アフターストーリー09 「落ちる」
『そんな馬鹿な!!!!! なんてこったい!!!!
どうすんだ、これから!!! 終わった・・・。何もかも終わっちまった・・・。』
それは、私が社会人になって数年も過ぎたある日のこと・・・。
その日、私は同僚で先輩の佐藤さんから誘われ、いつものメンバーでの飲み会を楽しんでおりました。
「う~ん・・・。」
「なっなんすか、間宵さん、人の顔さっきからジッと見て・・・。(また何か変な事言い出すんじゃねえだろうな・・・。)」
「あのさ~・・・。 ユキちゃん、ここ数ヶ月は気を付けた方が良いわよ~。」
「えっ!?・・・。 いったい何をっすか!?」
「なんかさキミ、パッとしない顔してんだもの。」
「パッとしない顔って・・・。うわーっ、これまたビックリするぐらい失礼だな、この人!」
「あはは! まあ気を付けるにこしたこと無いって! あはは! 」
「いや、だからいったい何に気をつけろと・・・。」
「あっ、それでさ~、ユリちゃん! この間のお店どうだったのよ!?」
「えっ!? ああ! 結構良いものいっぱい置いてありましたよ~! 今度一緒に行きましょうよ!」
「え~っ! 行く行く! 約束だよ~!」
「あの・・・。 間宵さん? 結局、俺はいったい、何を気をつければ・・・。」
「は? 何の話だっけ!?」
「・・・。(わーなんだこの人、ただのヨッパライだこれ!)
そして、それから数ヶ月が経ったある日の事・・・。
その日、私の会社では、夏のボーナスが支給される重要な日でした。そして同時に、給料日でもあるのでした。今考えますと、給料とボーナスを同時に支給するなんて、ちょっと珍しいかもしれません。
さらにこの当時でも、大きな所は給料もボーナスも銀行振込がほとんどだったと思うのですが、まだまだ手渡し支給もチラホラと残っており、私の勤めていた会社も大所帯のわりには、給料もボーナスも頑なに手渡しにコダワリを持っていたようで。この日も就業後、儀式の様にボーナスの授与式が始まるのでした。
ただ当時の私は、やはり手渡しというのは「働いて金を稼いでいる」という実感を感じ取れる瞬間でもありまして、単に銀行口座に無造作に放り込まれて、明細だけを配られるよりも、遥かに重みのあるものと感じていました。
そう、この事件が起こるまでは・・・。
「おう渡辺! 今日はダブル収入デーなんだ。久々に良い所で呑もうぜ!」
「あっ、わりい。俺、これから用事あんだよ。」
「ええ? 私知らないよ? どこ行くの?」
「すまんね、ユリ。 ちょっとした野暮用だよ。夜には帰るからよ。」
「ああ、あれだ、ユリちゃん。 コイツ、外に女作ってんだよ。」
「・・・。」
「まてまてまて!!! サラッとアホなウソ情報ふき込んでんじゃねえ!!!
お前と違って、ユリは純真無垢なんだぞ! 信じちまうから止めろバカ!
まあ良いから良いから、ユリも楽しみにして待ってろって。
大草、お前もたまには彼女の相手してやれよ。浮気されんぞ。」
「お前にだきゃあ言われたくねえよ。この浮気もの。」
「いや、だから何でもうしたことになってんだよ。
あのユリさん・・・、顔が怖いんですけど、ホントにしてないですよ・・・。
まっまあ、そう言う訳だから、じゃあな!!!」
「おっ、逃げた。」
「・・・。」
そんな訳で、私はボーナスと給料全額という大金を財布に無理矢理捻り込み、バイクに乗って、十五キロほど離れた大きな市街へと向かうのでした。
その途中・・・、ガソリンスタンドによって給油をし、仕切直して市街への道をひた走る訳ですが、大金が入った喜びと、恐らくこれから夜には、彼女の喜ぶ顔が見られるだろうという嬉しい予想図を立てながら、その浮かれ具合はピークに達し、私は陽気に鼻歌なんか歌っちゃったりしながら走り続けるのでした。
『あっ、銀行か・・・。 まあ、いくら掛かるか分からねえから、とりあえず銀行は後回しで良いな。』
そう、私は今回、意を決して大きな買い物を考えていたのでした。
それは、遡ること一月程前の事・・・。
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「はあ・・・。」
「何だユリ、溜息なんてついて。」」
