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自神喪失  作者: こしょ
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予兆

 喫茶店で働くのかと思われるかもしれないが、その時は特に人手不足というわけでもなかったし、レナスがもうそういうのは飽きた! やりたくない!と強く言った結果、彼女はせっかく持った自分たちの家でダラダラ過ごしていた。


 家……といえど最初は隙間風も雨漏りもあって、しばらくはその修理で大変だった。格安の理由をその身でわからされながらも、ヘクトルなどはそれが妙に楽しいらしく、「大工さんにでもなるつもりなのかい」とレナスが尋ねると、「それもいいですね」と彼は大真面目に考え込んでしまった。


 レナスもこの時間でなにかしようと考え、町で見つけてきたのは紙と絵筆だった。ヘクトルに絵を描くんですかと驚かれて、そうだと答えた。


「俺は文字が読めないんだ……誰かに読んでもらわないと。当然書けないし。だから絵でもって俺の活躍を表現するってわけだ」


「そりゃあいいことですね」


 しかし描き出したはいいものの……簡単に言うと赤がすごく減る。なんだこれは、地獄にあるとかいう血の池ですか、とヘクトルが思わず声に出してしまうほどの殺伐具合。しかもどういえばいいか……童心にあふれている。有り体に言ってへたくそだった。


「……ちなみに、今まで絵を描かれたことは?」


「ないなぁ……それにそもそもこの紙っていうのがなかったんだよなぁ……色も自由につけられるし、本当にいい時代になったもんだ」


 絵の具を混ぜるともっと色が増えることも知らないのである。とはいえヘクトルはこれはこれで楽しんでいるならいいかと思った。


「まあ、赤がもうないようですから、今度は他の色で外の山や動物など描いてみてはいかがですか」


「うん、そうしよう……か……練習しないとな……」


 その次の日は外にでかけて黙々と絵を描いていたが、結局、先生もいないし仲間もいないからしょうがないかもしれないが……とどのつまり飽きたようだった。


「ヘクトルと同じように警護職に付きたい」


「いいですけど、特に戦うようなことはないですよ? そもそも事件が起きないようにするのが第一ですし、起きたとしても小さないさかいとか泥棒程度のもんです。むしろのんびりした仕事ですよ」


「それは楽しくないかな……」


 この生活があまりにも平和でレナスは拍子抜けしてしまう。


 この間もこんなことがあった。ヘクトルの奥さんが暇を持て余しているという、本人が聞くととんでもない誤解と憤慨するようなことをどこかから聞きつけたのかわからないが、女子会というのに誘われたのだ。名前を聞いただけで、そりゃ自分の行く場所じゃない、行きたくないと思ったけど、あまりのその身の持て余し具合のために気の迷いが起きて、つい参加してしまったのだ。


 彼女たちと入ったお店で食べた料理のなんとおいしかったことか。お酒もすすめられて初めて見るような果実の入った甘いものを飲んだがこれも気に入ってしまった。デザートに至るまで(というよりこれが一番気に入った)全部よくて非常に満足した。その食べっぷり、食べる量といい、マナーといい常識はずれで少々呆れられていたようではあるが、そこは気にもとめなかった。


 夕方に家に帰ってきて、だらしない格好でベッドに潜り込んだ。翌朝、起きた頃にはヘクトルはもうおらず、結局丸一日以上顔を見てないぐらいで、さすがに反省するところがあった。働かなくては……。


 ちょうどその女子会での仲間から聞いたところ公衆浴場の清掃という仕事が空いたから人を募集しているということがあって、それを受けてみた。しかし厄介なことに、男風呂の方はまだしも、女風呂の方でなぜだかレナスが自分で勝手に追い詰められてしまって、うろたえながらこんな破廉恥な場所にはいられない!とかなんとか思ったらしくすぐに辞めてしまったのだった。


「ヘクトル……頼む……どうにかならないか」


 と彼女はもはや懇願するように泣きついた。


「何が不満なんですか、いったい」


「平和すぎるんだよな。もうちょっと、喧嘩とかあっても良くないか? こないだまでと大違いだ。またオークとか蛮族が攻めてこないかな、どうにかならないかな」


「この間は自分が落ち着くような場所は世界のどこにもないなんて言ってたじゃないですか。勝手すぎますよ!」


「俺に対して大声を出すとはお前もえらくなったもんだなぁ、ええ? ちょっと先に進めば鉱山があって大怪我してるやつがいっぱいいるんだぞ! わかってるのか! ここの連中はおかしい。おこぼれに預かっていい生活してるだけじゃないか」


