6.きんせんか
アパートの近くにある小さな商店街、昼過ぎの時間だからか、そこそこ人通りがあった。
子供連れの女性が多く、店先に並んだ魚や野菜を選んでおり、今日の夕食の買い物をしているのようだ。
『きんせんか』という店は、商店街のちょうど中央辺りにあるいわゆる小料理屋といった小さな店だ。
唯香が引き戸を開けて中に入って行ったので、私もついていく。
「あー、お客さん? すみません、まだ準備中なんですよ」
カウンターの中に三十歳半ばほどの落ち着いた着物に割烹着をつけた女性が作業をしていた。
「準備中に申し訳ございません。この店の女将さんですか?」
「……ええ、そうですが」
突然やってきた私達に彼女は不審そうな視線を向けてくる。怪しいと思われるのは仕方がない。
「お聞いしたい事があるのですが、少しお時間よろしいですか?」
女将さんは不思議そうに首を傾げた。
「なんでしょう?」
「この店に早坂 武夫さんがよくいらっしゃっていたと聞いたのですが」
「早坂さん? え、ええ。たまにいらっしゃってますが。それが何か?」
自分のことではないと安堵したのか、女将さんの表情が少しだけ和らいだので、唯香は心配しているという表情を作る。
「実は、私は早坂さんの勤め先の者なんですが……ここ数日彼が無断欠勤をしているんです。
先ほど、ご自宅にも伺ったのですが誰もいらっしゃらず。
そうしましたら、早坂さんがここによく来ていたと聞きましたので、何かご存知ないかと思ったのですが」
「早坂さんが? それは、心配ですね」
「はい」
女将さんは少し考えるような素振りする。
「お役に立てるか分からないけど……、早坂さんは困っていたみたいよ」
「困る?」
「ええ。詳しくは知らないけど、早坂さんの娘さんが大きな事故にあって……ほら治療費とか色々かかるでしょう? 変な所からお金を借りるんじゃないかって、心配してたのよ」
「お金に困っていたんですね」
「そうみたい。もし自宅にいないんなら、借金して返せずに一家で夜逃げでもしたのかもしれないわ」
女将さんは心配そうにため息をついた。
娘の治療費のためにお金が必要だった早坂さんは、勤め先からお金を盗んで逃亡したということか……。
神城様の資料には、娘の事故などの事は一切書かれていなかった。調べきれていなかったか、もしくは意図的に書かなかったのか……。恐らく後者でしょうね。
「早坂さんが他に親しくしてた方などをご存知ありませんか?」
唯香の質問に女将さんは首を横に振る。
「さあ、わからないね。この店にも一人でしか来なかったからね。店のお客さんとも話してたりはしたけど……親しくまではねぇ」
「そうですか」
女将さんとの会話を終えると私達は車に戻った。車を発進させた唯香が質問をしてくる。
「何かわかりましたか?」
「いいえ」
女将さんを視ても有力な情報を得ることはできなかった。
「そもそも私の力はこういう人捜しには不向きなのよ」
嘆息した私に、唯香は驚いたように目を見開いた。
「まさか。失せ物探しの仕事もよく受けていらっしゃるじゃないですか」
「それとこれとは違うの。
私の力は、依頼主が心の底から必要としていたり、心配をしていたりという前提がないと上手く未来の結果と結び付かないのよ」
私の能力は人の数多ある未来の断片を視るというものなわけだが、なんでもかんでも選んで視られるわけじゃない。
特に視た相手の強い思いに関わる未来を視ることが多いのだ。
「それは……神城様が本気で早坂さんを捜す気がないということですか?」
「でしょうね。神城様にとって三千万圓くらいどうという額じゃないのよ。ただ、私と識術師が争っているのを見て楽しんでいるだけだから、神城様を視ても早坂さんの居場所に示す未来は視えなかった」
タチが悪く怖い男だ、神城様は……。
「でしたら、こんな勝負お断りすれば良かったのでは? 霊術師はそんな事をするために力を使っているわけではありません」
唯香は少し苛立っているようだが、私も同じ気持ちだ。
「仕方ないわ、神城様は大切なお客様だもの。それに……」
私は識術師の赤津という男の目を思い出す。あの男にタダで負けるのは癪に触る。
言葉を止めた私に唯香が不思議そうに聞いてくる。
「それに?」
「いえ、何でもない」
私は慌てて首を横に振った。あの男に心を乱されてはいけない。
