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オーバーズ!  作者: 米方立十
第一章
2/13

001 銀貨一枚


 ◇ ◇ ◇




 考えるより先に体が動くなんてのは、さして珍しい体験ではない。動いてしまった後で『なんでこんなことしたんだろう?』と自分の行動に疑問を持つことは、日に一度くらいはある気がする。そして今日もまた俺の体は、脳を待てなかった。

 なんでこんなことしてるんだ。

 見ず知らずの小学生がトラックに轢かれそうになってるからって、どうして飛び出してんだよ俺は。


 青の横断歩道。

 減速しないトラック。

 ようやく気付いた小学生。


 俺は全力で足を動かして、手を伸ばして、立ち竦むそいつを突き飛ばす。男子高校生の突撃を喰らったそいつは、あっさりとトラックの進路から逸れる。

 しかし俺の方はそうはいかない。咄嗟に動いた体は目的を果たしたのか指揮権を返上してくれたが、突然の事態に混乱中の脳には『もう一歩踏み出してトラックを回避せよ』という命令すら出せなかった。


 動かない体。

 止まらないトラック。


 運転席に見えた男は眠っているのか死んでいるのか、ただ力なく頭を垂れていた。


「ははっ」


 乾いた笑いがこぼれる。


「ついてねぇなあ」


 世界から、音が消えた。光が消えた。

 臭いも消えた。味も消えた。

 体は動かなくなり。

 思考は停止した。




 ◇ ◇ ◇




 音が聞こえた。きいきいと、鳥の鳴き声だろうか。

 光が見えた。目を開けるのを躊躇うほどの眩しい光が、目蓋の上に注いでいる。

 臭いが漂ってきた。記憶が蘇ってくるわけではないが、それでもどこか懐かしさを感じる、自然の臭い。

 味は……味? 強いて言えば空気の味だろうか。それ以上でもそれ以下でもない。

 体が、動く。

 頭が、働く。


 俺は――生きている。


「ははっ」


 自然と笑ってしまった。


「どうなってんだ、こりゃ」


 俺は確か、ええっと、なんだっけ。

 見渡す限り白一色の世界で、神様を名乗る奴に会ったんだっけ。それで、神様がトラックに轢かれそうになったところを助けて……いや、何か違うな。真っ白なトラックに助けられて……いや、神様がトラックを助けて……?


 ふむ。

 ちょっと落ち着こう。


 まるで()()()()()()()()()()みたいに混乱してしまったが、落ち着こう。

 俺は小学生を助けてトラックに跳ねられて死んだ。それ以外は何も起きていない。今はなぜか、胸から下が川のせせらぎに浸かっている。

 川底が見えるほどの清水が、ひんやりしていて気持ちいい。川幅はそう広くない。今俺がもたれているのも含めて、辺りには大きく角張った石がごろごろ転がっている。上流の方なのだろう。顔を上げると、木々が青々と茂っている。


 さて。

 ここは、どこだ?


 とりあえず川から出ようと濡れた腰を浮かせたところで、後ろから声をかけられた。


「目が覚めたのね」


 振り向くとそこには博物館にでも飾っていそうな、いかにも森の狩人といった衣装の少女が立っていた。右手に毛の生えたラグビーボールみたいな何かを抱え、左手には剣なのか鉈なのか、物騒な刃物を持っている。


「こんな場所で苦しそうにしてる人を放っておく訳にもいかないから、勝手に運ばせてもらったわよ。熱は、もう引いた?」


 どうやら俺は森の中で熱にうなされていて、それを見つけた彼女があら大変とここまで運んでくれたらしい。


「ありがとう。助かったよ」


 お礼を言う。

 感謝の気持ちは大事だ。それを伝えることも。


「どういたしまして。ところであなた、こんな所でそんな格好で何をしてたの?」


 そんな格好と言われて下を見てみると、卒業以来部屋着にしている中学のジャージだった。俺にしてみれば狩人装束の方がよっぽど『そんな格好』なのだが......服装は一先ず置いといて。


