表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
憎悪の花園  作者: 賽藤点野
1/1

サンドバッグ

 今日も球場はお客さんの声で賑わっている。

 しかしそれは歓声ではない。すべて野次と、罵声と、表現規制戦線の矢面に立つ言葉達だ。

 その言葉の嵐をバック・グラウンド・ミュージックに、僕は普段着からユニフォームに着替えていく。このロッカールームには僕しかいない。広い空間を独り占めしている。隔離室と言うのが正しいのだろう。チームメイトで僕と一緒にいたいと思う人など一人もいない。

 ストッキング、アンダーシャツ、ズボン、上着と順に僕の姿が変わっていく。

 そして最後に、ロッカーの上から豪勢な装飾の為された【王冠】を取り出し、帽子の上に被せた。これが欠かせないのだ。皆様にとって。

 僕は使い慣れたグローブを持ち、ロッカールームから出る。


『――ピッチャー、キング・ザ・園生ゾノオ!!!』

 怒声にも似たアナウンスが球場に響き渡った。



 こんな一日がいつまでも続きますようにとはよく歌われるが、こんな一日が歌われ始めたのは僕が高校三年の頃だった。

 僕はある強豪野球部のエースで、速球とシュートを武器に、全国にも名が広まっていた。

 一年、二年と連続して全国大会を制覇。野球は集団でやる競技故、当然僕一人の手柄なわけはないのだが、世間とは得てして目立つポジションの選手を取り上げるもので、キャプテンでもない投手の僕が連日新聞やテレビやネットで取り上げられていた。

 しかし三年生になったその年は、世間は僕ではなくある高校の話題で持ちきりだった。

 その年の初め、この国では大きな災害があった。多くの人命が亡くなり、壊滅的な被害が出た地域の一つにその学校はあった。

 荒れた校庭を整備し、仲間との絆の力で地方大会を制した、被災地の少年達。彼らの進捗は連日のように全国に中継された。災害によって傷ついたこの国にとって、マイナスから這い上がった彼らは希望の象徴だったのだ。

 そんな日が幾数回過ぎ、全国大会のトーナメント抽選会の日がやって来た。

 抽選結果、その学校は初戦で昨年の優勝校、つまり僕達の学校と当たることになった。

 特別な感情が無かったと言えば嘘になる。彼らのことは僕もニュースで知っていたし、同じ高校球児として彼らの偉業は自分のことのように嬉しかった。

 しかし、もちろん僕達は試合で手を抜くつもりはなかった。優勝校だとか強豪校だとかそんなことは関係なく、いつでも全力で試合に臨むのが、対戦相手と野球の神様に対する礼儀だと僕は思っていた。それが、絶望から這い上がり全国の舞台に上がってきたチームなら尚更のこと。

 そうしてまた幾日が経ち、全国大会の開会日がやってきた。選手宣誓は対戦相手のキャプテンが務めた。

 彼は僕と同じ投手で、同時に強打者も兼任する、心技の伴ったリーダーだった。周りの期待や注目に何の気負いもせず、威風堂々と選手宣誓をする彼の姿は、敵ながら惚れ惚れとした。

 あるいはこの時点で、彼は僕なんかよりも遥か高みにいる選手だったのかもしれない。

 そして記念すべき全国大会一回戦、僕達と彼らとの試合が開幕した。僕達は後攻、彼らは先攻だった。

 僕はこの日に会わせ体調を万全のものにしてきたが、やはり緊張があったのだろう。一番、二番と三振に取ったが、三番打者に手痛い一打を頂いてしまった。ツーアウトランナー二塁。

 初回でいきなり得点圏にランナーがいる中で、四番打者である件のキャプテンが現れた。球場の熱気は最高潮。後で知ったことだがテレビの視聴率も二十パーセントを越えたらしい。

 左のバッターボックスに立つ彼の姿は、宣誓台の上と変わらず堂々としていた。

 僕は身震いした。三年目となる全国大会のマウンドだったが、かつてない強敵に出会ったと本気で思った。思った、というより、その場の空気に触れる肌で直接感じたというのが正しい。

