2.霊術師の犬塚家
我が犬塚家は代々霊術師としての務めを果たしてきた。
霊術師とは超自然的な力を使い、請け負った仕事を完遂することで報酬をいただく職業だ。
政財界の名のある著名人の中には霊術師を必要とする人が多く存在し、霊術師は顧客の要望に応えることを生業としている。
「さすが犬塚家の跡取りだな。君の力は本物だ」
現在私の目の前には、上品で高級感のある市松模様の着物を着た白髪混じりの渋い男性が座っている。
温和な雰囲気に見えるが、実際は一癖も二癖もある人物だ。
彼の名は神城 光康。
この国を代表する神城財閥の総帥であり、政財界を牛耳っている男の一人。
ここは彼の屋敷の執務室。
壁一面の棚には、様々な書物が並べられており、大きな机の前に座っている神城様はにこやかな笑みを浮かべている。
代々神城家は犬塚家を霊術師として重宝していた。
今年にはいって、父の代わりに神城家の仕事を請け負うことになった私は一度目の仕事を成功させたばかりだ。
「お褒めいただきありがとうございます」
神城様に向かって頭を下げると、彼はニヤリと笑みを浮かべた。
「君は父親に負けず劣らずといったところだな……、才能というのは恐ろしいものだ」
「いえ、私など若輩者にございます」
「謙虚なものだな。君の父親は、自分より娘の能力の方が高いと言っていたぞ」
「身に余るお言葉です……」
その評価は嬉しいものであったが、自分自身まだまだという思いが強い。
「ところで犬塚、識術師という者たちを知っているだろう?」
突然だったが、特別驚く質問でもなかったので、うなずいた。
「ええ、存じております」
識術師とは、霊術師と対をなす存在である。
彼らは膨大な情報や人脈を使って、様々な仕事を請け負い報酬を得る職業だ。
一般人には感じたり見たりできない超自然的な力を使う霊術師よりも、現実的な情報や人脈を元に顧客の要求に応える識術師を信用する人が時代の流れとともに増えた。
その結果、識術師と呼ばれる者達の勢力が近年、特に拡大してきたのである。
「君は彼らをどう思うかね?」
「……特には何も。私達と彼らは似ているようで全くの別物です。どちらに仕事を任せるかは、お客様の自由ですので」
識術師の勢力が拡大したことによって、そこそこ力のあった霊術師の家が、依頼主を奪われたという話はたびたび聞こえてくる。
だからといって、識術師達を糾弾するつもりはない。世の中は競争社会で、勝者がいれば敗者もいる。
そう考えていると、ふと神城様が何かを企んでいるような笑みを浮かべていた。
とても嫌な予感がするが、その笑みは直ぐに穏やかな表情に変わった。
「まあ、それはいい。これは次の仕事だ」
手渡された資料を受け取り読み始めると、神城様が口頭でも説明を始めた。
「不動産投資の話だ。その一帯で国が大掛かりな開発をするらしい。私にも投資の話がきたんだが……迷っていてな」
「では、この投資の件を視るということですね」
「ああ。その通りだ」
一度うなずいた後、神城様に向かって手をかざす。手の平に集中するとだんだんと熱を帯びてくる。
私の能力は、相手の様々な未来の断片を視るというものだ。数多ある未来のカケラから、最善の道を予測する。
「……こちらの場所は、凶と出ております。神城様の吉は南にあり。
潮の香りがします。海…でしょうか。大きな船が幸運を運んでくるでしょう」
手を下げると、神城様は嬉しそうに手を叩いた。
「なるほどなるほど!迷っている理由はもう一つの大きな投資話との兼ね合いだ。外つ国からの輸入船の関係でな、一枚噛んでみるのも面白いかも知れん」
「そうでしたか。そちらの方がよろしいのではないかと思います」
「ああ、君を信じよう」
神城様はうなずき満足気に笑った後、誘いの言葉をかけてくる。
「そうだ、犬塚。これから一緒に食事でもどうだ?」
申し訳なく見えるように私は静々と頭を下げた。
「申し訳ございません。この後約束がございますので……」
「それは残念だ」
言葉とは裏腹に全く残念そうな様子を見せることなく、神城様は立ち上がった。
「前回の報酬はいつも通りにしておく」
「ありがとうございます。では、失礼いたします」
お辞儀をした後、部屋を後にする。
執務室から玄関に向かうまでの距離が長く、彼の屋敷は広い。もちろん屋敷内を自由に歩き回れるわけはなく、監視が付いている。
話しかけてくることはないが、何かおかしな真似をすればすぐに捕らえられるだろう。
緊張感がただよう屋敷を出た後、門前で待機していた自家用車に乗り込んだ途端、私は安堵した。
「天音様、お疲れ様でした」
「ええ……」
犬塚 天音、それが私の名前。
声を掛けてきたのは運転席に座る若い女性。
彼女は十歳上で私専属の運転手をしている芦馬 唯香だ。
頭一つ分くらい私より背が高い女性で、黒のスーツを着てる。
猫のように吊り上がった目をしているため性格がキツそうに見えるが、実際はとても優しい人だ。
思っていたよりも疲れが出たのか、私は嘆息する。
「大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫よ。けど神城様に会うのは、やはりまだ緊張するわ」
「相手は表も裏も知り尽くしたお方ですから、仕方ありません」
神城様は油断ならない相手だと父からも注意を受けている。
楽しいことが大好きで、驚くようなことをさせられたりするらしい。
今のところは、その予兆がなかったので安心していたが、今日の様子では何かを企んでいるように見えた。
今考えてもどうしようもないが、余計に疲れた。
頭を空っぽにして、ボンヤリと外を眺める。
我が和照国は、海に囲まれた島国だ。近年、開発事業が盛んに行われている。
道路や交通機関が整備され、路面電車や乗合バスなども増えた。
外つ国からの輸入品も増え、主流だった着物からワンピースやスーツといった海を越えた西陽国の服が増えてきており、それらは総称して洋服と呼ばれている。
着物も落ち着いた柄のものから、色彩鮮やかなものが若い女性に人気になり、女性達もお洒落を楽しみ始めている。
今私が着てる着物も大きな牡丹が描かれた色彩豊かなものだ。
霊術師というものは依頼主に見下されてはならない。
だからこそ装いも化粧も上品に、気高く見えなければならないのだ。
「そろそろ到着致します」
窓の外に見覚えのある景色が通り過ぎていく。
幼い頃に遊んだ公園、友人達と学校に通った通学路、そこを過ぎれば自宅が見えてくる。
犬塚家は神城様の屋敷には大きさも華美さも敵わないが、歴史を感じさせる瓦屋根のそこそこ大きなお屋敷と呼ばれる類の建物だ。
玄関の前に車が停まり、降りた後、家の中に入る。
「天音お嬢様、お帰りなさいませ」
玄関で出迎えてくれたのは、家政婦の新田 芳江さん。我が家で働いて三十数年余り、私にとっては第二の母くらいの存在だ。
髪をきっちりと結い上げており、タレ目は優しい彼女の性格を表している。
「ただいま戻りました、芳江さん」
「天音お嬢様、大樹様がいらっしゃっておりますよ」
芳江さんはニコニコと嬉しそうに伝えてくる。
「……そう。客間?」
「ええ、お待ちになっておられます」
「ありがとう。すぐに行くわ」
私は芳江さんに別れを告げて、応接室に向かった。
久龍 大樹は、私の婚約者である。