穢れた愛、それでも遺したもの7
「じゃ、学校行こっか」
「え……」
髪を乾かし終えて制服に身を纏った透巳は唐突にそう言った。すると小麦は思わず目を見開き、ポカンとしてしまう。
これから学校をどうするか特に考えていなかった小麦も、流石に今日登校するとは思ってもいなかったのだ。学校に行ってしまえば当然梓紗と遭遇してしまう。そうなれば梓紗に何をされるか最早想像さえできないからだ。
「で、でも……梓紗が……」
「ねこちゃんが助けてって言ったから、その為に行くんだよ」
「……分かった」
そう言われてしまえば、透巳に何か考えがあると思い小麦は反論することなどできなかった。怖いという思いは当然あったが、ここで足踏みしても変わることなどできないと、小麦は自身を奮い立たせたのだ。
こうして透巳と小麦は黒猫を公園に帰した後、中学校へ向かうことになったのだ。
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あの時から梓紗は何も見えていなかった。
小麦をトランクルームに閉じ込めた時から、まるで全てが丸く収まったように感じていた梓紗は、両親から小麦のことを尋ねられても曖昧な返事しかしなかった。朝まで帰ってこなかった小麦のことを梓紗の両親は疑問に思っていたが、梓紗にはそれさえも見えていなかった。
だからこそ梓紗はトランクルームにいるはずの小麦に嬉々とした相好で会いに行った。だがそんな梓紗の笑顔は、トランクルームの鍵が開いている事実によってドミノのように崩れ去る。
「むぎ……?」
当然トランクルームの中に小麦はおらず、梓紗は思わず学生鞄を手から零した。何故小麦がいないのか。何故トランクルームの鍵が開けられているのか。梓紗はその全ての問いに対する答えを知っていた。
「あの男だ……あの、男……神坂透巳……」
梓紗は侮っていたのだ。神坂透巳という男のことを。梓紗は頭を抱え、綺麗に整えられた髪を掻き乱すと血走った目で透巳の名前を口にした。
「あの疫病神疫病神疫病神疫病神疫病神疫病神」
梓紗が小麦を逃がしてしまったのは透巳のことを侮っていたことだけが原因では無い。小麦は誰かに助けを求めたりなどしないと思い込んでいたからだ。
小さい頃から徐々に徐々に恐怖を植え付け、小麦が梓紗から逃げようとする気も起きないようにしてきた。だからこそ小麦は決して梓紗から離れないだろうと軽視していたのだ。
梓紗は何も見えていなかった。あの時から――小麦に出会ったあの時から。見ているつもりの小麦のことでさえも何一つ、見えていなかったのだ。
********
梓紗は学校に到着すると、急いで透巳と小麦の教室へ向かう。彼らが学校に登校している可能性は低かったが、明確に探す場所は限られてしまうので梓紗は取り敢えず確認に来たのだ。
もうすぐで朝礼が始まる時刻。梓紗は透巳たちのクラスを覗き、二人の所在を確かめる。梓紗の視線の先には緊張した面持ちで下を向く小麦と、こちらを見返してくる透巳の姿があり、彼女はその目を見開いた。
梓紗と透巳の目がバッチリと合った途端、透巳は不敵な笑みを浮かべて相手を挑発する。そして小麦の腕を引くと梓紗の元へ近づいていった。
その時朝礼の予鈴が鳴り響き、生徒たちは少しずつ席につき始めた。だが透巳たちはその流れに逆らい、朝は使われない生徒会室へと向かうのだった。
********
誰もいない生徒会室はカーテンが閉め切られていて、差し込む光は淡いものだ。先に生徒会室に入った梓紗は親指の爪を噛みながら一向に口を開こうとしない。
小麦は透巳の背中に隠れて震えるばかりだが、透巳の方はいつも通り冷静沈着である。
「ねぇ……」
「私今イライラしてるの。勝手に話しかけないでくれる?」
透巳は話を進めようと声をかけたが、梓紗はそれを冷たい声音で拒否した。だがそんな梓紗の気持ちなど透巳が考慮するはずもなく、彼は勝手に話を進めることにする。
「暴行、監禁が犯罪だってことは分かってるよね?そこまでの馬鹿じゃあるまいし」
「……何の話?」
「だから、今から警察に行けば君は終わりだよって話」
「飛躍しすぎていてよく分からないのだけれど、誰が誰にそんなことを?」