 相手にとって不足なし。僕は今までの中で最高のストレートを投げてやろうと思った。武器である速球で、彼を三振に取ろう。

 真後ろにランナーがいるのにも構わず、僕は大きく振りかぶって、高校野球人生の重みを全て指先に込め、ボールを放った。


 時速一五〇キロを超えるそのストレートはバッターの右腕に直撃した。


 世界が一瞬にして変わった。

 バットを手放し、腕を押さえ込んで倒れるバッター。

 先程の歓声が煙のように消える球場。

 ベンチからキャプテンに駆け寄るチームメイト達。

 地面に伏したまま顔を上げないバッター。

「タンカ」という叫びと共にバッターボックスに走る大人数人。

 事態に頭が追い付かず、帽子も取らずにマウンドで佇む僕。


 そして僕達は、一回戦を完封勝利で終えた。



 大会三連覇を達成した僕達を迎えたのは、世間からの攻撃だった。

 いや、そこは僕達でなく早い内に僕になったと思う。世間とは得てして目立つ活躍をした選手を取り上げるものだ。

 初回の打席で死球を喰らった件のキャプテンは右腕の上腕骨を骨折し、以前のように球が投げれなくなってしまった。大会終了後も部活動には顔を出していたそうだが、高校卒業と同時に、野球人生から身を引いてしまった。

 全国から多くの期待を集めていた彼の引退は人々にひどい悲しみをもたらし、同時に彼をそんな目に遭わせた人物には激しい怒りがぶつけられた。

 最初の内、それこそ大会の途中は「園生だってわざとやったわけではない」「これはスポーツで個人の恨みは関係ない」など僕をフォローする意見もあった。

 しかしそこから先の僕達、また僕は、まるで呪われているかのように、勝ち続けた。

 二回戦は強豪相手にわずか一失点の活躍。三回戦、準決勝は完封勝利。そして決勝はあろうことか、僕はノーヒットノーランを達成した。

 その決勝戦が、僕に対する世間の評価を決めた。

「初手死球。マウンドの園生は帽子も取らず。」

「終わる被災地の夢。優勝旗はまた王者の学校に。」

「【高校野球】あの園生のデッドボールはどう考えても戦略だよなwwww」

 連日のように各メディアで僕を批判するニュースが流れ続けた。大会終了後は僕と一緒に世間からの攻撃を堪え忍んでいたチームメイト達も、攻撃の矛先が僕に集中し出すと、自然に僕から距離を取り始めた。

 この頃僕は、正直プロにはなれないだろうと思っていた。こんな世間からの嫌われ者を欲しがる球団がいるとは思えなかったし、僕自身、あの時の死球をまだ引き摺っていた。

 高校を卒業したら僕もあのキャプテンのように野球を辞めよう。そして世間から僕の存在が忘れられるのをゆっくりと待とう。

 そんな僕の目論見は、某球団からのドラフト一位指名という現実によって破壊された。

 出来の悪いコントでも見ているかと思った。この世間の流れの中、僕を取ることに何のメリットがあるのか。僕は球団監督に訪ねた。

「プロの世界は実力本意だ。いくら世間がキミを叩こうと、プロのマウンドで結果を残せば、文句を言う人間は誰もいなくなる」

 監督のその言葉で、僕はもう一度頑張ってみようという気持ちになった。単純なことだったかもしれないが、この時の僕を励ましてくれる人間は、その監督が現れるまで一人もいなかったのだ。

 僕は必死に練習を重ねた。球団内での練習試合でも結果を残し、シーズン開幕から一軍、さらにオープン戦の先発投手にも抜擢された。

 マウンドに立った時、大きな期待と注目が僕の背中にのしかかった。ふと、あの日バッターボックスに立ったあのキャプテンにも同じ重みがかかっていたのかな、そんなことを考えた。


 結果として、監督の目論見は大いに外れた。


 世間の僕に対する評価は好転するどころか悪化の一途を辿った。僕が試合で勝利する度に、メディアは「また勝ちやがった」と僕を批判する記事を掲げた。あくまで僕は世間の敵だというのが、人々の認識だった。

 勝利する度に、というのは正しくないかもしれない。僕はプロになってから一度も試合に負けたことがない。つまり僕がマウンドに立てば立つほど、僕の評価は下がるに下がるのだった。