「あのさ、こんなことを聞くと可笑おかしな奴だと思われるかもしれないんだけど」

「もう十分思ってるわよ」

「......ここ、どこ?」


 可笑しな奴からの可笑しな質問に、彼女は「ああそんなこと」と返した。


「いや、そんなことって」

「ここはラトゥユーの森よ。この川はラトゥユー川の支流の一つね。これに沿って下っていけばラチバルに付くわ」

「......なるほど」


 いや、なるほどじゃねえよ。

 知ってる固有名詞が一つも出てこなかったよ。


「えっと、できれば国名を教えてもらえるとありがたいんだけど......」

「はぁ? あなた相当の田舎者なのね。ラチバラ王国に決まってるでしょ? この川を下っていけばラチバラ王国の首都、王都ラチバルに付くのよ」

「......なるほど」


 なるほど。ここはどうやら、俺の知ってる世界ではないらしい。


 俺は中学生の頃に、なにが切っ掛けかは忘れたが世界の国名と首都を全部覚えたことがある。今では忘れてしまったものも多いが、それでも聞けばそんなのもあったなとなるはずだ。ラチバラ王国なんてのは、聞いたことがない。


 とはいえこれは予想通りと言えば予想通りだ。そう、予想通り。だから慌てる必要はない。死んでしまった人間が同じ世界の別の場所に現れる? そんな話聞いたことがない、うん。


 俺は一度、確実に死んだはずだ。それがこうして存在しているということは、つまりここは死後の世界、天国地獄、黄泉の国ってやつか?

 いや、だとしたら彼女の反応が腑に落ちないか。話し方から見ても、俺が別の世界から来た男だという可能性は微塵も考えていないようだ。それはつまり、俺みたいな存在は、この世界にとって特殊な事例というわけだ。


 ということは。

 ここはもしかして――異世界?


「すまないが、記憶がどうもあやふやで、そのラチバラ王国ってのも分からないんだ」

「そう。随分熱があったから、それもあるのかもね。森の生き物に毒を貰ったのかと思ったけど、そうやって普通に立ててるってことは違うみたいだし」

「立てなくなるほど強い毒を持った動物がいるのか。そりゃ怖いな」

「立てなくなるというか、死ぬ、だけどね」

「……」


 異世界での第二の人生がスタートする前に再び死んでた可能性があったのか。ハードモードが過ぎるだろ……。


「とりあえず大丈夫そうだけど、一応これ」


 そう言って、彼女は右手に抱えていたラグビーボールみたいな何かの先端を左手の刃物でぐりっとくり貫き、俺に差し出した。川をざぶざぶと渡り、受け取ったそれは予想以上にずっしりとしていた。中にはちゃぷちゃぷと赤っぽい液体が入っていた。


「これは?」

「ググの実。中の果汁は栄養豊富だから、飲んでおきなさい。水分補給にもなるし」

「へぇ......」


 恐る恐る口をつけてみると、結構酸味が強い。ちくちくと口内を、喉を刺激してくる。しかし飲み終えると甘い香りが鼻をすうっと抜けていき、それがもう一口を欲しくさせる。あっという間に飲み干してしまった。


