005 領境
◆ ◆ ◆
《神威物》。
お嬢が作る異端にして極端の品々。
それは例えばステータスを斬る剣だったり、眠りに落とす直刀だったり、寿命を削る彫刻刀だったり。
俺の首に巻き付くこれもその一つだ。
肉体を乗っ取る首輪《不拘箱》。
発動条件は自分の血肉を相手に摂取させること。その量は自分の体重の100分の1。それをクリアしたうえで首輪を巻き付ければ乗っ取りが始まり、3分程で完了する。
《神威物》の効果、条件、代償等は製作者であるお嬢にも思い通りとはいかず、形状すら自由に決められないらしい。つまり『材料を《神威物》に変換できるが、何ができるかはお楽しみ』というなんとも惜しいスキルなのだ。
「動きの読めない暴れ馬のために道を拓くようなものだよ。手綱なんてとてもじゃないが握れない。ただその暴れ馬のために、進んで欲しい方向ではなく進みたがっている方向に道を拓く。そうして私には予想も誘導も何もできないまま、辿り着いた場所で《神威物》になる」
そんな風に言っていた。
ではその材料である暴れ馬の正体はというと、人間である。それもただの人間ではない。本来この世界にいないはずの存在――
《神威物》は異世界族から作られる。
能力も形状も選べない《神威物》だが、使い勝手くらいは材料の良し悪しに従ってくれる。例えばフェートが所持するステータスを偽るネックレス《不嘯嘘》は、死ぬまで外せず外せば死ぬ程度の対価なので材料が良かったのだろう。
材料が悪いものの例を挙げるなら、ダメージを痛みに変える外套《不止痛》がその筆頭だろう。お嬢が言うには「これに適合する人間には会える気がしない」そうだ。おそらく今もハッシェルン伯爵邸の倉庫に眠っている。
ではその材料の良し悪しとは、異世界族の素材としての優劣はどこにあるのかというと、大きく3つの項目がある。生死、ステータス、そして健康状態だ。
まず生死。これはもちろん生きている異世界族の方がいい。
次にステータス。レベルが高くて、スキルがたくさんあって、つまりは強者であればあるほど良い。
最後に健康状態。これは傷や毒があると減点というわけだ。死体の場合、その鮮度も大事だ。
なぜこんなことを詳しく知っているのかといえば勿論お嬢に教えてもらったからなのだが、ではなぜ教えてもらったのかといえば、より良い状態の異世界族を持ち帰ることが俺の仕事だからだ。
お嬢の下で異世界族を退治している人間は十数人いる。しかしこの材料調達を任されているのは俺ともう一人、眠りに落とす直刀《不見夢》を所有するユネだけだ。
そもそもの話、異世界族は強い。
それは単純に技術や技能が優れているというだけではなく、人智の及ばない何かに守られているような、見守られているような、そういう強さだ。
彼らの武術や魔法も確かに強力だが、なにより恐ろしいのはその強運なのだ。
それに対抗するための《神威物》ではあるが、しかし性能があまりに極端なので加減というのが難しい。
材料としては滅茶苦茶強い異世界族を傷一つなく生け捕りにするのが最も理想的だ。しかし下手にそんなことを考えていては逆にこちらが殺される。
そのためお嬢は異世界族を素材として持ち帰れとは言わない。自分が使っている《神威物》が、異世界族から作られていることすら知らない者もいる。
その例外が、俺とユネだ。
ユネは《不見夢》により異世界族を生きた状態で持ち帰れる。さらに言えば、あいつは《神威物》なしで異世界族を狩ったことのある優等生であり異端児だ。お嬢もその実力を信頼しているので、難しいことを頼んでいるのだろう。
俺の場合はそもそも《不拘箱》が材料調達のための《神威物》と言っても過言ではなく、むしろそれしかできないくらいだ。
異世界族の体を乗っ取り、その反則的な成長速度を活かしてステータスを育て、良質な材料を作る。これが俺の仕事だ。
乗っ取られた状態、つまり本来の精神が入っていない異世界族の体でも、反則的な性能は消えない。死体からでも《神威物》が作れることがそれを示している。
異世界族の異世界族たる所以は、その精神ではなく肉体に在るというわけだ。
ちなみに一つの体に居続けられるのは3ヶ月だ。それ以上は急速に体が朽ちていき、俺という精神も崩壊するらしい。お嬢に聞いただけで、もちろん試したことはないが。
3ヶ月というのは意外と短い。
手段を選ばなければやりようはあるが、しかしこの世界が掻き乱されないように異世界族を狩っているのに、俺が荒らしちゃあ本末転倒だ。というわけで選べる中で最良の、そしてお馴染みの手段を今回もとる。
期限まで残り81日。
必要最低限のスキルだけ習得し東へ向かう。
目指すは魔族領、その奥の奥のさらに奥。
魔神が住まう大地の裂け目――深淵の暗谷。
◆ ◆ ◆
「お前も付いて行けばいいじゃないか。そのレベル上げとやらに」
「いやいや。僕にはとても、あの場所の障気は耐えられません」
「そうなのか? 砂漠の民というのは厳しい環境にも適応する種族だったと記憶しているが?」
