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自神喪失  作者: こしょ
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冒涜

 何日かかけて、たまたま、とある旅館に住み込みの仕事を手に入れた俺だったが、生活が安定するまでに少し時間がかかってしまった。前職での給仕の経験が生きたのか、それとも外見のおかげか知らないが、ありがたくも給料は最初からそこそこいいように思える。都会だからかもしれない。作業も大変ということもないし、ただ客との会話が難しくて、俺がなんて言ったら怒られてしまうものだから、自分としてはありえないほどおしとやかにしていないといけないのが苦痛ではある……。


 ようやくコロシアムについて調べ始める余裕を持った。仕事が終わって狭い自室に戻り、長く伸びた黒髪を後ろで無造作に結び直しながら、机に置いておいた街でもらったチラシに目をやった。


『8月1日、バートンVSアンドレ』とデカデカと文字が書いてあり、迫力を感じるイラストがついている。バートンというのは私生活を含めてかなりのヒールで有名のようで相対的にアンドレというのが持ち上げられているが、別にそっちにしたって正義の人というわけでもない。どちらも大柄で、筋肉質で、大きな武器を振り回して戦う派手なタイプであると思われる。


 どんな相手でも俺の敵ではないのは間違いない。万が一遅れをとるような相手がいるとしたら、そいつも神になるような英雄的存在か、神そのものぐらいだろう。



 俺はコロシアムの受付まで来た。でっかい建物で数千人から一万人は収容できるだろう。賭けも行われていてそれは極めて大きなビジネスというわけだ。そのかわり治安が悪い。私が歩いている時もスリだという大声が聞こえ、痩せた男が走っていく背中を目撃した。警官が一人追っかけていたが、はたして捕まえられたのだろうか。いわゆるダフ屋も多くいて、怪しげな男が私にも声をかけてくるのだが、全て断った。別に試合が見たいわけではない。ふと建物を見上げたら、大歓声が響いた。太陽が眩しくて少し汗をかいた。



 入り口手前にある入場券売り場のメガネをかけたおばさんが、今日の一仕事を終えたところで気の抜けたような顔をしている。俺は近づいて声をかけた。


「や、お疲れ様だね。ちょっと話を聞きたいんだけど、このコロシアムで剣闘士になろうと思ったらどうしたらいいかって、わかるかな?」


 彼女は胡散臭いものを見るようにこちらを一瞥しながら、急に手を素早く動かして、雑に散らばっていた小銭をまとめ始める。


「悪いけど、あたしはただ雇われてるだけだから、そんなことは知らないねえ。うちの上司に聞けばわかるんじゃないかね」


「上司ってのはどこにいるんですか」


 売り場の奥の方を覗くと忙しく働いている男女が何人かいるのは見えるが、彼らではないのだろうか。

「今はもうイベントが始まってるからね。会場のどこかにいるんじゃないかね」


「……じゃあ中に入らないと……」


「入場券はもうないよ」


 にべもなく言われて、がっかりしてしまった。



 諦めきれずになにかないかと少し周辺をウロウロしていたら、また歓声が上がった。恨めしげにそちらをぼんやり見ていると、裏口のような扉がバン!と大きな音をたてて開き、中からタンカに寝かせられた男が現れた。二人の男に運ばれて、また別のひとりの女が付き添って心配そうにしている。よく見ると手足がそれぞれ一本ずつ変に曲がっていて、どうやら骨折をしているようで、さらにその体つきや無数の傷などを見ているとどうやら彼は剣闘士であるらしい。鎧を着こんでいたようだが、それは脱がされて服はボロボロで半裸のような状態になっている。


 これは千載一遇の好機、と思って彼に近づいた。どうやら病院がすぐ近くにあってそこに運ぶつもりのようだが、それを呼び止めた。


「ちょっと、待ってください。彼は怪我してますね」


「見てわかるでしょう! どいて!」と女が悲鳴のように言った。


「私が治せます。ちょっと触らせてください」


 と、俺は返事も聞かず無理矢理割って入って横になっている男に手を触れた。柔らかい光が発せられ、気持ち悪いぐらい曲がってた足が治っていったが、その光景もそれはそれで気持ち悪かった。頭を手で覆っていた男の息が静かになって、痛みが薄れていったのだろうと想像がついた。


「大丈夫!?」と女が心配と動揺のあまり、怪我していた場所に手を触れると、気絶していた彼が反射的に跳ね起きて、そのせいで落ちそうになった。


 慌てて、タンカを担いでいた二人がそれを下ろし、道の脇に設置してあった長い椅子に彼を寝かせた。


「あなたはいったい何をしたの!?」彼女は今度はこちらに向かって泣きそうな顔を見せた。


「まあ、落ち着いてください。すぐ元気を取り戻すと思うんですが。君、起きても大丈夫だよ」


「いったい……俺は」と無理に自分で自分を持ち上げるようにして今度はゆっくりと上半身を起こした。「体が痛くない。まだ……戦える……」


「ニスバ……! 平気なの? あなた、今、完全に手足が折れてたのよ。もう戦いは終わったの……」


 タンカを担いでいた二人が困ったように俺に話しかけてきた。


「どうなってるんです?これは?」


「もう病院に運ぶ必要はないよ」


「あなたは医者なんですか?」


「まあ、そんなようなもんさ。お前たちは?」


「私たちはただのスタッフです。けが人を運ぶことだけのために雇われた」


「なら、戻りなさい。もう用はないよ」


 腑に落ちないようではあったが、彼らはおとなしく立ち去った。このニスバという剣闘士は実力的に前座の前座で、あとで苦情さえ来なければ、はっきり言って彼らとしてはどうでもいいような存在だったようだ。



