003 薔薇色の龍
◆ ◆ ◆
「ハイジさんが休暇中に一仕事したそうです」
「へー」
「私たちもいい加減やりません?」
「んー」
「これ以上待ってると、やっぱりよくない影響が出ちゃいますよ」
「んー」
「というか昨日のあれは、もうアウトじゃないですか?」
「んー」
「一つの山脈を支配してる龍を狩られちゃうのは、まずいと思うんですよ」
「あー」
「ユネさん、聞いてます?」
「じゃあ、やろっか」
「えっ」
「今から収穫、しちゃおっかー」
◇ ◇ ◇
「ローズドラゴンの討伐を祝して――乾杯!」
「「「「乾杯!」」」」
オロワルの街。そのメインストリートを少し逸れたところにある酒場兼宿屋《白狼の星眼亭》にて、俺たち5人は勝利の祝杯を上げていた。
「いやー、それにしても危ない戦いでしたね。まさか3種類ものブレスを使えるとは」
艶やかな深緑の髪を腰まで伸ばしたエルフ族の美少女、フェートが透き通った鳥のような声でそう言うと、
「ま、あたしらの敵じゃあなかったけどな!」
ウェーブがかった真っ赤な髪が眩しい猫人族の美少女、レクィンが場の温度を高めるように快活に笑う。
「クウヤ様の最後の一撃、あれには鳥肌がたちました。わたくし、一体何度クウヤ様に惚れ直せばよろしいのでしょうか」
純白のローブに身を包んだブロンドの聖職者の美少女、ティレルが悩ましげにも嬉しそうに頬を染めれば、
「クウヤ格好よかった」
神秘的な蒼髪に白い花飾りが煌めく半人半魔の美少女、コノネは満足げに頷きながらぽつりとそう溢す。
「いやいや、みんなのおかげだよ」
彼女達はヨイショヨイショと持ち上げてくれるが、僕の力が発揮できたのは間違いなく彼女達のおかげだ。
薬道空谷という名前からも分かるように、僕はそもそもこの世界の人間ではない。
前の世界では外を歩いている時に突然降ってきた何かに押し潰されて死んでしまった。それからどういうわけか一面真っ白な世界で神様とやらに起こされ、恩恵とやらを貰い、そしてこの世界に放り込まれた。つまり前の世界で培った知識と神様に貰った強大な恩恵という、チートの重ね着をしているわけだ。
そうは言っても僕は全智でも全能でもない。この世界で出会った4人の少女、彼女達に助けられながら僕は生きている。
「みんな、本当にありがとう」
照れくさいけれど今日くらいは素直に伝えてみた。
それから2時間ほど、互いに互いを誉めて称えて持ち上げて。お腹一杯食べて眠くなってきたし、そろそろお開きだ。
僕らはこのお店の3階に大部屋を一つとってある。
部屋に戻ると戦闘の疲れか満腹感か、おそらくその両方だろう。みんなすぐに眠ってしまった。僕もまた横になって目を閉じると、それから10も数えないうちに深い眠りに落ちていった。
◇ ◇ ◇
翌朝。
空がうっすらと白を伸ばし、太陽を出迎える準備ができた頃。みんながすやすやと気持ち良さそうに眠っている中、僕は飛び起きた。跳ね起きた。爆ぜ起きた。布団をふっ飛ばす勢いで起き上がった。
常日頃から日の出に合わせてそんなダイナミックな起床をしているわけではない。僕にそんな習慣はない。そもそも今日はたっぷりと寝て、昼過ぎまでごろごろしてやろうと思っていた。それなのに飛び起きた。起こされた。
それは強烈な殺気だった。
禍々しくて毒々しく、刺々しくて荒々しい。
強烈で狂烈で――凶烈な殺意。
清々しい朝にはまるで似合わない、殺しの匂い。
恐らくだいぶ遠いところで放たれたものだろう。そうでなければフェートもレクィンもティレルもコノネも、こんな呑気に寝ていられない。
これまであちこち旅をしてきた中で、僕が殺気や悪意といった負の感情に一際敏感であることは分かっていた。だから僕だけが感じ取れたことも、おかしな話ではないが――何か嫌な予感がする。
何もなければよいのだが。
使いなれた剣だけを持って宿を飛び出し、殺気を感じた方角へと太陽を背に駆けた。
ただこの時には思い至らなかったけど、僕の行動は完全に間違いだった。
これまであちこち旅をしてきた中で、自分が想定外の状況に滅法弱い人間だと分かっていたはずなのに。そんなときはまず周りに助けや意見を求めるべきだと、そう学んでいたはずなのに。
僕は一人、駆け出してしまった。
◇ ◇ ◇
二度目の殺気は宿を出てすぐ襲ってきた。ばっとそちらを見ると一瞬、ほんの一瞬、しかし確かに人影が見えた。かなり素早い相手のようだが、今のではっきり分かった。こいつは僕を狙っている。僕だけを狙っている。
一度目のもそうだったのだろう。だから僕だけが飛び起きて、同じ部屋にいた彼女達は反応しなかった。
僕は殺気を感じ取れるというだけで決してその専門家というわけではないが、それでもこの殺気を放っている人物が相当な実力者であることは分かる。これは昨日5人がかりで倒した薔薇色の龍より、遥かに強烈な殺気だ。そして個人に標的を定める指向性。只者ではない。
こんな相手と街中で戦ったら、どれだけの人が巻き込まれることか。
僕は進路を変え、全速力で街を出た。
見晴らしの良い更地で、敵を待ち受ける。
僕を狙っているのならこちらから行かなくとも向こうから来るはずだ。
「かかってこいよ。こちとら朝早くに起こされて機嫌が悪いんだ」
答える声はない。
それから数十秒――現れない。
少しずつ冷静になってくると同時に、胸騒ぎを感じる。
何故来ない?
