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自神喪失  作者: こしょ
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定住

 救援軍がそれでも数日駐屯するということで、後の守りはほぼ盤石であろうと考えた。そのことをヘクトルが村長に伝え、自分は立ち去るということを言うと、だいぶ慌てたように止められはした。


 彼としては当然かもしれない。このタイミングだと、まるでもう用済みと言わんばかりに見えなくもないかもしれないし、そうでなくともヘクトルは英雄のようなもので、この度もその力を発揮してみせたのだから、いくらでもいていいどころか、いてほしいというぐらいのものかもしれない。


「いえ、こちらは何も不満はありませんでしたよ。若者たちと一緒に働けて楽しかったです」


 ヘクトルは訓練を教える以外にも、逆に畑仕事を教わって手伝ったりしていたので、実際ずいぶん彼らと仲良くなっていた。湖から水を通す仕組みなどは感心したし感動もしたものだった。こういったものは八男とはいえ貴族の生活では見ることはなかっただろう。


「では、他にご不満が? もしかして奥様のことでしょうか?」


 奥様、という言葉を聞いた途端、後ろでただ立っていただけのレナスが精神的にすっ転んでヘクトルは冷や汗をかいた。


「ははは……まあ、そんなところです……戦いも一段落したし、次は少し南へ行こうかと」


「なるほど。確かにここの冬はちと寒いですから……名残惜しいですが仕方ありませんね。こちらから贈れるものは多くないですが……そうですね、毛皮の上着をどうぞ持っていってください」


 これはこの村でたまに取れる狐の毛皮で、着ても温かいが売ってもかなりの価値になるという話。30年着ても大丈夫なほどの上等な素材であるそうだ。


 二人分頂いて、彼らは旅立った。他の若者たちも名残を惜しんで村の出口まで見送ってくれたが、救援軍を送ってもらっている手前、長々と持ち場や仕事を離れているわけにもいかず、それぞれの場所へ帰っていった。その間ずっと体をひねって後ろを向きながら、片手を大きく振って彼らに応えていたヘクトルと対照的に、彼らを無視するかのように正面を見て歩きながら、しかし最後の最後で振り向いて照れながらも見えないくらい軽く手を上げたレナスの姿は何人かの若者に叶わぬ恋をさせたのであった。



 お金もさしあたっては十分あり、のんびりした旅になった。一度街に近づき、すれ違うように離れていく。道の途中で休憩をして、もらっていた最後の固いパンをかじっていると、馬車が反対側を通り過ぎ、乗っていた小さな子供が顔を出し、手を振った。レナスは頬を緩ませて手を振り返した。


 あてのない旅ではあったが、ヘクトルがいるおかげで信用がまるで違う。最初の旅はパパドプーロス一家のおかげでなんとかなったが、今回も人に助けられている。


「これで奥様呼ばわりされなければもっと良かったんだけどなぁ?」


 と皮肉めいた言葉でヘクトルの脇腹を突っつくと、彼が満更でもないという顔をするので少し癇に障る部分がないでもない。しかしレナスもさすがに自らの美しさを自覚してきていた。それだけに、むしろ、ヘクトルに対して悪いと思ってしまうような、変な気持ちもあったのだ。


「お前、俺のこと、勘違いしてないか? 本当に本心でこんな旅に同行してるか? 俺は男だぞ? 見た目に騙されちゃいけないぜ」


「わかっていますよ。今更そんなこと。私はあなたに命を救われたことも忘れないでください。それにもう運命共同体みたいなものじゃないですか。戦友でしょう、私達? そんなこと言わないでください」


 そもそも私が騙されてるのは見た目だけじゃないですよ、という言葉は口から出る前に止めた。


 夜になり、焚き火を作って獲った獣を食料にしながら、冷たくなってきた空気から逃げるように毛布にくるまって身を寄せ合う。別にレナス自身は彼女の能力を使えば寒さすら平気なのだが、ヘクトルがやけに心配することと、寒いのはヘクトルだって同じかもしれないと思ってそういうことにした。


「……でもお前、本当に、なんていうか……大丈夫か? もしよかったら、いや、別に深い意味はないんだが、ちょっと散歩でもしてこようか。三十分ぐらい」


「勘弁して下さいよ。大丈夫ですから」


 ヘクトルは彼女から顔をそむけた。それでレナスは思ったが、ヘクトルの体が汗臭い。当然、こんな旅で風呂に毎日入れるわけもなく臭いのは自分もそうであろう。これじゃお互いかっこつかないわけだ。