「ん? ううん、何でもないよ~。」
「そのファッション雑誌がどうかしたのか!?」
「ん~。ホント何でも無いよ。 ただ、この時計可愛いな~って。」
「へ~、どれどれ・・・。 一、十、百、千、万・・・・って、ぐえっ!!! 滅茶苦茶高級品だな、これ!!!」
「あはは、仕方無いよ、ブランド品だもん。 でも、ちょっと憧れちゃうよね~・・・。」
「へ~・・・。 写真だけ見ると、安もんの時計とあんまり変わらねえ気がするけどなあ・・・。」
「あはは、そうだよね~。 きっと気分の問題なんだよ。 あはは!」
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そんな事もあり、あんまりものを欲しがらない彼女が、初めて見せた物欲がずっと心に残っておりました。
さらに普段から迷惑を色々とかけている事もありましたので、何よりもあと数週間すれば彼女の誕生日を控えている訳でして、今回、私はボーナスを駆使して、その時計をプレゼントしようと、意気揚々とデパートへと出掛ける途中だったのです。
『それでも、ただ時計だけ渡すんじゃ、つまんねえなあ・・・。 なんかこう、「あっ!」っと驚くような仕掛けが欲しいな。』
そんな訳で、私はデパートに向かう前に、ちょっと寄り道をし、そこでひとつの買い物を済ませるのでした。
『よし! これで良いや! ちょっと早いけど、今日早速渡しちゃおう。何かこう言うの、買ったのに当日までとっておくとか、まどろっこしくて出来ねえからな!』
それからしばらくして、大型電気店に到着した私は、早速時計売場へ足を運びます。そこで、コッソリと持ってきたファッション雑誌の切り抜きを頼りに、お目当ての時計を見つけるのですが・・・。
『あれ? 思ったよりも安いじゃんか。 これは助かるなあ。
これなら、俺のもんも何か買えるな。ちょっと寄り道して行こう!』
そう・・・。
今にして思えば、これが不幸の始まりでした・・・。
お目当てのプレゼントを買った後、いくつかの店を気ままに廻った私は、お気に入りの服屋などを覗き見し、結局何も買わずに飲み物でも飲もうと、近くの販売機へと移動します。
不思議なもので、金のない時はアレコレと欲しいものですが、いざ金が入ると、それ程使わなくなってしまうのでした。
そんな訳で、ジュースを買おうと、ポケットに手を突っ込んでみるのですが・・・。
『あれ・・・。 あれれ!???? おっかしいなあ~・・・。財布が無え・・・。 あっ、そうか。 ユリのプレゼントと一緒にシートのトランクに入れちまったんだ、きっと!』
― ガシャ・・・ ガサゴソ・・・
『あっあれ~・・・。 入ってねえな。 するってえと、あれかな。 どっかに落としたって事かな・・・。
・・・・。 ・・・・。ええっ!!! それって物凄くやばくない???』
結局、私は必死の思いで、ここまで辿ったルートを思い出しながら財布を捜したのですが・・・・、結局、財布は見つかることがありませんでした・・・。
『そんな馬鹿な!!!!! なんてこったい!!!! どうすんだ、これから!!! 終わった・・・。何もかも終わっちまった・・・。 これから一ヶ月、俺はどうやって生きていけば良いんだ・・・。』
結局、走り回ったものの財布は全然見つからず・・・。
失意のどん底の中、家路につくのでした・・・。
「お帰りなさい・・・。 遅かったね・・・。」
「ああ・・・、ユリ、来てたのか・・・。」
「どうしたの? 楽しんできた割には、元気ないじゃない。」
「ああ・・・、まあね・・・。」
「ふ~ん。 いい人にフラれたの?」
「いい人? なんだそれ。 ああ・・・。 大草の馬鹿が言ったこと。真に受けてんのか・・・。 そんなもん、居る訳ねえだろが。 はあ・・・。」
「ふ~ん・・・。」
「悪いユリ。 今日はそんな小言に付き合ってやる余裕ねえんだ・・・。」
「・・・。 ホントにどうしたの? 何かあったの?」
「落とした・・・。」
「何を?」
「財布・・・。」
「は!?」
「給料もボーナスも、全部落とした・・・。」
「はっ、はあ!!?? じっ、じゃあ、お給料とボーナスをお財布に全部入れて、いつもみたいにお尻に入れて走ってたの!!??」
「うん、まあ・・・・。」
