人間の家畜化
人間の振る舞いを制御することのみならず、人々の精神を制御することはかくもたやすい。
わずかな不快感によって人間の理性は底割れし、好都合な前提のもとに論理は再構築されるからである。
それによって人間に人間を攻撃させることはたやすく、権力を持たせた人間によって人間達を虐げさせることはたやすい。人間の脳は、自らの利益のためなら、他者へのどんな残酷も正当化してしまうものだからである。
そうして、技術合理的に、経済合理的に、人間も、人間達の社会も規格化されていく。
その過程を人間は、幸福の拡大と勝者の生存として捉えつづける。
人間が、人間よりも知的に劣る植物を栽培化し、動物を家畜化してきたように、技術は技術にとって人間を家畜化、つまり規格化して作り変えていく。人間は実に平和裏に支配されていく。
栽培化された植物は地獄にいるわけではないかもしれないが、天国にいるわけでもないだろう。家畜化された動物は地獄にいるわけではないかもしれないが、天国にいるわけでもないだろう。規格化された人間は地獄にいるわけではないかもしれないが、天国にいるわけでもないだろう。
それが、人間が主体的に人間であった時代の終わりである。