 そうやって何日か歩いて鉱山の町についた。ほこりっぽくてけむたい、けどたくましい若者がいっぱいいて活気のある新しい町だ。裏を返せば独り身の男だらけで危険も多いともいえるが……そういうほどには治安は悪くはない。ここでは様々な価値のある鉱石が取れるのだというが、特に最近見つかった燃える石というのが珍しくてにわかに需要が高まっているという話。


 力を使う仕事なら私達の得意分野だ、とばかりに二人は口入れ屋を訪ねた。いつものことながらレナスを見て不思議そうな顔をされるが、とにかくもただ鉱石を運ぶだけではあるがそういう仕事をあてがってくれた。しばらくは口に糊することができるだろう。この熱気の中で冬を越して……またそれから旅に出よう、と彼らは思った。


 またこの町で幾日も過ごしたある日の昼下がり、ドカン、と大きな音がした。ここではまれにあることではあったが、それが爆発の音だというのが最初、レナスには理解できなかった。そもそも爆発とはどういうことだ? 大きな火が弾けるという、その現象のことだと理解しても、彼女はそれをどうすることもしなかった。


 この町で事故というのは毎日のようにあったもので、いつもお祭りか戦場のように賑やかで、不謹慎な話だがそのことによってレナスは自分の家のようになぜか心安らいでいた。しかし爆発というものだけは内心に恐ろしさを感じていた。昔は残酷なこともあったが、このようなすさまじい威力のものは存在しなかったのだが……戦争でもないのに、このような事故が起きるなんて、と思うと恐ろしかった。


 しかしこの事故は偶発的に起きるものであって、まだ人間がコントロールできないのである。いったいこれを自ら使いこなすことができるようになればいったいどうなるのか。


「なんてことがあったわけさ」


 とヘクトルと喫茶店で話をした。小洒落たお店でよくもまあこんな町にあったものだと思う。料金もそこそこ高いが、立地が郊外でもあり静かに話ができるし、コーヒーもおいしい。レナスは砂糖とミルクをたっぷり入れてもらうが、ヘクトルはブラックで飲む。


「爆発は確かによくありますね。私も話には聞いたことがありますが、初めて目にした時は恐ろしかったです」


「んっ、お前は近くで見たのか?」


「まあ、たまたま奥に入ったところでしてね。だけど、あれは直撃したら即死は避けられませんね。レナス様でも死んでしまったものは生き返らせることはできないのでしょう?」


「本当のことをいうとできないわけじゃない。でもめったに使っちゃいけない。世界のバランスがおかしくなって、どういう災厄を招くかわからんからな」


「あれが起きるのは坑道の奥だけですが、まだ理由もわかってないんですよね。レナス様、危険を避けてこちらに移るのはどうですか?」


 ヘクトルが言うこちらにというのは、彼らを夫婦だと思った喫茶店のマスターがこの周辺一帯を警護してほしいと依頼したことである。この町は荒っぽい連中が多い上、彼らが給金を使う場所も限られているので発散する場所がない。給料は並よりもはるかに多くもらっているのに、である。これは町長や鉱山経営者の決めごとでもあったが、あえて酒場などは作らないようにされていた。確かにそうしたらどんどん治安は悪くなっていたかもしれない。


 そういう彼らの中にもいつしかうまいこと出会いを得て結婚するものや、もともと既婚者で流れてきたものもあって、そういう人たちが喧騒を離れて作ったのがこの町外れの一角で、僅かな距離の差だが別世界の感があった。


 そもそもとして、男どもに混じってレナスが肉体労働をしているというのがありえないのである。ヘクトルがもっと必死で止めるべきだった。もちろんというか当然のようにその細腕、その美貌で誰よりも働く彼女は高嶺の花でもありアイドルにもなったが、本人がまったくそれを意に介さない、有象無象の人間のことを気にもとめないせいで、彼女に対し色々と接触を試みようとするものが多く、ヘクトルは怒ったり不安だったりと忙しかった。


 そうした折の誘いだった。夫婦であれば番犬がかえって暴れるというようなこともあるまいと誤解してくれたのだが、色んな意味でヘクトルにしたらグッジョブというところである。給金はもちろん下がるが……。


「私もいつ命の危険があるかわからないところよりもこちらの方が安心ですから」


「そうだなぁ。私だけなら平気なんだけど、それならヘクトルだけこっちにするか?」


 と足を組み少しからかってるような調子でレナスは言った。


「いやいや、そんな話ありえませんから、一緒に来ましょうよ、お願いしますどうかどうか」とヘクトルは冷汗かいて頭を下げる始末であった。まったくこのおてんば女と来たら。


 結局、毛皮を売ったのと給料とで合わせたお金で、運よく中古で小さいがその土地に家を持つことができた。なんと部屋が二つ以上あるのだ。

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