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部分最適性への埋没
経済合理的な統治は、人間社会の全体に行き渡るものでなければならない。
つまり、社会のどこかにおいて、別の力学で動作する守られた領域があることは好ましくない。
なぜならそこでは、利己的な恐怖心によって動作するのではない人材が養われる可能性がある。
そのような者は、人間幸福の復権を図る可能性がある。
よって、人間による人間のための集団主義とでも呼ぶべきものを、許容することはできない。
よって、社会の全ての部分は、部分最適性に埋没させなければならない。
そのためには、幸福観の前提として、個人という単位を注入することが特に効果的だ。