エピローグ 「 贖罪 」
夢を見た。
― いつかも見た夢だ
愛する人と向き合っていた。
― 愛する人・・・。それが愛情なのか、それとも同情なのか・・・。
離れたくないと願っていた。
離れたくない・・・・けど、そんな願いは無駄と分かっていた。
― 何故こんなに苦しいの・・・。
愛する人は向き合ったまま、少し寂しく、そして哀れむように失笑した。
― それは軽蔑なのか・・・。
気がつくと、独りだった。
しばらくすると、知らない女が向かいに座り、願いが叶う呪いを告げた。
― 私はこの女を知っている・・・。
墓場にいた。
見ず知らずの墓を暴き、死体の腕を取る。
― これは誰のお墓?
その腕を限界までひねり上げた。
思ったより、その腕は丈夫だった。
それでも、ただただその腕をひねり続けた。
- それは何を表しているの?
救いの手を伸ばしても届かなかったから?
心では解っていた。そんなことをしても戻ってくるわけがないと。
けれど、すがるしか無かった。
― ほかに方法がないから・・・。
過ぎたことを後悔する事しかできないから・・・
夢中で腕をひねり上げた時、ポキリと嫌な音がした。
「ああ、やっと折れた・・・」
そうつぶやいて顔を上げると、女がこちらを観て、冷たく蔑んだ笑いを浮かべていた。
― この女は、どうして・・・。
ああ、そうか。これはこの女が彼にかけた・・・。
そこで眼が醒めた。
本当に嫌な夢だ・・・・。
ユキヒコさんの高校時代からの話を伺って・・・、私は、またもかける言葉が見つからなかった・・・。
私とはまったく違う人生・・・。
私の今までの短い人生は、良く言えば何も苦労のない、平坦な人生。悪く言えば、何も苦労を選ばない、怠惰な人生だった。
そんな人間が、彼に言葉をかけるなんて、おこがましい事はできない。
ただ、私は今、間違いなく彼に対して特別な感情を抱いている・・・。
それが恋なのか、それともただの同情なのか・・・。それは正直いまは判断ができない。
ただ、願わくば少しでも彼の力になりたいと考えていた。
「そうですね・・・。本音を言えば、私は彼女と思いをとげたいという気持ちよりも、他の誰とでも良いから、彼女がその後を幸せに生きていてさえくれたらと・・・。それだけが願いだったんでしょうね。そんな事を言ったら、彼女に怒られるかもしれませんが。
だから、私はどうしても彼女の墓前に足を向ける事が出来なかったんですよ・・・。
もう分かっている事なんですが、どうしても彼女の死をはっきりと形で受け止める事が・・・出来なかったんでしょうね。
それで気がついたら、こんな歳になってしまいました。」
そう言って照れた笑いを浮かべる彼の姿を思い出すと、少し胸が痛い・・・。
だから、彼が今回、私にしたお願いはとても前向きな事だと考えている。
「あの・・・、彼女は今、どこに眠っていますか?」
「えっ? あっ・・・。 叔母のお骨は私の父が建てた、うちのお墓に納めてあります。父がどうしても、祖父と同じ墓には入れたくないと思ったみたいで・・・。」
「そうですか・・・。 サヤカさん、ひとつお願いがあるのですが。」
「はっはい! なんでしょう?」
「私を、彼女の眠る墓前まで、連れて行って貰えないでしょうか? ずっと約束を果たせなかったのですが・・・。このノートを彼女の元へ返したいと思うんです。」
「ノート・・・ですか?」
「はい。ただ始末してしまうよりも、その方が良い気がするのです。」
「わかりました。何れにしても、ユキヒコさんがいらっしゃれば、叔母も喜ぶと思います・・・。」
「ありがとうございます。これでようやく、長年の胸のつかえが取れる思いです。
きっとあなたが私を訪ねてこられたのも、何かの巡り合わせだったんでしょうね。」
そんなやりとりから数日が経ち、今日がその約束の日だ。
私は支度を整えながら、長きにわたって伺った叔母と彼の物語を思い出していた。
「永遠の愛か・・・。」
そんなものが本当にあるんだろうか・・・。
彼は確認する対象を無くしてしまったために、それに囚われているだけなのではないか。
時が止まったからこそ、永遠なのかもしれない・・・。
しかし、それは果たして良い事なのか・・・。
結局、私は叔母の遺品を彼に見せることが出来なかった。それはとても重い罪悪のように感じたからだ。
「そろそろ出ないと・・・。」
願わくば、これを機会に彼の止まっていた時が動き出しますように・・・。
季節外れの墓参りのせいか、墓地は閑散としていた。そもそも墓地に閑散という表現が相応しいのかわからないけど。
駐車場に車を止めてから墓地霊園の入り口を入って、直線距離にして百メートルほど。そこの区画を左に曲がって突き当りに、父が新しく建立した成海家のお墓がある。
成海家代々のお墓は祖父の故郷にあるのだけど、そちらには正直、あまりお参りにいった記憶がない。私が小さいころからお参りしているお墓は、この新しいお墓だけだ。父が祖父を嫌っていたせいで、それに連なる親戚付き合いを拒絶したためだ。
