襲撃から決着まで
村に滞在して何日かした昼の食事時、村の家々から炊事の煙が立ち上る時に、カンカンと独特の金属を打ち鳴らす音が鳴り響いた。敵襲の警報である。村には見張り台が要所に数箇所設置され、誰かがいつもそこに登っている。レナスが外へ飛び出すと、他の炊事の煙とは明らかに違う黒い煙が見えて、彼女は剣だけを持って駆け出した。ヘクトルも遅れて駆け出した。現地にはすでに自警団が10名ほど集まっていた。彼らもその日の当番で、決まった場所で備えていたものだ。
敵は猪が二足歩行になったような、いわゆるオークといわれる種族で、見る限りは三匹発見できた。全員がこちらの平均よりも一回り大きく、獣の筋肉と槍を持ち、その濃い体毛がほとんど全身を覆っている。
周囲には一軒の民家の一部が燃えていて、外に一人の男性が倒れている。彼は自警団の者であると服装からわかったが、すでにこときれているようである。自警団とオークがにらみ合う中を、レナスは先頭切って飛びかかった。戦いが始まってしまうと彼女に並ぶものはいない。たとえ異種族相手でも、いいや、異種族相手の方が強いというほどに。
槍をかわし、その手に持つ切れ味の悪い剣を使って殴りつけるように頭を叩き割った。さらに次の相手から差し出された槍を片手でつかみ、飴細工でも折るみたいにへし折った。それがこのような小さな人間にできるものかと、見たものが信じられないというようにそのオークの動きが止まり、そこでレナスが横殴りに腹を切った。だがまだその程度では暴れ続けるために、他の団員が斧や槍で飛びかかり、一斉にトドメを刺した。
最後の一匹が逃げる背中に矢が放たれ、急所に命中して死んだ。できれば一人は生かして捕らえたかったが、やむを得ないところだったろう。
その矢を放ったカイが弓を投げ捨てるような勢いで倒れていた団員に駆け寄って、
「サヤ、お前か! 死んだのは!」とひざまずき嘆いた。
彼らは親しかったのだろうか? 他の団員にも続いて近寄って悲痛な顔をするものがいたが、ヘクトルの指示でさらなる敵襲の警戒に当たった。幸い、次はないようであった。カイもすぐに滲んだ涙を拭いて立ち上がった。燃えた民家も延焼することはなく、すぐに消し止められた。住人は避難しており、結果として死者は一名で住んだが、ふたつの種族の血の臭いと、焦げた臭いが彼らに強く印象付けられた……。
まるであっという間のように後始末と、そして葬儀が終わった。戦死者には妻と母親がいて、彼女たちは家に帰った彼を涙で迎え、村人たちがいたわる言葉をかけたが、それがどれだけの慰めになったものだろうか。そうした群衆から少し離れた場所で、カイは決意を秘めた表情でヘクトルに話しかけた。
「ヘクトルさん。先日の無礼をお詫びします。そして私の話を聞いてください。昔もあったんです、こういうことは。ここはなぜか国境から入り込みやすい地帯になってるのか、人間の住む地域の外から、食い詰めた蛮族がやってくることがありました」
ヘクトルは彼を正面から見つめた。
「過去はどうだったのだろうか。君は知っているのか? やってきたのはあれだけで終わりだろうか?」
「もう二十年も前のことですよ。俺の親父もその時に死にましたがね。その時俺はまだ物心ついたばかりの頃でした。後々で大人たちに聞いたんです。最初に来たのは先遣隊、偵察みたいなもんでした。それを生かして返してしまったから、本隊が襲ってきた。今回はどうなるかわかりませんが、きっとまだ近くにいるでしょう」
「私も同感だ。敵を待つより、こちらから叩くべきだ」
とレナスが二人の会話に割って入った。腰に大きく手を当て、口を真一文字に結び、闘志がその目に燃えている。まるで戦いを望んでいるかのように感じて、ヘクトルは少し不安を覚えた。
「レナス様、その通りです」とカイも同様に真剣に答えた。「僭越ながら、私にその本隊の捜索をさせてもらいたい。とはいえすでに検討はついています。私はこの山のことはだいたい知っていますから」
「奴らは夜は活動が鈍る。今はすでに夜だ。だから、これから三時間以内に敵を見つけて帰ってくるんだ。それから作戦を立てる」
「ちょ、ちょっと待ってください」とヘクトルが慌てて言った。「村人たちに相談しないでいいのですか? 捜索するならもう少し人数もいた方がいいし、攻撃するにも……」
「いいや、あいつらはそんなに積極的には動きません。二十年前もそうだった。国に連絡し、何もせずに援助が来るのを待ったんです。だから犠牲が大きくなった。俺の家族もその中にいました。だから、俺は、あなた達にお願いしたいんです」
と、かすれた声に怒りを乗せたカイの両手は怒りで石のように硬く握られ、血がにじむかのようだった。レナスはそれをちらと見て、彼と自分自身を落ち着かせるようにゆっくりと言った。