街の中と違って建物も何もない、見晴らしの良いこのフィールドが苦手だから? あれだけの殺気をぶつけてきておいて、そんな理由で足を止めるのか?
僕を殺したいんじゃないのか?
僕達の中で最も年上で人生経験も豊富なエルフ、フェートから忠告はされていた。あちこちで強大な魔物を倒し、時には悪人を懲らしめ、良くも悪くも目立ってしまった僕達には嫉妬や怨恨といった負の感情を向ける人がたくさんいるだろう、と。その中には直接攻撃を仕掛けてくる人もいるかもしれない、と。
だからこの殺気もその類いかと思ったんだが、それにしては何も起きない。
……いや、起きているのか?
僕の知らないところで――彼女達のところで!
◇ ◇ ◇
地獄絵図。
急いで宿に戻った僕の目に飛び込んできたのは、まさに地獄の惨状だった。
4人がそこで、死んでいて、フェートが、レクィンが、ティレルが、コノネが、死んでいて、部屋一面が赤く染まって、血に染まって、死に染まって、バラバラにされた腕が、足が、誰のものかも分からなくなって、散らかって、散らばって、床にも血が、壁にも、血が、天井にも血が、飛び散って、飛び血って、血って、血に塗られて、血にまみれて、匂いが、血の匂いが、死の匂いが、部屋を包んで、満たして、僕の、服に、染み付いて、染み渡って、死み付いて、死み渡って、一歩踏み出すと、びちゃっと、血が跳ねて、誰かの血が、びちゃっと、その音だけが、血と死が支配するこの部屋に、音はそれだけで、また、びちゃっと、びちゃっと、血が、びちゃびちゃ、び血ゃっ、び血ゃび血ゃと、それだけが、その音だけが、
「クゥ…………ャ……」
「コノネ……?」
声が 聞こえた
血の音ではない 死の音ではない 声が
見れば 半人半魔の彼女には 両腕がなく 片足もなく 今にも死にそうで
「コノネ!」
だから僕は 駆け寄って
「コノネ! コノネ!」
名前を叫びながら 必死に治癒魔法を それでも失った血が あまりにも多すぎて 彼女は 震えていて 怯えるように 震えていて 目の焦点も あっていなくて
「ぃ……げ…………」
何かを僕に 伝えようとしてくれて 僕はひたすら 治癒魔法で 少しでも 命を 彼女の命を 繋ごうと 伸ばそうと 必死に 臨死の彼女に 必死に
「コノネ! 死ぬな! 絶対に助けるから! だから! 死ぬな! ぜったいに! しぬんじゃ
◆ ◆ ◆
眠りに落とす直刀《不見夢》。
発動条件を満たせばチート万歳な異世界族ですら眠らせることができる。さらに一度発動してしまえば、これを抜くまで決して目覚めることはない。眠らせるというより保存すると言った方が正しいのかもしれない。
その発動条件は――刺されたことに気付かれないこと。
それが『刺し始めてから刺し終えるまで気付かれない』なのか、それとも『刺し終えてから効果の発動までに気付かれない』なのか、はたまたその両方なのか。詳しいことは聞いていないが、どうであれ使い勝手の悪い一振りだ。
眠りに落とすという効果ゆえ、既に眠っている相手には使えないし。しかも発動に失敗したら、つまり刺したことに気付かれたら、その眠りは所有者に返ってくる――永眠という形で。
それに比べて私が使っている、ステータスを偽るネックレス《不嘯嘘》のなんとまあ良心的なことか。
『身に付けたら死ぬまで外せない』程度の欠点があるだけで、これといった発動条件はない。にも関わらず、どんな鑑定スキルも解析スキルも騙せる。秘密を抱えたまま異世界族に近付くには、願ったり叶ったりの代物だ。
そんな私が今回近付いた異世界族、薬道空谷は眠りに落ち、コノネの上にどさり覆い――被さることはなかった。
「お疲れ様、フェートちゃん。じゃあ私は異世界族持っていくから、後処理よろしくー。ばいばい!」