 ニスバとその妻は、怪我が治った戸惑いと、それ以上に負けたことのショックでしばらくお互いの手を握ったままうなだれていて、こちらから声をかけるまで俺のことを忘れてしまっていたようだった。


「わけがわかりませんが、あなたにはお礼を言うべきなのでしょうね。本当にありがとうございます」


 と彼はこちらに向き直って言った。


「そのとおり。俺はレナス。人間の守護神、レナスだ。悪いけど、恩を着せさせてもらいたいんだよ」


 ニスバという男は、おそらく30歳前後で、浅黒く日焼けして、背は高くないが骨太で、ただちょっと栄養不足というような印象も受けた。その彼が不思議そうにこちらを見ながら言った。


「はあ、神様……ですか? ですが申し訳ないけど、お金はないんです。負けてしまったので、無一文ですよ」


「金はいらない。ただちょっと説明は省くけど、このコロシアムに出場したいんだ。それを手伝ってほしい」


「御冗談を、どれだけ過酷なのかご存知ではないのですか? 鎧を着てすらその上から骨を折られるほどの戦いですよ。そう、私もたった今……」


「いや、言っちゃ悪いが、俺はお前とは桁の違う強さだ。それどころか、今まで存在した人間の誰よりもな」


「そんな馬鹿な、だって、だってあなたは……」といって彼は息を飲んだ。「だってあなたは女じゃないですか。それも……その……体格だって普通だし。こんな、戦いなんてあなたのような人がしちゃいけませんよ」


「いつもそう言われてるから慣れてしまったよ……。試しに、ちょっと君の手をつかむから、振り払ってみてくれないか?」


 ニスバは気まずそうな顔をして軽く振りほどこうとしたが、動かない、まったく動かないのだ。あまりにも予想外すぎて、彼はまた変なふうに腕をひねってしまった。それは治してやった。


「動かない……全然動かない!」


 あんまりにもいろんなことがありすぎて、その精神的衝撃でニスバはひざまずいた。


「ああ、神様、いったい私はどうすればいいのでしょう?」という言葉は天界にいる方の俺ではなく、目の前の俺に言ったものと解釈させてもらう。


「だから言っただろ、協力してほしいんだ」


 そろそろ日は沈んでいく。彼の奥さんは話についていけずに立ち尽くしていたし、たまに通行人が不思議そうにこちらを見ながらも、そのまま通り過ぎていった。



 ニスバの家は下町のような少し薄汚れた場所にあり、いかにも二人が身を寄せ合って暮らしていたというような小さなものだった。彼と妻のメニーはこの町で育ったが、どちらもあまり恵まれた環境ではなかったようだ。


「だから、一発逆転と思ってコロシアムに入ったはいいものの、やっぱりそう簡単じゃなかったですよね」と家の椅子にかけて、彼は明るく笑った。「私はずっとガキ大将だったんですよ。喧嘩だったら誰にも負けたことがなかったんですよ、これでも」


「ふふっ、俺が見た時はいきなり負けてたからなぁ、でもまあ、大丈夫、俺が勝ったらその報酬は全部お前のものでいいよ」


「それは悪いですよ、まあ、半分でどうですか、半分で」


 彼と話していると、メニーがお茶を出してくれた。ちょっとぬるくて味は薄かった。


「ありがとう、メニーさん。でも実際、どれだけもらえるもんなんだ? お金には疎くてよくわからん」


「うーん、一番上まで行けば一回勝っただけで人生を遊んで暮らせるぐらいはもらえるはずですねえ。私のようないっちばん下の方だと少ないけど、まあそれでも普通の平均年収ぐらいはもらえますよ、一回で」


「そんなに」


「ただし、もちろん命の保証はありませんから。そうそう死ぬまでやることはないにしても、一戦で再起不能にされて終わりなんてことはありますからねー私も危なかったです」


「ほんとだよ。俺が言うのもなんだけど、真面目に働くのが第一だぞ」


「へい、反省してます……」


「ほんとに、私もびっくりして、動転しちゃって、見苦しいとこをお見せしちゃいました」


 と言ってメニーが笑う。さっきは確かに鬼気迫る様子だったし、俺自身も客観的に見れば非常識というか怪しい人間にしか見えなかったと思うが、今になって改めて見ると彼女はとても可愛らしい娘で、ニスバにはもったいないのではないか?とは思ったが言わないことにした。