「ぷはっ。美味いな、これ」

「でもあんまり飲み過ぎない方がいいわよ」

「え? 栄養いっぱいで、体にいいんだろ?」

「栄養がありすぎるから、健康なときに飲むと逆にお腹を壊すのよ」

「まじかよ」


 先に言えよ。もう全部飲んじゃったぞ。多分500ミリリットルくらい飲んだぞ。軽く睨みながら残った実を返すと、彼女はそれをぽいっと森の方に投げ捨てた。


「え」

「実まで食べたら確実にお腹を壊すよわよ」

「まじかよ」

「それに、ググの実を食料にする動物もいるし、放っておいていいのよ」

「ふーん」


 栄養がありすぎてお腹を壊すような物を食べるなんて、どれだけエネルギッシュな動物なんだ。


「そんなことより、あなたこれからどうするの? 記憶が無いとか言ってたけど」


 無いのは記憶ではなく知識なのだが、彼女からして見れば同じことか。さてどうしたものかと悩んでいると、


「とりあえず私が住んでる近くの街まで来る?」


 と提案してくれた。他にも良さげな選択肢はないか考えてみたが当然浮かぶはずもなく――


「あなたの名前、そういえばまだ聞いていなかったわね」

「俺は奥旋おくせん風騎ふうきだ。風騎と呼んでくれ」

「私はハレット=リクェスよ。ハレットで構わないわ。それじゃあ行きましょうか、フウキ」

「ああ。よろしく、ハレット」




 ◇ ◇ ◇




 ざくざくと森を進みながら、ハレットにこの世界のことを色々と教えてもらった。それによると、ここはいわゆる剣と魔法のファンタジーな世界のようだ。

 魔法とはどんなものなのかと聞くと、ほらと言って指先に炎を出して見せた。


「体内に流れる魔力をこうやって形にするの。すごい人だと指先から出した炎が雲まで届くそうよ」


 そう言われてもいまいち実感も現実感もなくて、へえと中身のない返ししかできなかった。ただ見よう見まねでやってみようとしたら、止められた。


「暴発されて山火事でも起こされちゃあ、堪ったもんじゃないわ」


 とのことだった。俺が暴発なんかするわけないだろ! とムキになるような歳でも状況でもないので、目線の高さまで上げていた右手の人差し指は大人しく下ろした。


 そうして山火事もなく、これと言った事件も事故もなく。休憩を挟みつつ森の中を進むこと約二時間、目的地が見えてきた。普段からさほど運動はしていなかったのだが、意外と疲れなかったな。栄養満点というゲゲの実のおかげかもしれない……ググの実だっけ? どっちでもいっか。


「ここがラチバラ王国で()()()()()()()()、バールナハルよ」


 スプーンでくり貫いたような盆地に、街があった。灰白色の建物が整然と並ぶ中、遠くの方に一際大きなドームが見えた。


「あれはバールナハル教会堂よ。興味があるなら後で行ってみればいいわ」

「中に何かあるのか?」

「さあ? 私も行ったことないから」

「ないのかよ」

「まずは冒険者組合に行って身分証を作って貰いましょう。それがないと教会堂にも入れないからね」


 ハレットの後に続き街に入り、冒険者組合という所に向かった。変わった格好(ジャージ)のせいか道中周りの視線が痛かったが、同時に見慣れない街並みに興奮してもいた。


 どうやらここは、本当に異世界らしい。


「なにきょろきょろしてるのよ、みっともない」

「うるせ」


 街に入って10分ほど歩いたところで、ハレットが足を止めた。


「ここが冒険者組合よ」


 それは大きな五階建ての建物で、正面には剣と杖がクロスした紋様が描かれている。

 中に入ると、そこにはホテルのロビーのような空間が広がっていた。入り口正面のカウンターには職員が6人並んでいる。左を見れば椅子とテーブルが置かれていて、奥にはまたカウンターがある。食事を出してくれるのだろうか。厳つい男たちが何か話し合っていたり、女性が一人で優雅に食事をしていたり、各々自由に過ごしていた。


 ハレットはカウンターの右端、ショートカットの可愛らしい女性の方に真っ直ぐ向かって行くので、俺もそれに付いていく。


「こんにちはハレットさん。珍しいですね、こんな時間に。それも男連れで」

「うん、拾った」


 拾ったって。間違いじゃないんだけど、その言い方はどうなんだ?


「この人の身分証作ってほしいんだけど」

「かしこまりました。それでは、えっと――」

「風騎です。奥旋風騎」

「ではフウキさん、こちらの用紙を埋めてほしいのですが、文字は分かりますか?」

「......」


 職員さんが差し出した紙を見てみると、何やら文字が書かれているようだが......うむ、さっぱりわからん。


「代筆しましょうか?」

「お願いします」


 それから名前とか年齢とか生まれとか、5分ほど色々と聞かれた。途中何度か答えに詰まったりもしたが、そこはハレットが助け船を出してくれた。大変有り難くはあるんだが、それにしてもどうしてこんなにも親切にしてくれるのだろうか。彼女から見れば僕は相当可笑しな格好をしてるから、興味を持たれただけかな。


 そういえば質問の途中でステータスという魔法を教えてもらった。これは自分の能力、状態を見れるというもので、魔法初心者の俺でも暴発することなく、簡単にできた。

 ただその数値が……うん、職員さんから聞いた平均値よりだいぶ高い。あと成長補正とかいうスキルもあるし、慈神の加護とかいうのもある。なんとなく、これは秘密にしといた方がいいような気がしたので、ステータスについては幾つか嘘を混ぜて申告してしまった。

 身分証作るってのに嘘吐くのは不味くないか? と段々不安が膨れ上がってきたが、意外にもあっさりとゲットできた。それでいいのか冒険者組合。


「ではこちらがフウキさんの身分証です。なくしちゃダメですよ。再発行には、銀貨一枚頂きますからね」

「わかりました」


 銀貨一枚の価値も知らないまま、俺は身分証を手に入れた。交通系ICカード程の金属製のそれに記されていたのは、異世界の(俺の知らない)文字だった。


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