学園改革のメソッド7
「俺がこの学園の教師になったのは六年前。その当時はこんなことにはなっていなかったんだ」
透巳の説得で自殺を思いとどまった藤村は自身がこの学園に訪れた頃の話を始めた。六年前というのは明日歌たち高校二年生の生徒が小学校五年生の頃だ。初等部から青ノ宮学園に在籍している明日歌と遥音たちはその頃の記憶を思い返す。
確かにその当時は現在のように苛めは頻発しておらず、教師たちも生徒に不干渉ではなかったのだ。
「おかしくなったのは四年前だ。この時期から……学園理事長がおかしくなってしまったんだ」
「やっぱ黒幕は理事長か」
四年前というのは明日歌たちが中学一年生の頃で、そして同時にF組が作られた時期でもある。
藤村は一瞬言い淀んだが、一度死のうとした自分に恐れるものはもうないと思い直した。そして目の前の生徒たちに賭けることを決めたのだからと、藤村は学園が狂い始めた原因の人物を告げた。黒幕があまりにも予想通りだったので、明日歌はつまらなそうに呟く。
「あぁ……。最初は〝苛めが起きても何もせず、生徒たちに任せておけ〟という指示だけだったんだ。生徒たちの自立性を損なわないようにと」
「そんな理屈を納得したの?」
「そんなわけがないだろう!」
理事長が教師たちに提示した理屈はとても共感を得られるものではなく、屁理屈も良いところだった。だがそんな屁理屈で納得した教師もいるのだろう。自分に都合が良いことなら尚更である。
明日歌の呆れたような問いに、藤村は怒気を孕んだ声で否定する。
「俺は理事長の指示を最初は無視したんだ。俺だけじゃない……他の先生もそうだ。半数以上が反感を覚えていつも通りの指導を生徒たちに施した。だが……理事長はそれから手段を選ばなくなったんだ」
間接的なやり方では効き目が無いことを理解した理事長は形振り構っていられなくなったのか、その暴挙を振るい始めた。
「理事長は苛めを黙認しなければ、俺たち教師を懲戒免職にすると言い始めたんだ」
「ほぉ。かなり短絡的なやつなんだな、我が学園の理事長様は」
藤村の話を聞いた遥音は理事長のあまりにもな暴挙に感心にも似た嫌悪を抱いた。同時に、何故そこまでして苛めを頻発させようとしているのかと、遥音たちは不思議に思った。
「理由は分からないが、理事長が本気なのは教師たちも分かっている。実際、懲戒免職された人もいる。だから俺たちは理事長に従うしかなかったんだ」
懲戒免職されれば、また新たに別の学校に勤めるのは難しい。不可能ではないだろうがその肩書だけで判断する人も多く、悪い印象がついて回るからだ。生きるために仕事はどうしても必要になる。生徒と自身の人生を天秤にかけ、多くの教師が後者を選んだということだ。
「教育委員会には訴えなかったの?」
「うちの理事長は、そちらとも太いパイプがあるらしい……噂だが、ほぼ間違いないと思う」
「噂……ねぇ」
明日歌の疑問は尤もなものだ。苛めを黙認しなければ懲戒免職だなんて横暴にもほどがあるというもの。理事長よりも上、教育委員会に訴えようという考えが起きなかったのか気にするのは当然である。
藤村から出てきた〝噂〟という単語に反応した明日歌。意味深な声を上げた明日歌に透巳は思わず首を傾げる。
「だから俺たちはどうすることも出来ないまま、ここまで来てしまったんだ」
「なるほど。先生、話してくれてありがとうございます」
項垂れたように呟く藤村に透巳は優し気な笑顔で礼をした。自身にここまで優しく接してくれる透巳に藤村は羨望の眼差しを向けたが、F組生徒たちは透巳のあまりにもな変貌に眉をしかめている。
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「ねぇ、透巳くんって何者?」
「……ただの高校一年生ですよ」
「嘘言え」
藤村を保健室に連れて行った透巳たち。この状態で仕事に戻らせるほど鬼ではないし、保健室は養護教諭である鷹雪の城の様なものだ。この学園で一番安全といっても過言ではない場所である。
保健室には体調不良で休んでいる者や、教室に行けない保健室登校の生徒たちがいて人口密度はそこそこである。
消毒液の匂いが微かにする保健室を出た明日歌は単刀直入に尋ねた。そんな明日歌にキョトンとした相好で答えた透巳だったが、先刻の透巳を知っているF組生徒たちは疑わしそうに観察した。このキョトン面も演技の可能性があるからだ。