「……村のそうした選択もよくわかる。何もしないというのが間違いであるとは言えないだろう。いつまたもう一度来るかだって今の所わからないんだからな。それでも積極的に情報を得るだけでも重要なことだと思う。だから君に行ってほしいし、少人数でもできることはあるだろうから。村にも話はするし、準備はしてもらうけど、実際に動くのは私達だけでいい。何にせよ、用意ができたら行ってくれるか? ただし、絶対に無理をしない」
「任せてください、さっきも言いましたが、この土地はみんな俺の庭ですよ」
カイが戻ってきたのは夜の11時頃で、ちょうど月が雲に隠れてそれまでより急に暗くなった。彼の報告により、移動してきたオークの本隊と思われる集団の情報がわかった。およそ20匹ほどで、リーダーと思しき独特の派手な頭飾りをつけたものがいる。例の3匹の先遣隊が帰ってこないことに非常に苛立っているらしく、傍目からは喧嘩しているかのような騒ぎだったという。
場所としては、この人が住む村には池が接しているのだが、その池の外周を60度ほど周ったところにある山の、その中腹の少し平らになった場所に集まっていたという。また、そのそばには洞窟があり、寝る時はそこに引っ込むのではないかということだ。そこの出入り口はひとつだけ。まっすぐ村から進めば一時間の距離であった。
それを黙って聞いていたレナスは、積極的に村を守るための方法として2つのことを提案した。
「話し合って帰らせるか、問答無用で帰らせるか。話し合いとはいえ、どうしても共存などというわけにはいかない。だが彼らは力を見せつければ従うというところがある。私がある程度会話はできるから、そのリーダーと一騎打ちをして勝つことによって、どうにか交渉には応じてくれるのではないか? 負けた時なんて考える必要はない。必ず勝つのは勝つ。ただし、約束を破られる可能性や、相手に引き下がれない理由があったらどうにもならない。相手次第というわけだ」
穏当な方の選択肢のはずが、いきなり会話(物理)である。
「そして問答無用というのは、もちろん洞窟に引っ込んでいるところを封じ込むということだ。あらかじめ油を用意してもらったから、これを運んで、入り口に火を起こす。煙に巻かれて飛び出したところでリーダーを打ち取ればもう戻ってくることはあるまい」
「どっちにしても戦うんですね……」
とヘクトルがぼやいた。
「どちらでもいい。ただ後者の場合は奇襲の前に見張りを速やかに仕留められなければ成功しないからな。カイ、お前の弓の腕が必要というわけだが、どうする?」
「俺はやりますよ、そうしたいです。あいつらを、できるなら皆殺しにしてやりたいぐらいです」
膝を叩き、今にも飛び出しそうなカイをレナスが制する。
「まあまあ待て、ただ、その通りで、下手に手負いの生き残りを出すと村への危険が残ってしまう。全滅させられるなら絶対にそうした方がいいのはいいんだが……それは運と計画次第だな。だけど安全な道なんてないのは確かだ」
結局、交渉という選択肢は捨てた。それを選ぶにはこちら側に材料も情報もあまりにも少ない。すでに戦いは始まっているのだ。道は決まった。
ふと、ヘクトルは朝の様子を思い出してカイに尋ねた。
「そういえばお前はあの亡くなった兵士に取りすがっていた。彼とは親しかったのか?」
「……サヤとはただ家が隣同士だっただけですよ。一緒に村を出ようなんて話してたこともありましたが、いつもあいつに止められてましたがね。俺たちが村を守らないとって。あいつは正義感が強かったから、こんな時に他人を守って真っ先に死ぬことになったんです。馬鹿なやつです。自分の命を捨てようというほど大切なものがあるっていうんだろうか」
吐き捨てるように言った彼の言葉に反して、一瞬だが悲しげな様子が浮かんだ。
「そうか……すまない、聞かなくてもいいことを聞いてしまったかもしれない。私から話しかけといて悪いが、お前は少し休んでいてほしい。日の出より前に到着するように出発したいから、充分に眠れるというほどではないが」
確かにカイは朝から気を張りっぱなしでいた。特に一人での探索は神経を削ったことだろう。とはいっても、そうは言われてもなかなか眠れるものではなかった。レナスはカイの頭にそっと手を添えた。カイはその手の柔らかさに驚いて彼女を見た。
「レナスさん……?」
「大丈夫、きっとうまくいきますから、今は休んでください。安心して」
そう言って微笑みを浮かべて彼の頭を撫でると、彼の緊張した表情が大きく変わって、目をつむり、表情を柔らかくさせ眠りについた。
「……やっぱり、こういう時には女じゃないとだめなのかな」
と、眠るまで寄り添っていたレナスは、彼の頭から手を離しながら、やや不本意そうに独り言を言った。