「水の中では呼吸ができないのと同じことですよ」
「我はできるぞ?」
「そりゃ魔王ですもんね……」
第三魔王城の一室、我の仕事部屋を訪ねてきたのは真白な肌に砂色の髪、赤い瞳の砂漠の民の小僧だ。
此奴、平素はハイジという名の会うたび姿が変わる奇天烈な人間と共に異世界族を対峙しているのだが、乗っ取りが完了してハイジが修行期間に入るとやることがなくなるのだ。
故にこうして暇潰しに来ている――というわけではない。
この砂漠の民の小僧カルナイクは、《神威物》を使う度に対価として己の寿命が減っていく。そして寿命が心許なくなると、さながら小遣いをねだる子供のようにここに来るのだ。
「そういえば今回は彼奴一人で乗っ取ったらしいな。お前としては不満か?」
「そりゃあもちろん。僕があの人と組んでるのは乗っ取る前に死なないようにというのも一つですが、万一失敗した場合の後始末を任されてるからなんですよ。それなのにあの馬鹿は……そもそも二人一組で動けというのがお嬢の指示なのに」
「ふっ、今頃しっかり叱られてるんじゃないか?」
「だといいんですけどね」
窓の外を見るカルナイク。
吐いた溜息は身勝手な相方のことを考えてだろう。
まあこの二人組は然して長い時間を共に過ごしているという訳でも無いからな。 異世界族を見つけたら、此奴等は遅くとも一週間以内には乗っ取りを完了しているらしい。ハイジにとっては寧ろその後のレベル上げの方がメインだ。仲間意識は薄いだろうし、相性もあまり良くない。
人材は限られているので仕方ないことではあるが、不憫な奴だ。
覇気の無い砂漠の民とそれを眺める魔王のもとに、こんこんとノックが響いた。
「スコーラでございます」
「おう、入れ」
姿を見せたのは小柄な男。赤黒い衣装に身を包み、手には紙の束を抱えている。
こいつは魔王としての我の秘書であり、異世界族狩りに関しては相方だ。ハイジとカルナイクのようなものだ。尤もここ一年は幸か不幸か、異世界族にお目にかかる機会もないが。
「いらっしゃっていたのですね、カルナイク様。茶をお持ちします」
「ありがとうございます」
「と、その前に魔王様、こちらを」
「うん?」
渡された報告書に目を向けると……ふむ…………あの糞生意気な青二才が面倒な事をしてくれよって調子に乗るなぶっ殺してやろうか。
「魔王様、殺気をお抑えください。紅茶が波打って溢れてしまいます」
「ここにあることは全て事実か?」
「報告書とは事実を記したものであり、それは間違いなく報告書でございます」
苛立つ我にカルナイクが恐る恐る声をかける。
「何かあったんですか?」
「第八魔王が異世界族召喚の儀式を計画しているという話だ。下から数えた方が早い雑魚のくせに、身の程を弁えることも出来んのか」
「魔族領に出る異世界族なんて年に一人いるかいないかでしょう? そんなに怒らなくてもいいじゃないですか」
「異世界族はどうでもいい。あの糞餓鬼が巫山戯たことに手を出しているのがとにかく気に食わん」
「魔王様、第八魔王のことがお嫌いなのは分かりますが、ここは気をお鎮めください。まずはお嬢様に報告いたしましょう」
「……そうだな。召喚は早くても二月後ということだし、いくらでも手は打てるか」
「じゃあ僕が伝えてきますよ。それ、見せてもらっていいですか?」
「おう、ほれ」
それにしても第八魔王め、一体どこから異世界族を召喚する技術を得たのだ?
◆ ◆ ◆
第三魔王さんが所持する《神威物》の能力で寿命を補給した僕は荒野を一人、お嬢のもとへ急ぐ。とはいえ僕は瞬間移動どころか高速移動もできないので、今はまず人族領と交流のある第二魔王領に向かっている。そこから人族領に入り、お嬢のいる交通都市を目指すのだが――
「どうしてこんな所に砂漠の民がいるんだぁ?」
第三魔王領を出て、第二魔王領に入ってすぐの所で声をかけられてしまった。
第二魔王領は確かに人族と交流があるが、しかしそれもごく一部の地域。こんな領境付近に魔族でないものがいるのは不自然だ。そういう意味では「どうしてこんな所に」と言われるのも不思議ではない。
しかし不思議なこともある。
というのも僕に声をかけたその男もまた、本来はこんな場所にいない種族だったからだ。
砂色の僕よりいくらか白に近い肌の色、頭の横に丸みを帯びた耳――人族だ。
第二魔王領は確かに人族と交流があるが、しかしそれもごく一部の地域。こんな領境付近に魔族でないものがいるのは不自然だ。そういう意味ではこちらの方こそ「どうしてこんな所に」と言いたくなる。
もちろん声をかけられる前に相手の存在には気付いていたので、鉢会わないようルートを変えることもできた。しかし相手も僕に気付いていたとしたら、下手な動きをすれば変に目を付けられる可能性があった。というわけで大人しくこうして鉢会ったわけだけど。
さて、どう誤魔化したものか。
「実は道に迷ってしまってね」
「へぇ」
カチッと、金属が触れる音がした。
剣を鞘に収めた音だ。
こいつ、いきなり斬ってきやがった!