透巳と梓紗は探り探りで会話を始めた。梓紗は追及される側。だが透巳がどれだけの情報を所持しているのか把握できていない。だからこそ梓紗が最初に取るべき行動は無知を装って相手の出方を探ることしかない。それが仇となる可能性もあるが、これが彼女にとっての最適解だ。
「君がねこちゃ……じゃなかった、小麦にしたことだよ」
「私がむぎに暴行?監禁?何かの間違いじゃない?」
あくまで白を切る梓紗に透巳は苛つくわけでも、慌てるわけでもなく淡々とした表情を崩さなかった。
一方小麦はさり気なく透巳に名前を呼び捨てにされたことに当惑してしまい、この状況には似つかわしくない衝撃を受ける。
「被害者の小麦が君にやられたって言ってるんだけど」
「……そう。でもむぎは昔から虚言癖があるから、あまり全てを信じるのはどうかと思うのだけれど」
「虚言癖?」
「そう。でもむぎは悪くないのよ。むぎは小さい時に両親を亡くして寂しいの。私がいつでも一緒にいてその寂しさを埋めてあげようとはしているのだけど、それでも血の繋がった家族に敵う者はないのね。言い方は悪いけれどむぎは偶に嘘をついて皆の同情を買おうとすることがあるの。両親を亡くした自分を悲劇のヒロインだと勘違いしているの。だからそんな根も葉もない嘘をつくのよ、全部自作自演。私がむぎにそんな酷いことが出来る訳ないじゃない」
梓紗の口からペラペラと湧いて出てくる真っ赤な嘘に小麦は最早声を上げることも出来ない。よくもまあそんな口から出まかせを次々と思いつくなと透巳は感心さえしている。
だが確かに梓紗の言う様に小麦の嘘だと片付けてしまえばそれで仕舞いである。透巳は直接梓紗が小麦に暴力を振るうところを見たわけでもなければ、その証拠を持っているわけでもないのだから。
「それに、仮に私がそんなことをしていたとしてその理由は何なの?」
「そうだなぁ……例えとして一番適切且つ分かりやすいものとなると…………ヤンデレ?」
「……どういう意味、それ」
「そのままの意味。あれ、もしかしてヤンデレの意味知らない?」
透巳は全くもって大真面目なのだが、小麦や梓紗からすればとてもそうは思えず両者ともに当惑してしまう。小麦は梓紗が激昂してしまわないかヒヤヒヤし、梓紗は透巳がふざけているのかと思考を巡らせているのだ。
「そういうことじゃなくて、どうして私がヤンデレなのよ」
「いやそんなの俺に聞かないでよ。アンタっていう人間が元々そういう奴で、小麦を好きになってその感情が歪んだだけでしょ。寧ろ聞きたいのはこっちの方なんだけど」
「……要するに、私がむぎを独占したいから、閉じ込めたり暴力を振るったりしているってこと?」
「だって事実じゃん」
梓紗の質問は透巳からしてみれば、自分の性格が何故そうなってしまったのか尋ねているようなものなので、怪訝そうな相好で返した。
二人は互いに全く主張を譲らないので、話は結局同じところに戻ってきて無限ループに陥ってしまう。
「証拠もないのにそんな言いがかりされても困るんだけど。むぎ……他人に迷惑かけたら駄目じゃない」
「っ……」
あくまで小麦の虚言であるということで結論付けたいらしい梓紗に、透巳は小さくため息をついてしまう。一方、梓紗の冷たい瞳を向けられた小麦は身体が竦んでしまい、透巳の制服の袖をぎゅっと握りしめた。
「じゃあ君は小麦のことを友人以上の感情で好いているわけでは無いってこと?」
「当たり前じゃない。そもそも女同士よ?そんなことあるわけないのに、どうしてそんな考えに至ったの?」
同性愛者を差別するような発言に透巳は顔を顰めたが、今はそこを突っ込んでも仕方のないことなので苦言を呈すことは無かった。
(仕方ないか……)
透巳は大きなため息をつくと、小麦の方を向きその瞳をじっと見つめる。突然のことで硬直しながらもドギマギとしてしまう小麦は、思わず首を傾げた。
「ごめんね」
「えっ?」
小麦にはよく届き、梓紗には聞き取れるか聞き取れないかぐらいの音量で何故か謝罪してきた透巳。突然陳謝されたことに戸惑いを見せる小麦だったが、その謝罪の理由を尋ねることは出来なかった。
理由は二つある。一つ目は物理的に尋ねられなかったから。もう一つは聞く必要が無くなったからだ。
透巳は小麦の後頭部にそっと手を添えると、そのままその手を自分の方へ押し出し、彼女の唇をいとも簡単に奪ったのだ。
