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自神喪失  作者: こしょ
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過ぎていく風

 しばらく、後始末をしていたら村に帰ったのは正午になっていた。広場が普段と違ってずいぶんと騒々しく、人が多かった。30分程先に報告のため戻っていたカイが、二人を見つけて走り寄ってきた。


「お二人とも、お疲れ様です」


「ああ、カイ、どうしたんだこの騒ぎ。敵を警戒してるというふうでもないけど」


 とレナスが答えた。


「実は、援軍が来たんですよ。それで歓迎してるってわけです。でも、もう何もかもが遅いんですよ、そうですよね。今頃になってきたって、仕事なんてないのに、村長は聞かないでずいぶん媚を売ってるってわけです」


「なるほど、昨日の今日だから早いといえば早いのかもしれないけど、今回ばかりはもう手柄の立てようがないよな」レナスがやれやれというように首を振って笑った。


「だけど、彼らにも面子があるでしょうから、手ぶらで帰るわけにはいかないのではないですか?」ヘクトルがまた難しい顔をした。「次からは来ないということになっても困るわけですから。かといってもう敵はいない……」


「まずはこちらから改めて彼らに挨拶をすることにしよう。なんならあのリーダーの頭飾りを持ってこよう。手柄なんてくれてやってもいいんだ」


 レナスは気軽に答えて、三人は村長と、おそらくその援軍の集団の隊長であろう人間が話している中に割って入った。挨拶はまずヘクトルが行う。


「失礼、我ら三名、戻りました。カイからお聞きになられたかと思いますが、敵を討ち取って参りました。ええ、すべて、全滅させられたと思います」


 老齢の村長の正面に立っていた、まだ若くて綺麗な顔をした中肉中背のその男はあからさまに不快な顔をした。体は水で洗ったのだが、まだ汚れがあるだろうか、臭うだろうか……などとレナスは少しそれを心配した。


「全滅を、確認したというのか?」


 と、おそらくはヘクトルよりも少し若いであろう男がぶっきらぼうに言った。


「ええ、その場にいたものはすべて逃しませんでした。ですが、そこ以外にいたかどうかというところまではわかりません」


「それでは守りを続けねばならんではないか」


「左様です。ですが、最も大きな危機は去ったと考えられます。20名ほどですが、オーク族を打ち取り、リーダーの首も取りました」


「そういうことならなぜ我々を呼んだのか? そうであればこんなところまで来なくてもよかった。こんな、手柄の立てがいもないど田舎に」


 村長は慌てて腰を曲げた。


「いえいえとんでもない、皆様がいてくださるから我々も安心ができまする」


 そしてこちらに向き直った。


「皆様も、ありがとうございました。お昼をご用意しておりますので、どうぞあちらへ」


 と丁寧に指し示して、すぐにまた隊長との話に戻った。話の内容は概ねこの若者へのご機嫌を取るような言葉と来てくれたことへの感謝というようなものである。



「しょうがないかもしれないけど、村長さんも立場が小さいよな、本当にさ」


 レナスはちょっとぷりぷり怒りながらもお昼の焼き魚を頂いている。どうにも塩気が少ないように感じてしまう。


「我々がやったこと、余計なことではなかったのでしょうか……」とヘクトルが心配するように眉をひそめる。


「そんなことはないよ。現に人が一人亡くなっているんだ。素早い行動をしなくてどうするんだ」


「その通りです。あんな奴らはいつも動きが遅いし、どうせ来たってなんだかんだいってこんな知らない土地のために血を流そうとなんかしやしませんよ」


 カイがレナス以上に腹に据えかねているように言った。それをヘクトルが気になって尋ねた。


「以前彼らとなにかあったのか?」


「別に、なんにもありませんよ。ただなんとなく、ああいうえらぶった連中が気に食わないだけです」


 と、遠い目をしてカイは答えた。彼は急に思い出したように、しかしはっきりと言葉を続けた。


「そういえば、鍵穴教、ご存知ですか? 彼らも来てくれたんですよ。といっても、裏口からですがね。早速村に見舞金を届けてくれたんです。彼らの方がよっぽど実がある」


「鍵穴教……」


 レナスが食事の手を止めて考え込んだ。その奇妙な名前には聞き覚えがあった。それは、彼女たちがパトラの街を出る原因となったカルト宗教の名前だったような気がする。確か、そう、ニスバが言っていたような記憶があった。カイはそれを知っているのか。


