我らが祖国は本日も平和です。
カメロード王国、王宮。
モールドレドの執務室。
デスクに座って書類を片付けるのは、当然この部屋の主。
藍色の鎧を纏った黒髪褐色の大男、モールドレド。
「………………………………」
普段から【沈黙のレド】なんて囁かれる程度には寡黙沈着な彼だが……
今、彼がペンを止めて呆然と黙っているのは、その生来のクールさ故ではない。
ちょっと、目の前の光景に絶句しているだけである。
……モールドレドの視線の先にいるのは、彼のマントを奪い取って包まったひとりの少女。
毛先に向かって桃色から緋色にグラデーションを描く不思議な色合いの髪、その髪を押しのけて生える無数の角。
琥珀色の瞳の三白眼に、その辺の肉食獣より鋭い牙。
腕や首筋にはビッシリと紅い鱗が這っている。
彼女の名は、ドラコ・ヴェンドラゴー。
カメロード王国王太子、アホカスこそアルサー・ヴェンドラゴーがダンジョンで拾ってきて妹にした亜人型ドラゴン種のモンスターだ。
……何故かは不明だが、王太子が面倒を見れない時は、モールドレドが面倒を見るのがお決まりになってしまっている。
王太子曰く、「ドラコは貴様を気に入った様だぞ!!」との事。
と言う訳で、仕方無く。
モールドレドは渋々ドラコを預かり、部屋の隅で遊ばせて自分は仕事を片付けよう、としたのだが……
――今、ドラコは「うー♪ うー♪」と上機嫌に鼻を鳴らしながら、【ある逸品】を抱きしめていた。
彼女が抱きしめているのは、自身がすっぽりと収まってしまいそうなくらい大きな七色のゴブレット。
それは【亀跡の聖杯】。
先日、モールドレドの弟・ガヴェインらがダンジョンより持ち帰った、国宝級の代物。
所有者の望むモノで杯を満たす――と言う奇跡を起こす聖杯である。
そのため、何を食べるかわからないドラコに【御飯用】として与えられた、と言うのは、モールドレドも聞いてはいた。
「……………………」
今、ドラコが抱きしめている聖杯の内に満ちているのは……
「……あれは……【コケ】……だよな……?」
聖杯の内にモッサリビッシリの這っているのは、薄緑色に発光する不思議なコケ。
モールドレドの頭がおかしくなっていないのならあれは――ダンジョンの壁と言う壁に這っているコケだ。
「うっうー♪」
いただきます♪ と歌う様に声をあげ、ドラコは聖杯の中にそのお手手や頭を突っ込む。
そして、その鋭い爪や鋭い牙を使って、上手くコケを聖杯から剥ぎ落とすと……
「うー!!」
そのお口を大きく開けて、体内の【魔法器官】で精製した雷撃魔法を、剥がしたコケに浴びせる。
コケが一瞬にして、良い感じのこんがり感に。
「うぃー!!」
完成!! と言わんばかりの自慢げな叫びをあげ、ドラコはこんがりとしたコケをお口へと放り込んだ。
「うぃぃ……!」
頬っぺ落ちりゅ……☆ と言わんばかりの、実に幸せそうなドラコ笑顔。
「………………………………」
その鋭い爪や牙は、壁などに凄い勢いでこびり着いた特殊なコケを剥がすために。
そして、体内の魔法器官は、精製した魔法で熱や冷気を加え、コケを簡単に【調理】して味を変え、楽しむために。
つまり、そう言う事らしい。
ドラゴン種全体がそうであるかは不明だが……
少なくとも、ドラコ姫が好んで食べる主食……それは、ダンジョンならどこにでも生えている、あの不思議なコケだった。
ダンジョンの入口でも、王宮中庭の穴でも、すぐに採取できるものだ。
そう、ダンジョンを探索や冒険なんぞせずとも、すぐに、本当にすぐに採取できるもの。
「…………これは…………」
モールドレドは、思う。
これは、弟達には伝えない方が良いな……と。
「うー♪」