか。……まぁいい、貴様が買ったかどうかはさして重要ではない」


 フィリッポスのねっとりとした視線が、シスターグレースに絡みつきました。


「孤児院がヨルリラ草によって多額の利益を得たのであれば、その分の援助金を減額せんとなァ」

「そ、そんな!」

「援助金は、あくまで援助。最低限の暮らし以上の金は払えんのだよ」

「そうは申されましても、度重なる減額で暮らしもままならず……」

「減額を不服と申すか!? そもそも天聖教会と教えが異なるがゆえに寄付が集まらぬ、お主らが原因ではないか!」

「それは……」

「天聖教会は、聖天使教会の排斥を望んでおる。それを留め置いておるのはいったい誰なのだ?」

「……フィリッポス様でございます」

「わかっておるではないか。では、来月より援助金は三分の一とする。よいな?」


 シスターグレースはうつむいたまま、両手をぎゅっと握りしめました。


「はい……」


 貴族と結託し、ルクシオール王国全土に威光を放つ天聖教会と、いくつかの辺境の街に小さな教会を置くだけの聖天使教会とでは、力が違いすぎるのです。聖天使教会の信徒は、街の隅で隠れるように生きていくしかありません。


「加えて、これより半年間、ヨルリラ草の取引はオーデンの街に限るとする。他の街へ持ち出すことは許さん!」

「なっ、どうして!」


 思わずリーゼが声を上げました。


「リ、リーゼ!」


 シスターグレースが慌てて、リーゼを隠すように肩を抱きました。エリオもリーゼをかばうように、フィリッポスとの間に体を入れます。


「なんだ、その娘は?」


 目を細めるフィリッポスに、驚きの色が浮かんでいます。シスターグレースの肩越しににらむ勝ち気な瞳は、黒――。質の良さそうな髪の色もまた黒――。世にも珍しい、黒髪と黒い瞳の少女が目の前にいるのです。

 フィリッポスは色めき立つ内心を気取られぬように、咳払いをしながら続けました。


「ン……その娘、見かけたことがないようだが?」

「先日より身を寄せております、リーゼと申します。記憶がないため、礼儀に欠けるところがございますが、お許し下さい」


 フィリッポスの分厚い唇がますます吊り上がりました。身寄りがない上に記憶がないとは、好都合だ――と言わんばかりに。


「ほほう、それは不憫な。無礼を許そう」


 フィリッポスはエリオを押しのけて、リーゼの顔をじっくりと見定めました。黒い瞳を際立たせる白い肌はきめが細かく、透き通るようです。


「上玉どころか極上だ……」


 ぼそりとこぼした一言に、リーゼの全身が泡立ちました。ですが、フィリッポスをにらむことをやめません。――目をそらすと負けな気がするのです。


「ヨルリラ草は高位回復薬ハイポーションの素材であるがゆえに、街の騎士団に優先的に供給されねばならん。わかるか?」


 エリオがフィリッポスに顔を寄せ、リーゼの代わりに答えました。


「街の安寧は、商売の利に勝ります。御下命のままに」


 近づいたエリオの顔を避けるように、フィリッポスが下がりました。


「う、うむ、わかればよいのだ」


 下がりながらも、フィリッポスはリーゼを見るのをやめません。シスターグレースは体の後ろにリーゼを隠そうとしますが、リーゼが引き下がらないので遮ることが出来ません。簡素な布の服からあらわになった伸びやかな手足を、なめるように見られてしまいました。


 ――フィリッポスには1つ疑問があります。


「それにしても、この孤児院の誰がヨルリラ草を採ってきたというのだ? 北の森へ入って戻ってこられる猛者がいるとは思えぬが……」


 フィリッポスはそこまで言って、自分を見据える瞳の力強さに感づきました。初めて見る少女と、にわかに売り出されたヨルリラ草――時期は符合します。


「娘、まさか……お前が採ってきたのか?」

「だったらなに?」

「貴様ァ! 斬り捨てられたいかァッ!」


 いきり立ったゴルドフが突進してきました。すでに剣が半ば抜かれています。


「リ、リーゼ! いけません、そのような物言いをしては!」


 シスターグレースが守るようにリーゼを抱き抱えました。

 エリオも笑顔のまま立ちはだかります。


「騎士団長殿、どうかお許しを」


 フィリッポスが不機嫌そうに唸りました。


「ゴ~ルド~フ! 言ったであろう? 無礼を許すと」

「ははっ。ですが、あまりに不敬な態度でしたので……。しかも、ヨルリラ草を採ってきたなどと戯言を……」

「森に入ってすぐに群生地でも見つけたのであろう。今は気にせずともよい」

「はっ」


 フィリッポスがしたり顔になって、ゴルドフに耳打ちしました。わざと回りに聞こえるように、声は潜めていません。


「どこで採ってこようが、我が騎士団に差し出すしかないのだ。ぜいぜい高値で買ってやろうではないか」


 ゴルドフはようやく領主の意図を理解しました。口ひげの下から白い歯がこぼれます。


「なるほど、さようでございますな」


 フィリッポスがマントを翻しました。


「帰るぞ、ゴルドフ」

「はっ」


 フィリッポスと騎士たちは、また扉を荒々しく打ち鳴らして出て行きました。

 静寂が戻った孤児院は、薄暗い室内がますます暗く感じられます。


「なんてこと……」


 力無く膝をつくシスターグレースの肩に、エリオがそっと手を置きました。


「賢侯とうたわれたバウラス辺境伯も、嫡子があのような男では……」

「はい……バウラス様が病に伏せられるまでは、幸せに暮らしていたのです」


 フィリッポスの仕打ちに耐えながら、孤児院を1人で切り盛りしてきたシスターグレースの苦労は察して余りあります。これから減額される援助金を補うには、街の騎士団にヨルリラ草を売るしかありません。ですが、安値で買われてしまうことは明白で、半年という期限も何かしら理由を付けて延長されるでしょう。――つまり、延々とヨルリラ草を安値で買われてしまうのです。

 エリオの顔が曇りました。これでは打つ手がありません。


「エリオ」


 リーゼの凛とした声に、エリオははっとしました。


「はい、なんでございましょう?」


 エリオは、リーゼの言葉を聞き漏らすまいと身を正しました。


「頼みがあるんだけど」


 リーゼの瞳の輝きにエリオは驚きました。八方塞がりな状況だというのに、落胆など微塵もありません。それどころか強い意志が伝わってきます。


 あんなヤツらに絶対負けない――。


 エリオは、この少女と出会えたことに感謝しました。


「何なりとお申し付けを。このエリオ、必ずやリーゼ様のお役に立ってみせます」


 そう――リーゼがこの程度のことで屈するわけがないのです。

 不治の病と3年も戦ったのだから。

 もっとひどい絶望も、涙も知っているのだから――。

【大切なお願い】

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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