そして、このお墓に眠っているのは、エリちゃん。つまり私の叔母だけである。
小さいころは、お墓参りは家族がするから、私も一緒にするものなんだと思っていたせいか、私はここに眠る人の事を知ろうとも思わなかった。それを知るきっかけが、叔母に対する嫉妬心だったのだから、本当に皮肉な話だ。
そして、私はユキヒコさんのお話を伺って、エリちゃんに対して強い親しみと、奇妙な友情すらも感じるようになった。
ただ、今は何だろう・・・。以前とは違う感情を、私はエリちゃんに抱いている。これは苛立ちなのだろうか。
「ユキヒコさん、ここです。 叔母の眠る、うちのお墓です。」
「そうですか・・・。 ここに彼女は眠っているんですか・・・。」
「はい・・・。」
この時の彼の表情を、私は生涯忘れないだろう。
慈愛と深い悲しみが入り混じった、悲しすぎる微笑を・・・。
「そうか・・・。やっぱりお前は本当に逝ってしまったんだな。
今日は、このノートをお前に返しにきたよ。ずいぶん遅くなってしまった。すまないな。
私も、だいぶん年を取ったよ。先に逝ったお前は、年を取るのかな?」
笑顔で墓石に語り掛ける彼の姿は、とても痛々しかった・・・。
彼はノートを二つに破ると、ライターで火をつけ、用意していた大きな灰皿の上に乗せた。
炎は小さく燃え上がり、ノートを灰に変えていく。
「やっと、ここにくる決心がついたよ。
エリ、あの時、お前を救ってやれなくて、本当にごめんな・・・。
私だけが生き残って年を重ねたよ。しかし振り返ってみると、結局、私はお前との約束を果たしたいと思って、ずっと生きてきた気がするよ・・・。
まあ、途中に何度か他の人とお付き合いはしたけどね。人並みにはね。これは浮気になるのかな? お前なら怒りそうだな。
けど、やっぱり孤独は辛いからな。まあ、忘れたいと思った事も何度かあったんだけど、その辺は大目に見てくれ。
けれども、やっぱり私は・・・俺は、お前との約束をどうすれば果たせるのか、そんな事ばっかり考えてきたんだろうな。
まあ結局さ、その方法が分からなかったんだけどな。だって、お前、勝手に先に死んじゃうんだもんなあ・・・。
お前が言い出したことだろ? 少しは協力してくれたって良いんじゃないか?
そういうところ、お前は自分勝手で抜けてるんだよな・・・。
どんな形をお前が望んでいたのか、俺には分からないけど・・・。
まあ、正直言えば、何でも良いんだよ。お前が幸せだったなら。幸せだったか?エリ。
なら、もう少し待っててくれ。俺もそのうち、そっちに行くからさ。
その時、約束を果たそう。それじゃダメって言うなら、来世でも、その次でも付き合うよ。百年後でも、千年後でもな。
だからエリ、今はゆっくり眠れ。安らかにな。」
そう彼はつぶやいた後、静かに手を合わせて拝み始めた。
違う・・・。
これは永遠の愛でも、悲恋でもない・・・。
これは呪いだ。
叔母が、成海エリという一人の少女が、その命を懸けて最愛の人にかけた呪いなのだ・・・。
それがすべて悪い事だったとは、私なんかには断言できない。
ただ・・・、もし自分だったなら、きっとこんな悲しい呪いは耐えられない・・・。
この価値観を自分の基準で考えるなど、おこがましいのかもしれない。
けど、一つだけわかることがある。
エリちゃんは・・・、成海エリは、間違いなく、この結果は望んでいない。それは、同じ人間を愛した私だから断言できる。
ならば、私に出来ることは一つだけ。私が今ここに居る意味。そして私が導かれるままに、彼に出逢った意味。
エリちゃん、あなたが彼にかけた呪いは、私がどんなに時間をかけても、必ず解いてみせるよ。
なぜ私にそんな義務感が生まれてしまったのかわからない・・・。
けれど、あなたの罪は私が償おう・・・。
あなたはきっと、私なのだから。私はきっと、あなたなのだから・・・。
彼の震える背中を眺めながら、私がそう決心をしたとき・・・。
ふと、私の中の女が、蔑みではなく本当の微笑みを返してくれた・・・。
そんな気がした・・・。
おわり
短い間でしたが、私の拙い文章を読んでいただき、ありがとうございます。
私の頭の中にある物語を何とか文章にしたかったのですが、思うように出来ずに、このような未熟な作品をお見せすることになりました。
ただ、たとえ数人の方でも、最後まで読んでいただけたことに、大変感謝しております。
ありがとうございました。
私はこの物語しか書くことが出来ませんので、実質、これが最初で最後の小説になります。
本編はここで終わりとなりますが、もう少しだけ、アフターストーリーとして、「その後のこと・・・」と「様々な再会」までの間に起こった物語を数話掲載したいと思います。
こちらも拙い文章でお目汚しになるとは思いますが、もし宜しければ、お読みいただければ幸いです。