「じゃあ、あの演技は何?ただの高校一年生にあんなことできる?あとピッキングも!」
「さぁ?才能が成せる技じゃないですか?」
「うーわ。そういうこと自分で言っちゃう?」
やはり明日歌はピッキングとあの迫真の演技のことが気になっていたようで、透巳に問い詰めた。
透巳の態度は明日歌たちから見ればはぐらかされたと感じてもおかしくないものだ。だが透巳は至って真面目であり、本気でそう思っているということに明日歌たちは気づけていない。
「俺の話はいいです。今は理事長のことを考えた方がいいんじゃないですか?」
「まぁそうなんだけど」
ざっくりと話の流れを切った透巳。今F組にとって一番思考すべきなのはこの学園の闇についてなので、透巳の意見は尤もといえば尤もだ。
「さて、でもどうするかね?理事長問い詰めたところで認めるとも思えないし、認めたところで今の状況を改善するわけもないし」
明日歌は顔を顰めると今後の計画について懊悩する。
事実を知ったところでこの腐った学園を壊すことに直結するわけではない。学園長の悪行を問い詰めたところで明日歌たちは所詮一生徒。何の力もなければこの学園を変えるきっかけを作ることも出来ない。
「アイツに頼るか?」
「えぇー……アイツにだけはあんま頼りたくないなぁ」
「アイツ?」
珍しく遥音は明日歌を揶揄うような態度で尋ねた。一方の明日歌は苦虫を噛み潰したような、心底嫌そうな顔で呟いた。これではいつもと立場が逆転しているので透巳は首を傾げる。
「いや、透巳くんが知らなくていいクソみたいな奴だから。気にしなくていいよ」
「はぁ……」
〝アイツ〟なる存在について尋ねた透巳だったが、明日歌はその人物の話を続けたくなかったらしく、適当にはぐらかした。
一方透巳は明日歌がその人物のことを心底嫌っていて、遥音が揶揄う程度には彼女の弱点なのだろうとやんわり思考した。
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藤村の自殺を食い止めた日はとりあえずそのまま解散することになった。これからのことは後日考えることにしたのだ。
そして今は翌日。午前六時である。
透巳の家には目覚まし時計の少々煩わしい音が鳴り響き、先に起きていたシオが酷く警戒している。部屋のカーテンの僅かな隙間から伺える朝日が、ベッドの上で眠っている二人の顔を照らしている。
「ん……おもい」
先に目を覚ました透巳は自身の上に圧し掛かる何かのせいで苦しげな声を上げた。全裸の状態でベッドに寝そべる透巳は欠伸を一つすると、重みの正体に目線をやる。
透巳と掛け布団の間で寝息を立てているのは小麦で、透巳と同じく全裸である。二人揃って裸に毛布一枚というこの状況だけで、彼らが昨夜何をしていたかが一瞬で理解できてしまう。
「ねこちゃん、起きて」
「んん……」
「……起きない」
自身の上で可愛らしい寝顔で眠っている小麦に透巳は声をかけたが、小麦は寝息を立てるばかりで一向に起きる気配がない。
透巳が途方に暮れているとシオが二人の寝そべるベッドに上がってきた。そして透巳に的を絞ったシオは彼の顔に自らの頭を擦り寄せる。
「おはよう、シオ。ふふ……ねこちゃんってばお寝坊さんだね?」
「にゃあ……」
可愛らしいペットに話しかける透巳は、学校では信じられない様な嬉々とした相好を見せる。この表情だけで透巳の異常な猫好きを垣間見ることが出来る。
「あれ……あ…………おはよぉ、透巳くん」
「おはよ、ねこちゃん」
シオの鳴き声で漸く目を覚ました小麦は、まだ眠い目を擦りながら朧気に透巳を捉えた。ぼぉーっとしている姿が透巳には心底可愛らしく映り、彼は蕩ける様な笑みを浮かべた。
「……っ!小麦!もしかして熱ある?」
「え……」
小麦の頭を流れる様に撫でた透巳は、彼女の体温の高さに気づき思わず声を上げた。起きたばかりは気づかなかった小麦の異変に動揺を見せる透巳は、思わずいつもの呼び方ではなく下の名前で彼女を呼んだ。
一方の小麦は自身が熱を出していることを自覚していないのに加え、透巳から名前で呼ばれたことで頭をパンクさせている。
「あ……ほんとだ」
「ごめん、昨日無理させた?」
「ううん……私がよく体調崩すの、透巳くんも知ってるでしょ?」
昨晩小麦をいつも通り求めてしまったせいで彼女の体調を害してしまったのではないかと危惧した透巳に、小麦は首を横に振って否定した。