未知の感覚に小麦の時間は停止する。何をされたのか。何故されたのか。何も分からぬまま、ただ唇に伝わる柔らかく温かい感触に小麦は沸騰しそうな程顔を熱くする。
ファーストキスでも無いというのに、小麦はそれが生まれて初めての様な不思議な気持ちを覚える。いつも梓紗から与えられていた口づけは一方的で、優しさのある柔らかさも小麦は知らなかったのだ。
衝撃のあまり小麦は透巳の様子を知ることが出来なかったが、彼は小麦では無く梓紗の方に視線を向けていて、その行為自体には動揺の色が見られない。
口づけの瞬間、透巳と梓紗の目はバッチリと合っていて。まるで時の止まった二人だけの戦場のようである。
「っ!」
するとすぐに小麦を突き飛ばした透巳。肩に伝わる衝撃で後ろによろめいた小麦だったが、そこまでの強さでは無かったので倒れることは無かった。
ふと目を開け、透巳の方へ視線をやった小麦は目の前に広がる光景に言葉を失う。そして同時に透巳があんなことをした理由も、自分を突き飛ばしたわけも全て理解した。
透巳の顔すれすれにはカッターナイフの刃先が迫っており、彼がその刃を手で止めていなければ大惨事になっていたことだろう。透巳の手で覆われているカッターナイフは小刻みに揺れていて、彼の止める力と攻撃の力が競っていることが見てとれた。
カッターナイフを受け止めている透巳の右手からは血がぽたぽたと零れ落ち、生徒会室の床のカーペットに不気味な滲みを作っている。
「透巳くん!」
透巳にカッターナイフを向けているのは梓紗だ。彼女は透巳が小麦にキスをした途端ポケットからその武器を取り出し、透巳の顔目掛けて突き立てようとしたのだ。
憤怒のあまり血走った目を見開いている梓紗は目の前の存在を殺すことしか頭に無く、正常な思考が出来ていない。
「殺す……殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」
「うーわ…………無理だよ。俺アンタより強いし」
壊れた機械のように言い募った梓紗に、透巳は引いたような相好を包み隠さず露わにした。
梓紗は力を込めてカッターナイフをグイと動かす。透巳の手の中に納まっているカッターナイフが暴れると更に出血してしまったが、透巳は若干顔を歪めるだけで声を上げることは無い。
「むぎは私のものよ。むぎを愛していいのも、むぎを穢していいのも、むぎを支配していいのも、むぎに触れていいのも全部私だけなの。私のむぎなの。むぎは私のために産まれて私のために出会って、生きて、死んでいくの。アンタなんかに邪魔させない……絶対に殺す」
「いや、知らないし。アンタの気持ちとかどうでもいいんだけど。俺はアンタが小麦にしていることを警察に伝えて対処して欲しいだけだし。それも今解決したからアンタの喚きなんて誰も聞かないよ」
「……は?」
梓紗の歪んだ感情も主張もどうでもいいと言わんばかりの態度を見せた透巳。だが梓紗はそれよりも透巳が解決したと言ったことが引っ掛かり、ポカンとした声を上げると思わず手に込めていた力を緩めてしまう。
その隙にカッターナイフを抜き取って地面に捨てた透巳は、傷ついて血塗れになった掌を舐め始める。
「カッターナイフって意外と殺傷能力あるんだね。リスカ専用だと思ってたよ。普通に痛いじゃん」
「「……」」
平然としてはいるが痛覚が無いわけもないので透巳は恨めしそうに言った。透巳のカッターナイフに対する変わった認識よりも、梓紗たちは透巳の発言の意味の方が気になってしまい視線を送るばかりである。
「どういう意味?解決したって……」
「ん?あぁ、この生徒会室カメラ設置してあるから……ついでに言っておくとリアルタイムで俺の知り合いの刑事が見てるからどうせすぐに……」
サラッと言ってのけた透巳に梓紗は茫然自失としてしまう。カメラが設置されているということは今までの様子が全て記録されていたということになるので、梓紗の切り札であった証拠が無いという事実がひっくり返ってしまったのだ。
透巳が追い打ちをかけるように言葉を続けると、生徒会室に近づく足音が聞こえてきたことで梓紗はビクッと反応してしまう。
次は明後日更新予定です。
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