「なにやってんのよ、ばかぁ!!! だからあれ程言ったじゃない! いつか落とすよって!!!」
「そう責めるなって・・・。 タダでさえ落ち込んでんだから・・・。」
「信じらんない・・・・。 そっ、そうだ、警察は!? 交番には届けたの!?」
「へ? 交番!? あああっ!!! そっそうか!!! もしかしたら、警察に届けてくれてるかもしれないな!!! 親切な人が!!!!」
「まっ、まあ、あんまり期待は出来ないけど・・・。 でも、紛失届は出しておかないと。」
「分かった! 直ぐ行ってくる!!!」
「もうっ! 慌てて事故なんか起こさないでよ! 気を付けてね!」
それから一時間ほど後・・・。
「どうだった!?」
「いや、届いてねえって・・・。 額も額だから、出てこねえだろうなあ・・・。 はぁ・・・。」
「もう・・・。 仕方ないから、生活費の分は私が貸すよ。」
「いや、まあ少しは貯金もあるから・・・。 ひと月ぐらいなら何となるよ、畑もあるしな~・・・。」
結局、財布はその後、出てくることはありませんでした。
それから数日の間は、現金以外のものを処理するのに費やされます。つまり、カード類の停止と再発行、その他免許証の再発行等々・・・。
「終わった?」
「ああ・・・。 再発行は意外と簡単だった。 あ~あ、これで下に1がついちまった・・・。」
余談ですが、免許証の番号の最後の一桁は、取得時には0なのですが、紛失等で再発行するたびに、数字がひとつずつ増えていきます。
「でもまあ、それぐらいで済んで良かったじゃない。
そう言えば、私のお父さんが言ってたよ。免許証とかは、お金と一緒にしておかない方が良いんだって。落とした時に、戻ってきづらくなるから。」
「へえ・・・。 そうなんだ・・・。」
その翌日の事・・・。
「あっ、渡辺さ~ん、郵便が届いてますよ~。」
「あっ、どうもすいません。 誰からだろ・・・。」
「それがね~、宛名が書いて無いのよ。 なんかちょっと気持ち悪いわよね・・・。」
「へっへんな事言わないで下さいよ・・・。(爆弾とかじゃねえよな・・・。)」
ちなみに、私の会社は寮を含めて、ひとつの住所になっておりました。なので、寮に届く郵便物は、全て事務所で一括管理をする事になっています。
この当時、まだ配達ピザなんてものは、それ程普及しておりませんでしたから、若干、初めての所で出前を頼む時や、緊急の郵便物などはその意味を欠きますが、それほど不便を感じませんでした。
ただ、一部のものの中で、所謂「いかがわしい」ものを通販で買おうとする連中には、このシステムは非常に不便らしく・・・。中には、郵便局内に私書箱を設けたものも居るとか居ないとか・・・。
「へえ~。 で、結局なんだったの? その郵便物。」
「まだ開けてねえんだ。 どれどれ・・・。」
「ボンッ!!!!!」
「ぎゃあ~!!!!!!!!」
「あははは! 意外と臆病だね~、ユキは。 あははは!」
「この性悪女! ろくな死に方しねえぞ!!! くそっ・・。 あれ・・・。 もしかしてこれって・・・。」
そう、その郵便物に入っていたものは、私が落とした財布の中身なのでした。つまり、現金と財布本体以外の中身を、わざわざ匿名で送ってきたという・・・。
「あらら・・・。 結構律儀な人が拾ったんだねえ・・・。 わざわざ届けてくれるなんて・・・。」
「何が律儀なもんか!!! 人の現金全部かっさらっといて、いけしゃあしゃあとこんなもんだけ送ってきやがって! しかも、もうストップかけたカードとか、再発行した免許じゃねえか!!!
くっそ~・・・、せめてこれが後一日早く届いてたら、わざわざ免許の再発行なんてしなかったのに!!!」
「きっと、気が弱い人だったんじゃないかなあ・・・。 処分するにも、捨てるに捨てられなかったんだよ、きっと・・・。」
「ぐあぁぁぁ!!!! 余計に腹が立つ!!!!!」
「まあまあ・・・。 元々落としたユキが悪いんだから・・・。」
そして、それから数日後の事・・・。
「間宵さん・・・。 アレ、当たりましたよ・・・。」
「アレ? 何のこと? へえ~、財布落としたの? 可哀想に。」
「あの・・・。 俺を通さずに後ろと直接やりとりするの、辞めて貰えません?