 なんとなく正論のようでもありヘクトルもさすがに閉口してしまった。


「人の社会ってそういうものじゃないですか? 確かに理不尽ですけど、悪いことをしているわけでもないですよ。それなら、レナス様が直々に行って、怪我人のお世話をなさったらどうですか。救える命がいっぱいあるはずではないですか」


「そう、そうなんだよなぁ……でもそれじゃただの女神なんだよなぁ……」


 また悩みだしたレナスをよそに、ヘクトルは大あくびをしながら、自分の部屋を開けて、


「もう私はお先に寝ますからね。おやすみなさい」


 といって扉を閉めた。後にはなおも椅子に座ったまま首をひねり続けるレナスが残されたが、やがてランタンの燃料が尽きて火が自然に消えて、真っ暗になったところでさすがに彼女も苦笑し、部屋に戻って眠りについたのだった。



 教会は鉱山町の中にある。レナスが休日にそこを覗いてみると驚いたことに男たちが大勢いる。考えてみればヘクトルも休みになると、いそいそとでかけていることがあるし、客観的に見ると最も信心深さというものに欠けてるのが自分なのかもしれない、と彼女は思った。特に彼らは日常的に危険と隣り合わせなだけに、その分あの世が近くて信心深さも強いのかもしれない。


 ちょっと独特なのがここに飾られている絵は他で見るよりも露出が多いというより扇情的ですらあるものが多い。これもお国柄ってやつかなと興味深くも見ていると、なにかおかしな視線を感じてくるりと見回すと周りは全員男であることに彼女は今更気がつくのであった。


「ここは俺が来るべきところじゃなかったか……」


 と悔やみながら口の中でつぶやいた。いつも女連中はどこに行っているのだろう。そもそもヘクトルのやつも、いないし。あんまり興味がなくて聞いていなかった。また別の隠れ家的教会っていうのが、あるのかもしれなかった。だけどそんなところにわざわざ自分が行くのもなぁ、などと思っていると話しかけられてしまった。


「君、一人? もしこのあと暇なら、一緒に食事でもどう……」と勇敢な男がひとり、しかし言葉を言い切る前に制された。


「うるせえな!」


 レナスがハエでも追うようにぽんと手を出してその男の胸を突くと、見事に吹っ飛んだ。その場には一時ながらレナスと一緒に働いていた者の顔もあり、その怪力を知っていたので、さもありなんと内心うなづいていた。


 彼女にはうかつに手を出すな! きれいなバラに見えてもトゲがある! ぶん殴られるぞ!とそういう噂がまことしやかに囁かれていて、実際それは何度も実証されていたのだ。レナスは今自分がしたことなど何もなかったように誰にともなく自然な一礼をした後、のんびりとすら見えるほど、あくびすら聞こえたのではというほどゆっくりと立ち去った。


 彼女の行き先を追おうとしたものがいたが、外を見ると後ろ姿すら見ることができなかった。あるいは本人はすぐに追ったつもりだったが、気づかないうちに自失していた時間があったのかもしれなかった。


 彼女はいつも男装で、それも動きやすい格好を重視して全体的に地味な印象であるが、そんなことは関係ないような、内面から出るような輝いたものがある。常にどんよりした、水分とすすを含んだ空気が垂れ込めているこの町でもそれは変わらなかった。しかし、そういう彼女がなぜかその長い髪だけは切らなかった。ヘクトルが一度聞いてみたことがあるが、特に理由はないのだと答えた。


「ただ、なんとなく……これは切っちゃいけないような気がしてどうも切りづらいんだよなぁ」


 不思議なことに切らないからといって、それ以上伸びることもない。それが彼女の大事なイメージなのだろう。彼女が人間に見えて実は人間でないということのひとつの証明のようでもあった。



 この町は歪んでいる。たとえば、子供がいない。公園のようなものもなく、自然もなく街路樹すらない。鉱山と、鉱石の集積場と、溶鉱炉が中心にあって、それらを動かす人間の住む小さな家が隙間もなく連なっている。彼ら住人は数年も定住することはなく、ほとんどはここで金を貯めて出ていくか、怪我をして出ていくか、だ。そうした反面、自分が今住んでいるやたらと平和な、町ともいえぬ小さな一角が存在するというのがどうにも不思議に思えた。