「いいや、知らないなぁ、よかったらどういう人たちなのか教えてもらえるかね?」とまたヘクトルがごく自然な話題の続きのように聞いた。


「彼らは今まで人間を守っていた神の上に、もうひとり、さらに偉大な神がいることを突き止めたのです。それは戦神、偉大なるゴダンというのですよ。それで人類の歴史において鍵穴に鍵がはまるように色々なことが解明され、説明できるというわけです」


「それは今までの……その……単純にレナス様を信じて日々の生活に感謝するのとはなにか変わるのか」


「変わりはしませんよ。ただより真実に近いんです。レナス様もレナス様、それはそれで信じ続ければいいだけで……俺は何かお気に障ることを言ってしまったでしょうか?」


「なんでもないよ」


 レナスの様子が異様に感じてカイは不安にかられて尋ねたが、レナスは笑顔でそう返し、さらに聞き返した。


「ところでその教えっていつ頃からあるんだ?」


「さぁ、数百年ぐらい前からあるようですが、信じようとするものがほとんどいませんでしたから……今だって、村の年寄り連中はなかなか信じませんが、新しいものとか正しいものってのは世の中になかなか受け入れられないもんですよ。ですが、若い世代には広がっていますよ、世代交代してしまえばこの教えもいずれ逆転するでしょう」


「俺の名前もレナスというのは知ってるはずだが、それについてどう思ってる?」


「どう、とは……?」


「俺がそのレナスが顕現した存在そのものだということや、その歴史の真実というのを知っているのは俺自身だと言ったらどうだ?」


「御冗談を」カイは笑おうとしたが、それができなかった。「……確かに、あなたもまさにレナス様と同じ名前ですね……ですが、まさか……」


「何を悩んでいるんだ? 引っかかるところを教えてくれ」


「だって、そんな、神様が私の目の前にいるなんてことがあるんだろうか? それにあなたは……どう言ったらいいのか……教えられてきたレナス様と、違いすぎる……ああ、でも、外見は確かにレナス様の理想像と言ってもいいかもしれないけれど」


「俺の、この俺が本当なんだ。カイ、お前とは一緒に死線を越えた仲だからどうしても問いたい。俺のことを信じてくれるだろうか。その変な教えなんか信じるよりもさ」


「わかりません……わかりません、わかりません。わからない……!」


 カイは混乱しきってうずくまって頭を抱えてしまった。ヘクトルは同情し慰めるように片膝をついて彼の背に手を当てる。


 レナスはその外側に立って二人を見た。どうやら……と彼女は考えた。私は急ぎすぎたのだろうか? 私にもわからない。私が神ということを説明する時はいつも困ってしまう。認識阻害とでもいうのだろうか。そんな言葉を出してしまうと大げさな話だが、目の前にいるこの女が神だ、などと連想できるわけがないという、ただそれだけのことだ。


 レナスもなにか沈んだ気持ちになったまま、ぼんやりとしながらあとの食事の時間を過ごした。カイが、あの最初は跳ねっ返りだったカイが彼女に対してだけは態度が変わって、媚びたような笑顔を見せてくるようになった。彼もどうしていいのかわからないに違いない。この村も潮時かなとレナスは考え始めた。私は流れ流れて、どうなっていくんだろう。いつか消えていなくなってしまうんじゃないだろうか。



 その後、その鍵穴教の遣いのものだという人間の顔も見て、少し挨拶程度に話をしたが、彼らはこっちになんの敵意も持っていないばかりか、どういうわけだかいい人というふうに感じた。なぜ彼らはいい人なんだろうか……。



 レナスはひとり湖のほとりに立って、日没を眺めながら風を感じていた。寂しさが体の中を吹き抜けるようだった。いっそこのまま、消えてしまっても……。


「風邪を引きますよ」


 とヘクトルがいつの間にか後ろから来ていて、レナスに上着をかぶせた。温かい。彼が今まで来ていたのだろうか? とても大きいからそうなのだろう。


「こら、ヘクトル、私にお前のお古を着せるんじゃない」


「ああこれは失礼しました。とっさのことで他になかったもので」と彼は笑って答えた。


 そういえば確かに彼はその分一枚脱いだような格好になっている。


「悪かったな、私は別に風邪なんか引かないから、お前が着ていればいいんだぞ」


「いえいえ、私から見たらなんだかあなたがとっても寒そうにしているように見えたものですから。必要な人が使ってください」


 私はそんなだったか、とレナスは今更のように思った。こんな気持ちになったことは今まであったことがなかった……ような気がする。どうだったかな。


 やはり、長い年月の中で私自身も変質してしまっているのかもしれない。心というのは体に引っ張られるものだから。空の上にいる私の本体、体はなく神としての精神だけの存在であるあの自分ですらよくわからんあいつも、何かに引っ張られているものだろうか。

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