彼女の身体が弱いのは当然透巳も知っているが、それとこれとは話が違うので透巳は不安そうな相好を見せる。
「学校には俺が連絡しとくから今日は休んでね」
「うん……ごめんね、透巳くん」
「何で謝るのさ。今日は俺も休もうか?」
「ダメだよ!何で透巳くんも休むの?」
透巳の手を煩わせてしまったことに罪悪感を抱いた小麦は眉を下げつつ謝罪した。だが申し訳なく思っているのは透巳も同じなのでお互い様である。
あまりにも小麦のことが心配で仕方がない透巳は看病のために自身も学校を休もうかと考えたが、その提案は小麦によってあっさりと却下された。
「ちゃんと一日中寝て病気治すから。心配しないで……それに、シオちゃんも一緒にいるから大丈夫だよ。ねぇ?」
「にゃー」
小麦はベッドの上で背伸びしていたシオを抱き上げ、問いかけるように笑みを浮かべた。それに返すように一鳴きしたシオはとても人間味溢れ温かい。
「わかった。じゃあお粥作っておくから、食べれそうだったら食べてね」
「ありがとう。透巳くん」
小麦の説得で絆された透巳は彼女の頭を撫でてそう伝えた。因みに透巳の料理の腕前は特別優れているわけでも、下手な訳でもない。なのでお粥ぐらいなら普通に作れるのだ。
「身体拭くからね」
「……えっち」
「失敬だな。敏感なねこちゃんの為に優しく刺激しないよう拭くから大丈夫だよ」
人肌程度のお湯で濡らしたタオルを用意した透巳に小麦は恨めし気な視線を向けた。だが今の透巳に下心は無く、完全な濡れ衣である。
否定ついでに揶揄われた小麦は熱で火照った顔を更に朱に染めた。
だが病人の小麦に抵抗する力など無く、彼女は透巳の好きにさせることにした。昨夜の戯れで少々べたついてしまった身体を清潔にしたいという欲求は小麦にもあったので、透巳の提案は正直嬉しかったのだ。
小麦の身体を隅から隅まで拭き、シオの餌を用意し、小麦のお粥を作り、洗濯をし、食器を洗ったことで朝の家事を終わらせた透巳。
制服に身を纏った透巳は後ろ髪を引かれる思いで自宅を後にした。
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「はぁ……今日は早く帰ろ」
通学路を進みながらため息をついた透巳。小麦のことに関すると異常な過保護を発動する透巳は、一刻も早く学校を切り上げて帰宅したいと、ただそれだけを考えているのだ。
透巳は制服のポケットからイヤホンのついたスマートフォンを取り出すと、歩きながら何かの映像を見始めた。
スマホ画面に映っているのは透巳の自宅で、小麦が大人しく寝ている様子だった。
透巳は自宅に監視カメラをつけていて、いつでも部屋の様子を観察できるようにしていたのだ。因みにこのことを小麦は知っている。知っていて、了承しているのだ。
「こういうのが、過保護って言われるんだよなぁ」
過保護。これは透巳に近しい人間なら何度も彼に投げかける言葉だ。過保護の対象は小麦だけではなく、透巳の家族や大好きな猫に対しても同様である。
ボォーっと呟きながら透巳が見上げた空は鈍色に曇っていて、もうそろそろ梅雨が始まるだろうということを告げている。
曇り空から視線を下ろすと透巳はある存在に気づき足を止めた。その存在を視界に入れてしまった透巳はポカンと口を半開きにすると、途端に子供のような満面の笑みを浮かべた。
「にゃんこ大集合だ」
透巳の笑顔の理由は七匹の野良猫だった。透巳が立ち止まったのは小さな神社の前で、慎ましい雰囲気が可愛らしい神社だ。
そんな神社の鳥居の前でまどろんでいる野良猫たちは、透巳からして見れば天使以外の何者でもない。最早神が与えてくれたご褒美である。
「おいでぇ、野良ちゃん」
透巳が一言声をかけると、野良猫たちは一斉に透巳の元へ走り寄った。透巳は自画自賛する程猫に懐かれやすい。透巳の姿を認識した猫は全て例外なくすり寄ってくるのだ。透巳は自身の猫大好きオーラが伝わっているからではないかと勝手に推測を立てて納得している。
だがこれは猫に限った話ではなく、ほとんどの動物に当てはまる。透巳は動物の中では猫が一番好きというだけで、動物ならすべからく何でも好きなのだ。
「すごいです。こんなに猫ちゃんたちに懐かれる人初めてです」
次は明日更新予定です。
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