勝ち負けなど、どうでもいいと思わなければ。
「天音様、次はどこへ?」
「そうね……。とにかく片っ端から視るしかないわ」
考えただけで憂鬱になる。
早坂さんの勤め先の関係者、早坂さんの奥様の知り合い、娘さんの友人などなど、私はとにかく片っ端から視ることにした。
どこかで早坂さんと繋がるものがないかと思っていたのだが、やっと見つけたのが娘さんが事故に遭った時に治療した医師だった。
この医師の知り合いの闇医者に、早坂さんの奥様が大金を持ってくるという未来を視た。
この未来に辿り着くのに三日掛かってしまった。
私と唯香はこの闇医者を監視することにし、更に二日後……やっと早坂さんの奥様を見つけた。
闇医者の医院は、繁華街の裏路地にある。地味な灰青色の着物を着た背の低い女性が大きなカバンを持って裏路地に入って来た。
唯香が彼女の前に立ちはだかる。
「早坂 花枝さんですね?」
彼女は突然話しかけられビクッと身体を震わせた。小動物のように怯えた目でこちらを見てくる。
「あなた達は……」
「あなたの旦那様の勤め先の関係者です。そちらのお金がどういったものかご存知ですか?」
冷たく言い放つ唯香に花枝さんは動揺して目を泳がせた。自分の夫がしたことを知っていて、罪悪感があるようだ。
「そちらのお金を返却していただけますね?」
花枝さんは鞄をギュッと抱え込むと今にも土下座しそうな勢いで頭を下げた。
「お、お願いします。このお金がないとあの子が……娘が一生歩けなくなってしまうんです。お願いします!! 見逃してください……!!」
必死な様子を見ると、とても気の毒に思うけれど、だからといって今回の行動は間違っている。
私は彼女にできるだけ淡々とした口調で語りかけた。
「早坂さん、そのお金はあなたの旦那様の勤め先の従業員のお給料でした。そのお金を盗むという事がどういうことかお分かりですか?」
「そ、それは……」
あからさまに動揺して目を泳がせる早坂さん。こちらが悪者のように思えてしまう。
「給料日にお金を受け取れなかった方の中には、大変な思いをされた方もいらっしゃいました。
ある従業員さんは、両親の借金を返すために頑張っておられました。しかし、給料が入らず返済が滞りそうになり、危うく娘さんが借金取りに連れて行かれるところでした。
旦那様がされたことは、とても傲慢なことです。
全ての不幸を背負っているのがご自分だけだとでも?」
彼女は悔しそうにギュッと唇を噛む。
「お気持ちは分かりますが、罪は罪です」
最後の覚悟が崩れてしまった花枝さんは力なく座り込み、声を出し泣き始めた。悲痛な声はとても辛い気持ちにさせる。
娘を思って罪を犯してしまった。
同情すべき点はあるが、だからといってやっていいことではない。
それが恐ろしい結果に結びついてしまうのだから。
「これをお渡ししておきます」
私は彼女にメモ紙を差し出した。
「これは……?」
「ここに行けば、あなたの娘さんが救われる可能性があります。あなたと娘さんの未来に幸があらん事を……」
彼女は涙をポロポロと流しながら、メモ紙を受け取った。
唯香にちらりと視線を向けると、彼女は花枝さんから鞄を渡してもらえたので、私は思わずホッと息をはいた。
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「いやいや、良くやった!」
花枝さんからお金を取り戻した後、私は改めて神城様の屋敷に訪れていた。机の上に、盗まれたお金が積まれている。
彼はとても上機嫌だ。
「ありがとうございます」
私が頭を下げると、神城様の表情が一変して無表情に変わる。
「だが私の依頼は、お金を取り戻す事と早坂を見つける事だったと記憶しているが?」
「……申し訳ございません」
彼の鋭い視線に背筋が寒くなる。やはり財閥を率いる総帥。威圧感が尋常じゃない。
「ふむ、まあいい。そっちもいい報告が聞けそうだからな」
威圧感はおさまったものの、私は彼の発言が気になった。その瞬間、ノックの音が耳に入ってきた。
「入れ」
神城様の言葉で扉が開いたため、私も扉の方に視線を向ける。
部屋に入って来たのは、識術師の赤津様と若い男性に腕を掴まれている年配の男だった。
「早坂さん……」
若い男に腕を掴まれていたのは、お金を盗んだ早坂 武夫だった。