殺気を感じたので咄嗟に飛び退いたが、完全には避けきれなかった。胸元に血の線がつうっと滲む。
「今のを避けるのかぁ。やるじゃん」
「お褒めに与り恐悦至極だよ」
目の前の危険人物に注意を払いつつ、背の弓に手を伸ばす。
「君に襲われる覚えがないんだけど?」
「んぁ? それはぁ、あれだよ。なんとなくだよ」
「じゃあなんとなく見逃して「なんとなく、お前は俺の敵だと思ったんだよ。思っちまったもんは仕方ねぇよなぁ?」
「……ああ、仕方ないね」
やばい奴だ。
思考回路もやばいし、実力もやばい。
そして十中八九異世界族だろう。勘弁してくれよ。
男から吹き出した強者の空気は、剣を収めてもなお収まらない。
こいつ、恐らく最初の一撃で殺そうと思えば殺せていた。それをしなかったのは僕なんていつでも殺せるから。頑張らなくても、機を見なくても、どうとでもできるから。
ではその油断に付け込むとしよう。
「んじゃぁお前も武器持ったことだし、第二ラウンドといこうかぁ」
僕は返事をせずに全力で駆け出す――敵に背を向けて駆け出す。敵に背中を見せるなんて愚かしいことこの上ないけど、この場合は面と向かって対峙するのも同程度に愚かなので問題ない。それに、無策というわけでもない。
彼我の実力差を正確に捉えていて、ちょっと遊んでやろうなどと考えているこいつが相手なら、これは十分に勝算のある賭けだ。
「んだぁ? 鬼ごっこかぁ?」
そんな呑気な声とともに背中を蹴り飛ばされる。
賭けは僕の勝ちだ。
しかしこんなギャンブルをするなんて、僕らしくないな。ハイジさんが一人で仕事をしてしまったものだから、僕も一人でできることを証明したかったのかもしれない。まあ、なんだっていいや。
バランスを失った僕の体はごろごろと転がり、第二魔王領の縁で止まった。
第二魔王領と第三魔王領の境界、ここには深い谷がある。魔神のいる深淵の暗谷に通ずる谷で、底には草木も枯れる障気が立ち込めている。魔王ですら、第七以降は耐えられないほどの障気だ。第三魔王さんにも言ったが、僕ではとても耐えられない。それは目の前のこいつにもバレている。
「さぁてどうするぅ? 俺に斬られて死ぬか、谷底で発狂して死ぬか」
「こうするよ」
僕は谷に飛び込んだ。
そして弓を構える。
三日後に死ぬ弓《不逃終》。
矢は魔力と寿命で生成される。1本当たりに消費される寿命は約80年。人族であれば1発も射てないような不親切設計だ。
昨日補充してもらった寿命を早速半分ほど使い、矢を2本拵える。それと同時に矢筒から、実体のある普通の矢をこちらは1本取り出す。
一度に複数の矢を放てば普通はまともに飛びやしないが、魔力と寿命で練り上げた矢には実体がない。だから重ねることができる。威力を倍増したうえで、1本の時と同じように放つことができる。
弦を引き、崖の上に狙いを定める。
落ちていく僕を覗き込む不思議そうな顔が見えた瞬間、矢を放つ――と同時にまた残りの寿命を半分ほど消費し矢を作り、即座に放つ。
実体のある普通の矢に隠した二射か、その後の追いの一射か。どれかが当たってくれればいい。
《不逃終》の矢は実体がないので、当たっても血は出ないし痛みも感じない。命中したのか否か、僕には判断できない。落下から10秒は経ったか、あの男の姿は岸壁の凹凸に紛れてもう見えない。
ぐんぐんと細くなる光に見下ろされながら、残りの寿命をほぼ全て消費して最後の矢を作る。確実に外さないようその先端を腹に押し当て、放つ。
――本当に何も感じないんだな。
補充してもらった寿命を一日で1000分の1未満にした僕は、光の届かない遥か谷底へと落ちていく。
大丈夫。僕が死ぬのは三日後だ。
それまでは、何があっても死ぬことはない。
第八魔王が企む異世界族召喚計画のことを伝えるべく、僕は谷底を進まねばならない。お嬢に会うことはもうできないけど、勝手なことをしてくれた相方がいるはずだ。
目指すはこの世で一番障気の強い場所。
ハイジさんが修行しているはずの場所。
魔神が潜む、大地の亀裂――深淵の暗谷。