 日を改め、コロシアムでニスバのマネージャーをしていた者を紹介されて、無事に参加できることになった。しかし、ちょっと俺の気に食わないのは、


「いかにもか弱そうな女の参加だが、一向に問題はない。というより新しくて、面白い」


 という言葉であった。そしてその言葉の後に命を失ってもけして文句を言わないという誓約書を書かされたこと。あの胡散臭い男は、剣闘士のことなど考えていない。儲けだけだ。


 ちょうどよくスケジュールが噛み合ったのですぐに戦うことができるのだが、問題は仕事である。このコロシアムは集客を考えれば当然週末に開催される。私の戦いももちろん週末である。そして私の旅館の仕事が一番忙しくなるのも週末なのである……。しょうがないので、「とにかく一日だけでいいので」、と無理を言ってその日を休みにしてもらう代わりに、それまでの日はほとんど毎日仕事になってしまった。


 こんな準備不足で戦おうなどと、相手への無礼ではないかという気がしなくもないのだが、やむを得ない。不安なわけではなく、戦いに集中できないのが残念な気がする。だけど仕方のないことだ。いいんだ、ハンデなんだ、これは、と無理に納得してしまう。空いた時間を見つけて、体を動かす練習ぐらいは欠かさずやるようにはしたが、仕事仲間に見つかってしまって、「ダンスでもやるの?」と笑われてしまった。



 そして戦いの日がついにやってきた! やっと、自分の本領を発揮できるのだ。控室にてニスバと待機しながら、さすがに胸の高ぶりを抑えられないでいた。頬が紅潮する。先に行われていた戦いをちらっとだけ見た。なかなか激しかったが、俺から見れば大したことはない。手伝ってもらって、鎧を着せてもらった。刃はないとはいえ、鉄の剣を使って戦いをする以上、鎧の着用は当然だろう。なにより都合がいいのは顔が隠れることだ。……中は男だと思われていた方がいいから。


 そして、ついにその舞台へ足を踏み入れた。足元は整えられ、芝生のように非常に動きやすい。時として海戦のようなものをやったり、砂漠のようになったり、動物と戦ったりといろんな趣向があるというが、今回はいたってシンプルなものである。相手の兜を奪えば勝ちだ。この兜というのは、後ろ部分についている特殊な部品を引っ張ることで簡単に外せるような仕組みになっている。



 最初に違和感があった。この中では、自分の癒やしの能力が使えない。なぜだ。これでは下手したら相手を大怪我させてもすぐ治せない。自分自身も……というふうには思いもしなかったが。


 相手は自分よりも二回りも大柄で、特にこっちが小さいのを見て強気にどんどん押してくる。相手が右足に体重を乗せた、その瞬間を見て取って、俺はその右足元に一気に入り込んだ。その異常なスピードに相手は進みもできず、両足を揃えてしまった。これで相手の動きが一瞬、封じられた。しかし、敵もとっさの動きで、左足で横から俺を蹴りつけにかかった。ところがこちらはそれを避けもせずに右腕で止めた後、左手に持ち替えた剣で相手の頭を軽く叩いたのだ。おそらくは意識が飛んだことだろう、敵は倒れた。あまりにもそれはあっさりと勝負がついた。兜を外すと、まだ若いだろう男が白目をむいていた。


 これで勝利だ。審判がやってきて、俺の手を持ち掲げて、勝利を宣言し、終わりである。そのはずだった。しかし、審判は動かない。戸惑った俺に、観客は口々に言っている。


「殺せ!」


 彼らはみな親指を下に向けたポーズをとっている。なぜだ!というように俺は両手を広げた。もう勝負はついたのではないのか? 相手は気絶している。野太い声が会場に響く。


「殺せ!」


 俺の耳に誰かのヤジが聞こえた。


「なんと無様な戦いだ。あんな小さな相手に一撃も与えることもできていない! 俺たちを楽しませろ! 血を見せてくれ!」


 殺せとはそういうことだった。俺は怒りで我を忘れ、兜を脱いで叫んだ。


「貴様たち、人間ども、神を恐れろ! 人間同士で、戦いではなくただの残酷なショーを見せようっていうのか!」


「女だ。あれは、男じゃない。女だぞ」


 群衆は一瞬静まり返った。


「今なんていったんだ?」「神を恐れろと言った。神を恐れろ、と」「神なんてこの場所にはいやしない!」


 俺は耳をふさぎたい思いで、倒れた対戦相手をひっつかんで、舞台を足早に立ち去った。



「運が悪かったですね」と舞台袖で俺を迎えたニスバは気の毒そうに言った。「あんなこと初めて見ました。決着がついたのにトドメを刺せだなんて、もう大昔に廃れた風習ですよ」


「彼らは神なんていないと言ったな。確かにここは神がいていい場所じゃないよ。アレクシスさんの言った言葉は正しかったな……」


「アレクシスさん、ですか?」


 もちろんその名は彼が知るわけはなかった。

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