3.婚約者との関係
客間の前に到着すると落ち着くために、まず大きな深呼吸をする。
婚約者の大樹様に会うと、どうしても姉様の最期の言葉と眼差しを思い出し、心が痛くなる。
会いたくないわけじゃない、ただ悲しくなるのだ。
意を決して私は声をかけた。
「天音です。失礼いたします」
「どうぞ」
穏やかで低音の優しそうな声が返ってきたので、私は襖を開く。
「ただいま戻りました」
笑顔で迎えてくれたのは、久龍 大樹様。
姉の元婚約者で幼馴染、現在は私の婚約者である。
闇夜のような色の少し長い髪と瞳、優しげな目元、背が高く物腰が柔らかい印象を与える人で、私より四歳上の二十三歳だ。
濃紺で無地の慎ましやかな着物を着てる。
「お帰り、天音」
「お待たせいたしました」
彼は座布団に座っていたので、私も向かいに座る。
「今日は仕事だったのかい?」
「はい」
「そうか。天音の噂は耳に入っているよ。とても評判が良いようだね」
「ありがたいことです」
霊術師にとって評判は大切なものだ。悪い噂が立てばそれだけ顧客を減らす。逆にいい評判ならば紹介などを通じて顧客が増える。
単純な話で、良し悪しがいつの間にか評価され、必要とされるか切り捨てられるか、ふるいにかけられる。
「君を見習って、私も頑張らなくてはね」
大樹様は私と同じく霊術師だ。
力のある霊術師として代々犬塚家と双璧をなす久龍家。
九龍家の現当主の次男であり、とても優秀な人だ。
優秀であるがゆえに、姉の婚約者として犬塚家に婿入りし、この家を継ぐに相応しいと選ばれた人。
そして姉様の死によって私との結婚を余儀なくされた可哀想な人でもある。
「私の方が霊術師としては先輩なんだ。困ったことがあったら相談に乗るからね」
「ありがとうございます。今のところはそのようなことはありません」
「そうか……」
彼は少し残念そうに肩を落とした。
大樹様はとても優しい人だ。姉様が亡くなった後、真摯に私と向き合おうとしてくれている。
姉様と私に対する扱いに差を感じたことはない。清廉潔白な婚約者、思いやりがあって誰にも分け隔てなく優しい人。
彼はずっと優しいままで向き合い続けてくれるだろう。
「噂で聞いたんだけど、最近この近くで外つ国の甘味が食べられる店ができたらしいんだ。
天音、甘いものが好きだろう。一緒に行かないかい?」
だから、こうやって我が家に来てお出掛けに誘ってくれる。
誘われた私は、うなづくことを選ぶのだ。
「ええ、ぜひ食べてみたいです。でも甘いものが好きなのは大樹様もですよね?」
彼は気まずそうに視線を彷徨わせた後、軽く咳払いをする。
「まあ、そうなんだけど。駄目かな?」
「いいえ。大樹様が甘党なのはよく存じてます。ご一緒いたします」
「それは良かった。じゃあ、行こうか?」
「はい」
私と大樹様の仲は良好だと思う。
罵り合いや争いをすることもない平和な関係だが、とても歪なものに感じる。
本心を隠し、お互いの間に一線を引き、それを決して越えはしない。
これは大樹様だけのせいじゃない。
姉が亡くなってから、私も彼の目を真っ直ぐ見られなくなった。
罪悪感が押し寄せ、いつも少し視線をズラしてしまう。
だから私達は婚約者同士というだけで、それ以上でもそれ以下でもない。
その証拠に彼は婚約してから一度も私に触れたことがない。
幼い頃は、頭を撫でて褒めてくれたこともあったのだが……。
家を出た後、車に乗り大樹様と共に外つ国の甘味が食べられる店に向かった。
そのお店は最近この国でも増えてきている西陽国風の建物で、可愛らしい赤煉瓦造り、入り口の側に色とりどりの綺麗な花が咲いた花壇が並んでおり、外にまで甘い香りが漂っていた。
「いらっしゃいませ」
店の中に入ると若い女性が出迎えてくれる。
明るい色の着物に真っ白なフリルのついたエプロンをつけていて、とても可愛らしい。店員さんに案内されて、私達は一番奥の向かい合わせの席に座った。
「ここのシュークリームという甘味が人気らしいよ」
「でしたら、それを食べてみましょうか」
大樹様の情報を元に紅茶とシュークリームを店員さんに注文する。しばらく待っているとそれらが運ばれてきた。
温かい紅茶の芳しい香りと食欲をそそる甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
シュークリームを口に運ぶと、キツネ色の香ばしいサクッとした生地の中に、薄黄色の甘くてとろりとしたクリームが入っている。今まで食べたことがないような濃厚なクリームの甘さが口の中に広がった。
「美味しい……」
「本当だね。この生地とクリームはとてもよく合っている」
「ええ」
とても気に入ったのか、彼はあっという間にシュークリームを食べ終わってしまった。しばらくの間、初めて食べた甘味の感想を言い合っていたのだが、ふと思い出したかのように大樹様が話し始めた。
「そうだ。天音は、信叔父さんを覚えてる?」
「大樹様のお父様の弟さん……確か、猿渡 信忠という名前でしたよね?」
私が首を傾げると大樹様は頷いた。猿渡様の情報を頭の中で思い浮かべた後、端的に彼の状況を言葉にした。
「久龍家の分家にあたる猿渡家に婿入りしたんですよね?」
信忠様は年齢よりも歳上に見え、目が細く狐のような容貌の男性だ。あまり前に出て目立つことをするような性格ではなく、どちらかといえば気弱な人物。
失礼な話だけど、霊術師としての才能は凡庸と言われており、それが彼の気の弱さを助長している。
「その通りだよ。実は猿渡家の仕事がどんどん減っているという話を耳にしてね。それで調べてみたら、ある家に顧客を奪われていたんだ。
赤津という識術師を生業としている家でね。天音も仕事を続けていれば、いずれどこかで会うことがあるかも知れない……充分気をつけて」
識術師、また出てきた名前だ。最近の流行りなのだろうか?
話で聞いたことはあるが、今まで会ったことがないので、どんな感じなのかさっぱりわからない。
「大樹様は、識術師にお会いになったことがあるのですか?」
彼の表情が少し険しくなった。
「……そうだね。私が会った識術師は、何というか……鷲のような印象を持つ男だったよ。自信に満ち溢れているというかね」
その表情を見るに、あまりいい出会いというわけでは無かったようだ。
彼がこのように人を評するのは珍しい。
一体どんな男だったのだろう?どちらにしろ癖のありそうな人物であることは確かみたい。
「もし、お会いする機会があれば気をつけます」
「ああ。その方がいいよ」
識術師に会う会わないはともかく、正直どうでもいい存在だ。
私は霊術師としての責務を全うするのみ、ただそれだけの為に生きていくべきなのだ。
例え自分の気持ちを心の奥底に沈ませておかなければならないとしても、これだけは守らなければならない。
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