そう言って《不見夢》の所有者ユネさんは、首の付け根から直刀の柄を生やした空谷をひょいっと担ぎ上げ、部屋から出ていった。
私は誰もいなくなった部屋でのろのろと体を起こす。
身体中にべっとりと貼り付いた生乾きの血が気持ち悪い。
「リフレッシュ」
自分の体と、この部屋もまとめて浄化魔法で綺麗にする。この魔法は本来服についたシミを消したり、転んで擦りむいた皮膚を消毒したり、そういった小さな範囲にしか使わないし使えない。
しかし今持っていかれた薬道空谷を含め、これまで6人の異世界族のもとで異世界の知識や彼らの魔法を盗んだ私には、これくらいの芸当は言葉の通り朝飯前だった。
「?」
ふと視線を感じて下を見ると、大きく見開かれた目がこちらに向けられていた。半人半魔の少女コノネだ。そういえばこの娘はまだ殺してなかったな。とりあえず莞爾とした笑みを返しておく。
空谷がユネさんに――《不見夢》に気付かないよう、コノネにはギリギリ声が出せる程度に、注意を惹ける程度に生かしておいたんだった。とはいえその役目も終わったし、これ以上この娘を生かしておく理由はない。
私は部屋の入り口に落ちていた、空谷が愛用していた剣を手に取る。これは彼の自作の品で色々と強力な付与がされているらしいが、うーん、私にはちょっと重いかな。
まあいい。腕を少し前に伸ばし、剣の先を脛の高さまで上げ、それをコノネの首の上に持っていく。
最期くらい、心酔していた男の剣でその命を断ち切ってやろう。
ふっと腕の力を抜くと、すっと剣先が下がり、コノネの首をすぱっと両断した。
一度は綺麗になった床に、再び血が滲んだ。
◆ ◆ ◆
「――それから3人の装備とか回収して、死体は森に埋めときました」
「そっかそっか。お疲れさま、フェートちゃん」
交通都市メナメナ『北の貴族区』の一画、ハッシェルン子爵邸の一室にて。テーブルの向こうで紅茶を啜るお嬢様に、今回の成果を報告していた。
ユネさんは「他人の転移魔法で移動したくない」とかいう変な拘りを持っているので、まだここにはいない。オロワルからメナメナまでなら一日もかからない。ちょっとした荷物があるとはいえ、今日中には着くだろう。
「そういえばフェートちゃんのステータスって、今どうなってんの?」
「ええっとですね、まずレベルが――」
普段は《不嘯嘘》で隠している自分のステータスを、お嬢様が止めてくれないので10分ほどかけて全て読み上げた。
「――――そして神級成長補正、成長補正Ⅹ、成長補正Lv.10、成長補正・極。以上です」
「突っ込みどころ満載だね!」
ですよね。
我ながら馬鹿げたステータスだと思う。まず読み上げるのに10分かかってる時点で馬鹿げてる。
「垓なんて数詞使ってる人初めて見たよ」
「私も初めて使いました」
「成長補正4種類もあるし」
「お得ですね」
「ネコミミ魔法ってなに?」
「それは私にも分からないです」
「神級足湯術ってなに?」
「それもちょっと分からないです」
私はこれまで6人の異世界族と行動を共にしたが、その度にスキルの増えること増えること。お陰さまでこんなスキルの博覧会みたいなステータスが出来上がってしまった。
本当になんなんだろう、ネコミミ魔法って。身に覚えがないし、ちゃっかりLv.10だし。
「まあなんでもいいけどさ。そんなスキル大全なフェートちゃんに、ちょっくら頼まれてほしいことがあるんだけど」
「なんでしょうか?」
私はお嬢様の僕なのだから、そんな言い方せずに普通に命令してくれればいいのに。しかし何か不安でもあるのか、お嬢様はどこか困ったように「んーとね」と躊躇いつつ、その頼みを口にした。
「とある神様について、調べてほしいんだ」