 やがてその攻撃の余波が僕を雇った球団にも襲いかかり始め、実力本意で僕を指名した監督は一度も負けたことがない僕を二軍に落とした。

 今度こそ終わりだと思った。もう世間が僕を忘れてくれるとは分からなかったが、これ以上嫌われる前に身を引く時期だ、と。

 しかし例の監督がまたしても僕の予想を裏切ってくれた。二軍に落ちてから日も浅い内に、一軍に戻ってくるよう指示があったのだ。僕は理由を訪ねた。

「客がな、お前を呼んでるんだよ」

 最初、またそれは僕を励ます言葉だと思ったが、どうもその意味は違うようだった。

 積極的にテレビ、パソコンの画面から顔を背けていたため知らなかったが、僕がマウンドから姿を消した日から、観客がひどく荒れ始めたというのだ。

 園生を出せ、園生を出せと、まるで犯罪者を追い回す刑事のように。


 話を聞いていき、僕は世間に対する僕のポジションを知った。

 いつしか人々は、大嫌いな僕が勝利する姿を観るために、球場に足を運んでいた。

 それは野球ファンだけではない。会社、学校、政界、お茶の間、あらゆる場所からストレスや怒り、鬱憤を溜めた人々がやって来た。

 僕という悪を憎むことで、そのもやを晴らすために。

 僕という悪は、全国大会の舞台でライバルを死球退場させた姑息な男から、国中のヘイトを一身に受ける必要悪にまで育てられていたのだ。

 僕は、監督の指示に従うことにした。

 結局のところ僕は野球以外で食っていく方法を知らなかったし、きっとこのまま何もしなくても、誰かに会えば誹謗中傷の嵐に巻き込まれるだけだろう。

 ようは被災する場所の違いの話だった。町中か、住み慣れたマウンドか。

「上からの指示だ。今日からはこれを付けてマウンドに立て」

 そう言って監督が差し出したのは、大袈裟な装飾のなされた【王冠】だった。

 そのアイテムの成す意味はすぐに分かった。きっと、これを被って投げればお客さんの激情がさらに満たされることだろう。

 僕は王冠を受け取った。そしてこの日から僕は、世間が統治を認める邪知暴虐の王になったのだった。



 軽快なミットの音と共に、アウトカウントの赤いランプが点灯する。

 肩の調子は絶好調だ。九回表まで投げて無失点。ヒットもない。今日はノーヒットノーランを狙えるかもしれない。

 スポーツ選手というのは如何に自分のリズムや周りの環境を整えるかが肝だが、その点僕は環境に恵まれている。

 ストライクが入る度に罵声が上がり。ボールになる度に下手くそと野次が飛ぶ。【王】に就任してからはずっとそれだ。温暖化が危惧されるこの星よりも安定した環境である。もっともその温暖化に対する憤りも全て僕に向かうのだが。

 二人目を三振に取りツーアウト。球場の怒気は最高潮に達しようとしている。

 身体、精神のリズムも万全だ。人付き合いに悩みはない。チームメイトや監督も含め、この僕と付き合おうという人間などいやしない。【王】は自分のことだけを考えていればいい。独裁政権だ。

 ツーストライク。今日は帰ったら何をしようか。数年前から毎晩のように続く扉を叩く音、太鼓を慣らす音、園生出ていけコールにも慣れたところだ。ヘッドホンの大音量でも僕は熟睡できるだろう。引っ越しても数時間で特定されることだし。

 小さなストロークから、指先に軽い力を込め、ボールを放る。最近身に付けたチェンジアップで空振り三振。新しい変化球を身に付けるとその度にマスコミにしつこく叩かれるが、そこまで大っぴらに明かしているのだから他球団はもっと対策を練ればいいと思うのだが。

 さて、今日の政務はこれで終わり。これから先は敗戦チームへのヒーローインタビューがあるだけだ。ベンチに戻って――


 右腕上腕に鈍い痛みが走った。


 前を見ると、同じチームのキャッチャーが、マスク越しでも分かるくらいに目を剥いて、どこに隠して持っていたのか、小さなナイフを僕の右腕に突き立てていた。

 同じチームのキャッチャー。僕へのヘイトの余波を喰らうチーム内で、一番の被害を被るポジション。

 納得のクーデターだった。


 火種はすぐ燃え広がった。

 まず近くにいた最終打者がたまたま持っていたバットで僕を殴った。

 内野手がスパイクを脱ぎ即席の武器として僕に襲いかかった。

 外野手が得意の俊足で僕に近づいていく。

 敵、味方のベンチから各々武器を手に取り選手が向かってくる。

 観客席から多種多様の人々がグラウンドに押し寄せてくる。


 僕はどうしてこんなに事態を俯瞰して見ていられるのだろう。あるいは、最終打者の一撃でもう意識が大分宙に浮いてしまっているのかもしれない。

 この事態は大分前から予見していたことだった。具体的な時期は分からない。あるいはそれは、かの全国大会であのキャプテンに死球をぶつけた時から無意識に感じていた滅びかもしれない。

 悔いを探せばいくらでも見付かりそうな気もするが、とりあえず現状に不満はない。こうしてマウンド上で死ねるのだ。ピッチャー冥利に尽きる話だと思う。

 しかし、それでも王の最後の悪足掻きとして、僕は考える。


 僕という王が退席した後、この人々の憎悪は一体誰が統治するのだろう、と。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