貴族主義の廃絶
経済合理的な人間の規格化を進展させるためには、経済的地位の優劣を幸福と尊厳の優劣と見なす権威主義が民衆において行われねばならない。
すなわち、経済的な成功以外の属性によって尊厳が認められる人々の存在は好ましくない。
よって、経済的に成功しつづける以外の方法で特権を握る人々があってはならない。余暇は、部分最適性への埋没から精神が離脱する機会をもたらすからである。
よって、貴族主義は廃絶されるべきものである。
経済合理的な市場競争を活性化させるためには、貴族的特権からもたらされる市場規制は取り除かれねばならない。社会的な尊厳の上でも、利己的取り引きが侮辱に晒されることは好ましくない。よって、民衆は経済市場の単位として平等と見なされるべきである。
行政を担う役人についても、その行動は担当するサービスに従事することの対価としての賃金によると見なされるべきであり、経済的な利己的行動を超越した利他性に積極的な尊厳の価値が認められる事態は妨げる必要がある。
高貴な人間性という概念は次第に消去されるべきであり、高貴な人々の存在もそうである。いかなる経済的地位にあるものであれ、私的利益追求という意味では、等しく動物だと見なされることが望ましい。
そのように、人間全員が平等と見なされることによって、人々を部分最適性に埋没させることができるのみならず、人々は、自らが部分最適性に埋没していることを、わずかにも恥辱だと感じなくなる。