 その上、もちろんここで取られるものは例えば農具とか、日用品にも使われるのだが、最たるものは武器である。それは主に異種族に対する備えであって使われぬまま錆びていくのが最善ではあるのだが、時々人間同士に使われてしまうこともあるだろう。それも歴史上ではままあることで、痛ましいことだが無くすことはできないだろう。どっちにしてもこの町はそういった戦いの最前線ともいえる。ここから取られた素材を使って武器が作られ、その武器を買って戦いで使われる。それを買うのが誰なのかなんて、ここにいる人たちが知ったことではない。



 妙な息苦しさを感じて、なんとなく休憩のつもりで道端に無造作に転がしてある岩に座っていると、旅をする人たちが見えた。道路を馬車に乗ってレナスの前を通り過ぎていく。別に見送るでもなくただぼーっと見ていると、中から意外な人物が顔を覗かせた。以前、旅をした時にお世話になったアレクシスという立派な紳士で、彼は以前と違ってひげを伸ばしていたからすぐには気が付かず、あちらから声がかかって初めてわかった。


「アレクシスさん、どうしたんですか、こんなところで」


 ひょいと立ち上がり服についたホコリをはたきながらレナスは問うた。


「商売に来ただけですよ。鉄の鍋とか、調理器具を作りたいと思いましてね。材料確保の交渉に来たんです」


 一度馬車を止めさせ、彼は地面に降りた。


「それはいいことだ」


「よかったら、乗りませんか。一別以来のことなど、ぜひお話をしましょう」


 特に断る理由もなかった。慣れたようにアレクシスが再び馬車に乗り込み、エスコートするように上から手を差し出してレナスを引き上げてくれた。車内の装飾など見てもいかにも上等で彼がずいぶん成功しているのだろうと感じる。


「というほどでもないんですけどね、ハッタリのようなものですよ。こういうとこをよく見せておけば相手が勝手にこっちを大きく見てくれますから」


「なるほど、そういうのはわかる気がしますね。ご家族はお元気ですか?」


「ええ、お陰様で、つつましくも仲良く暮らしております。レナスさんのことは妻も心配しておりました。一度だけコロシアムに出たというニュースは見ましたが、それ以来どうなったかわかりませんでしたから」


「……耳が痛いですね。大きな口を叩いておきながら、たった一戦でコロシアムというものに失望しまして。ヘクトルという男をご存知ですか? 私の代わりに戦ってくれたんです。それ以来彼は私の相棒みたいなもので旅をして、今はここにしばらく居を構えているというわけです」


「なるほど、ヘクトル氏は一気に話題の人になりましたから、私も存じております。彼とレナス様ならどこでもやっていけると簡単に思ってしまうのですが、しかしそれにしても……ご苦労をされているのですね……」


「いいえ、私なんかは何があろうとどうってことないんですが。それよりもヘクトルには……考えれば巻き込んでしまった、悪いことをしてると思います……」


 しゅんとしょげてしまったレナスにどう声をかけるべきか、あるいはかけるべきでないか、とアレクシスは一瞬悩んだが、その時ちょうど馬車が目的地についたのに気がついた。


「ああ、申し訳ありません。よかったらこちらで待っていてください。要件はすぐ済みますので、また落ち着いてお話をしましょう」


 レナスがうなずくのを見て、彼はニコッと人の心をつかむような笑顔をみせ、その商館に入っていった。



 言葉通り彼はすぐ戻ってきた。話によると、レナスも住むその一角にあるホテルに泊まるということなので、そちらへ一緒に行くことになった。


「最近、様子がおかしいんです。なかなか今までの相場では売らず値を吊り上げてくる。もしかしたらどこか大きな組織が何か……よくないことの準備をしているのかもしれない……そんな気がします」


 と彼は不安げにそう言った。彼は明言を避けていたが、戦争の準備だとするならば本来のレナスなら望むところだったのかもしれない。ところが最近はそれが不愉快であった。確かに彼女も不穏なにおいを感じるところがあったが、同時にこんな暗い気持ちになるのはまっぴらごめんだったのだ。

次からまた新しい章になってそれが最後の章になります。

苦しみながら書いていますがよかったら楽しんでもらえると嬉しいです。

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