逃げていく夜に追いすがるように三人は動き出した。ヘクトルのみが重装甲で、二人は軽装甲。それぞれ荷物を背負い、カイの先導によって、目標の駐屯する地点にたどり着いた。草深い山の中で、そこだけが小さく開けた草原のようになっている。見ると相手も同じ三人が夜空の下で焚き火を焚いて警戒をしている。が、奴らのうち二人は眠っている。つまり、起きている一人を真っ先に仕留めて、間髪を入れず二人を討ち取れればよいことになる。
「カイ、できるか?」とヘクトルが念を押した。
空はまだ暗いが、おあつらえ向きに焚き火で敵の姿はよく見える。カイは黙って弓を構えた。その姿を見てレナスは言う。
「緊張するな。お前には私が、レナスがついているんだから。……よし、では我々は接近する。私の合図と共に矢を放て」
静かにすばやく、レナスとヘクトルは木や岩陰に隠れながらなお接近していく。ヘクトルはやや不器用そうに大きな体を運んでいる。
いいだろう、とレナスが手を振って合図をした。もしもカイが外したらその瞬間自分が突っ込んでいってかわりに仕留める、その用意をするべきだろうかという考えがレナスに浮かんだが、打ち消した。カイを信じるのだ。そして、カイはうまくやった。三人全員が自分の役割を果たすことができた。
三人がまた近くに集まって、レナスが小声で指示を出す。
「よくやった、カイ。この火を借りてしまおう。この洞窟は……奥がどれだけ広いかわからんが、村で用意してもらった燃料があるから、こいつで一気に火をつけよう。そしてくれぐれも、命を落とさないこと。私の合図があったらすぐに逃げるんだ」
それは三人が山のように背負ってきたもので、一度その辺に置いていたが、それをまた引っ張ってきた。入り口はすぐには敵の姿は見えないが、なんとなく気配が感じられる。燃えやすい木材と、その上に油をたっぷり撒き、焚き火の燃えカスを拾ってその上に投げ入れた。恐ろしい勢いで燃え始めた。中を伺うどころか、近くにいるだけでも危険を感じるほどである。おそらくはこれにより発生する煙だけで全滅するのではないか、そういう期待すらもった。ヘクトルがこいつもくらえとばかりに残っている木材をすべて投げ入れて、距離を取り隠れた。
私達の緊張感はどれほどだっただろうか。レナスたちはお互いのつばを飲む音すら聞こえるのではないかというぐらいに神経が尖っていたし、少し離れてまだ弓を構え続けているカイも顔を真っ青にしていた。
そして地獄の底から響いたような声が複数した。オークの、その体が洞窟内部から炎に次々とぶち当てられた。中から投げているのだ。死んだオークか生きたオークかわからないが、とにかくその体そのもので炎を消すか、塞いででも外に出ようとしているのだ。そうして中から出てきたのはやっと一匹のオークだった。リーダーであったろうそいつはどう見ても別格で、ヘクトルをさらに大きくした体型で、顔は古傷だらけだった。その手にはおそらく彼が死ぬまで持つだろう、槍がある。彼が持つと短いほどに見えるが、槍としては一般的で十分な長さである。
怒りが彼を包んでいて、世にも恐ろしい咆哮を上げた。凡人ならそれだけで戦意を失ってしまうかもしれない。だが、それでも弱っているのは確かだ。レナスが飛び出し挑もうとしたが、ヘクトルがそれを押し留めた。
「ここは、私に任せてください」
ヘクトルがゆっくりと歩き、カイの弓の射線をもその体で防いだ。一騎打ちを挑もうというのだ。オークリーダーが笑ったように見えたのは、まだ消えない炎のゆらめきだったろうか。
うおおおおおっ! ヘクトルは剣を抜き、吠えて、距離を詰める。槍をかわし、その柄を押さえようとする。が、恐ろしい力で弾き飛ばされた。ヘクトルがすぐさま起き上がると、その地面に槍の穂が突き刺さった。一瞬の攻防だった。戦いは続いた。ヘクトルは何度も切り込んでは距離を取り、オークは槍の柄を使ってはたき落とそうとするが、そのたびに急速に体力を失っていく。お互いに傷が増えていき、やがて倒れたのはオークだった。ヘクトルは油断なく近づき、彼にトドメを刺した。
ようやくふっと力を抜いた彼に、レナスが小さな体でしがみついた。
「馬鹿! お前、なんで一騎打ちなんか、俺に任せていればいいものを、無茶しやがって!」
「ごめんなさい、でも、神様といえどこれほどの強敵を女性に任せるのは、私にはできませんでした。私はこれでも男ですから」
レナスの体の柔らかさをしみじみ感じながらヘクトルは答えた。
「俺はお前を疑ったことはないよ。でも、こんな冒険をすることはなかったんだ」
レナスは思い出したように、持っていたタオルで、彼の血と汗と煤で汚れた顔を乱暴に拭ったので、ヘクトルはちょっと目が痛くなってしまった。
「レナス様、ありがとうございます」
レナスは彼に対して照れたように顔をそむけた。
「へっ、なんだよここは。落ち着いてみればひでえ臭いだし煙が目に染みるよ。もう生き残りもいないだろう。さぁ、帰ろうぜ」
そう言った頃にようやく日は昇り、かと思えばぽつりぽつりと雨が降り出していた。




