1話 光る世界の執行者
「あは、ひひへぇ」
雑多な店と粗末な家が密集するスラムの路地裏で、口から涎をたらし、だらしない表情を晒す若い男が意味不明な音を口から発する。この男は末期異端者、もはや更生することは叶わないことは一目瞭然というしかない状態であった。何の末期であるか? それはいうまでもなく魔力中毒、防護具無しで魔術行使を繰り返したことで常態的に幻覚を見るようになることをいう。
「ふむ、なるほど末期だな……。残念だが、この場で刑を執行する」
対する壮年の男は怜悧な視線を末期異端者へ向けて、冷徹な声音で呟いた。黒髪を短く揃えた黒目の男は、やや細めで鋭い印象を対峙した相手に与える両目の上にごてごてとしたサークレットを付けている。加えてやや高めの身長でがっしりとした体躯の全身を包むボタン留めのローブの上にも、やはりごてごてとした装身具をいくつも身に着けている。これらが、防護具。魔術行使による脳への負荷を低減することで幻覚症状をほぼ完全に抑えることができる魔導技術の結晶。かつて古代の魔術師たちは使うたびに気が触れていくことを覚悟して、その魔導の術を扱ったという。しかし時代と共に技術は進歩し、全身に防護具を纏うことで安全な魔術行使が可能となっていた。
しかし、魔術による脳への負荷は、始めこそ苦痛のみを感じるものであるが、そこから先へ行ってしまうと色とりどりの幻覚を伴う快感へと変じていく。それはつまり脳が不可逆的に損傷していることの証左でしかない訳であるが、人はえてして快感に弱く、あらゆる代償を惜しまない、いや目を逸らしてしまうものであった。
「では、審判・死刑」
感情の窺えない声と共に、ローブの男の掲げる右腕の肘から先が発光し、物理的な衝撃力を伴う光線が末期中毒者の顔面へと降り注ぐ。腰に差した装飾過多な魔導宝剣を使わない魔術は手加減もいいところであったが、しかし抵抗する意思すらなくした末期異端者の処分にはそれで十分であった。
「対象の処分完了を確認。任務完了につき帰還する」
首から上が炸裂して消失した元末期異端者をよくよく確認したローブの男は、もはや寸分の興味を払う価値もないとばかりに反転し、歩き去っていくのであった。
「ロドス上級審問官、お疲れ様です」
「ああ、お疲れ様。報告書を転送する」
スラムからほど近い位置にあり、拠点である荘厳な建物、教会へと帰り着いたローブの男、ロドスは簡素な机で魔基端末へ向かって何やら打ち込んでいた妙齢の女性に挨拶を返す。すると数度打ち込み盤を指で叩いた女性は端末本体からするすると細いひも状の魔基線を引っ張り出すと、先端をつまんでロドスへと渡した。
「キュリエ司祭、私が出ている間に何か変わりはあったか?」
「中央大聖堂からのお告げが一件、ですね」
キュリエと呼ばれた女性から魔基線を受け取ったロドスは、懐中時計を取り出して慣れた手つきで差込口へと線をはめ込む。そして右手だけで懐中時計、小型の魔基端末を操作して報告書となる映像記録の転送を開始した。
その作業の間は二人とも無言となった。中央大聖堂からのお告げを受けて執行するのは審問官の仕事であり、司祭はただそれを取り次ぐのみである。故に司祭としてこの地に赴任してから十年が経つキュリエは、全く気にするような素振りもみせず、暗号圧縮された報告書を受け取り、同じく圧縮されたお告げをロドスの端末へと転送した。
「ふむ……」
「すぐにお出掛けですか?」
魔基線を引き抜いてキュリエへ返すと、ロドスはすぐに懐中端末を操作してお告げを確認した様だった。そしてロドスの行動次第で支援担当としての仕事が変わるキュリエは、いつ動くのかだけを問うた。お告げによってもたらされる情報は異端、つまり魔導に関わる犯罪であり、上級審問官へと届くそれは一方的な処刑を含めた戦闘行為を前提とすることは、教会関係者であるキュリエにはもちろん知りえることであった。信仰が形骸化した教会組織の中で、新しい信仰ともいえるほどに厳密化している情報規制によって詳しい内容は知りえないものの、ロドスが出るというのであればキュリエとしては戦闘のための準備を手伝わなければならない。
「ああ、嘆かわしいことにまたこの地区だからな」
本当に残念そうにロドスは言うが、聞いたキュリエは不快そうに細い眉を顰めた。ロドスは厳格そうな見た目に反してこういう所がある。味方である教会関係者であれば構わないとでも考えているのか、情報を断片的に漏らすことが多いのだ。真面目なキュリエはそれをいつも面白く思ってはいない。しかし地区の管理と執行の支援担当に過ぎない司祭であるキュリエは、その真面目さ故に上級審問官であるロドスへと苦言を呈することなどできないのであった。
精一杯の不満の表明として、少しだけ音をたてて椅子から立ち上がったキュリエは、これも少しだけ荒っぽい手つきで、奥へと続く扉の横にある紋章へと手を当てる。魔力認証によってこの教会の司祭本人であると認識され、キュリエの意思に反して非常に滑らか、かつ静かに扉は横へと滑り開いた。
中には大小さまざまな箱が綺麗に整理して棚へと収められており。扉のある壁以外の三方がそうした棚で埋められている部屋の中央には小さな作業机が置かれていた。
「消耗はあまりしていないのだがな、一応魔弾の詰め替えだけしておこうか」
ロドスは右手首に着けた腕輪の一部をずらす様にして開くと、中から魔力の込められた小さな宝玉、魔弾を取り出して、小箱のひとつへと落とし入れる。そして別の箱から先ほどの物よりやや輝きの強い宝玉を取り出すと腕輪に収めて閉じた。これこそが魔弾であり、魔力の蓄積したこの宝玉が防護具を防護具足らしめている核であった。つまり急激な魔力消費によってかかる負荷を、魔力代替によって軽減する貯蔵庫であり、魔術行使そのものを補助する演算機能を動作させるための動力源でもあった。
補給を終えたロドスが部屋から出ると、立ったまま待っていたキュリエがすぐに紋章に手を当て、再び扉は静かに閉まった。それを見届けるとキュリエは席について魔基端末へと何やら打ち込む作業を再開し、ロドスも何を言うことも無く教会から歩いて出ていくのであった。
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