なんか、余計な事伝わんじゃないかって、物凄く怖いんですけど・・・。」
「あはは! ごめんごめん! で、アレって何のこと?」
「いや、だから、間宵さん言ってたじゃないっすか、この間の飲み会で。 何か気を付けろ!って。」
「え!? 私、そんな事言ったっけ!? う~ん・・・。 あ~っ!!! あ~あ~っ!!! あれね!! あはは、ごめんね~、気にしちゃった? あれね~、冗談なのよ~!」
「えっ!? じょっ冗談!?」
「そうそう! いやね~。 キミがあんまりにもゆとり持って、幸せそうな顔してたもんだから、ついね~。
ほら、前はなんか悲壮感持ってたでしょ? 私はあっちの方が好きだな~。
だからついね、脅かしたくなっちゃったのよ。 あははは!」
「あははって・・・。」
「まあ、ヨッパライの戯言だと思って、流してくれたら良かったんだけど。 そっか~、ホントに何か起こっちゃったんだ・・・。 偶然ってのは、恐ろしいよね~。 あははは!」
『ちっ違う・・・。 偶然なんかじゃねえ・・・。
これは呪いだ・・・。 何だか分からねえけど、間宵さんの呪いだ・・・。しかも、恐ろしく気まぐれの!
そんでもって、今ハッキリした・・・。 この人はドSだ・・・。しかも超がつく!』
私は、この悪魔の様にキャッキャと喜ぶ間宵さんを、恐ろしげに眺めるのでした・・・。
そう、「悲壮感」丸出しの顔で・・・。
そして、それから数週間経ったある日のこと。
その日は、ユリの誕生日だったわけですが・・・。
「ほら、誕生日プレゼント!」
「ええっ!? ホントに!? あれ?でもお金はどうしたの!?」
「いや・・・。お前が気にすると思って言わなかったんだけどさ・・・。
実はあの日、お前の誕生日プレゼント買いに行ったんだよ・・・。不幸中の幸いというか、プレゼントを買った後に無くしたんだな、これが・・・。」
「ええっ! なんだ、そうだったの!? そんなの、良かったのに・・・。 馬鹿ねぇ・・・。」
「まっまあ、済んだ事だからよ! ホントは、買った当日に渡すつもりだったんだけど、タイミングを逸したというか・・・。
とりあえず、開けてみてくれよ!」
「うん! 分かった!」
『くっけっけっけ! そんなガキのオモチャみたいなプレゼントじゃ、さぞガッカリする事だろうよ!』
「うわぁぁぁ!!! 何これ!? 凄い可愛い!!!」
「あっあれ・・・。」
「ありがとう、ユキ! 凄い嬉しい!!!!」
「えっ? あ、いや・・・。 まあ、喜んで貰えて嬉しいよ・・・。」
この時、私が渡したプレゼントは、その後のプレゼントを盛り上げる為のフェイクでして、適当なオモチャ屋で買った、熊のヌイグルミの形をした、子供用のリュックサックでした。
しかし、これがどういう訳か、彼女は大層気に入ってしまい・・・。
「あっあの・・・、ユリさん? じっ実はですね、本当のプレゼントはこっちでして・・・。」
「えっ? 二つもあるの? あっ! これ、この間の時計じゃない! 高かったのに!」
「いや、まあ・・・。 ほら、ユリにはいつも迷惑かけてっからさ・・・。」
「ありがとう、ユキ・・・。 ホント嬉しい!」
そう言いながら、ユリは大きな瞳をキラキラと輝かせながら・・・、時計ではなく、しっかりと抱きしめたクマのリュックへと注がれるのでした・・・。
「あっあれ?・・・・。」
ちなみに余談ですが、彼女のこのリュックへのご執心は余程だったようで、毎日の出勤でも、このリュックを手放さず・・・。
「おいおい、いくらユリちゃんでも、ありゃあねえぞ。
あれじゃ、小学生か中学生にみえちまうぞ。ただでさえ、ちっちゃくて子供っぽいんだから。」
などと、大草にまで陰口を叩かれるほどだったのですが、挙げ句の果てには、ちょっとした外出にまで持ち出そうとしたのを、流石にユリさん、それは勘弁して下さいと、私が懇願して辞めさせるほどでした・・・。
「プレゼントは金額じゃない。」
この言葉を、身をもって知った出来事でした・・・。
もう一つ余談なのですが、この出来事から数年後、この会社の給与全てが、手渡しから口座振り込みへと移行されたのでした・・・。




