61 「渡された日記」
「少し・・・、落ち着いた?」
「ああ、ありがとう。 もう大丈夫だから・・・。」
リョウコと話し終えた私は、既にものが考えられない状態でした。
喪失感・・・・。
ただただ、自分の大切なものを失ったことで、全ての目的を・・・息をする事すらも無意味に思えるような、そんな喪失感が心の全てを支配していました。
ふと、頭が冷静になってから隣のリョウコを見ると、リョウコは俯きながら震えていました・・・。
この時、何故自分だけが悲しいと思っていたのだろうと、もしかしたら私よりも辛い感情を抱いているかもしれない存在を、私は気遣う事すらも出来ず・・・、逆に全身全霊で慰められている事に、馬鹿で無力な自分に対して、惨めな怒りしか感じませんでした。
しかし、だからといって、やはり私にはリョウコに掛ける言葉も、その余裕もありませんでした・・・。
「リョウコ、ありがとう・・・。 俺、もう行くわ・・・。」
「うん・・・、わかった。」
ベンチを後にしようとした私を、リョウコは特に見上げることもせず、ただただ、俯いていました。
私もかける言葉も思いつかず・・・、ただ、もう一刻も早く、この場から消え去りたい・・・。そんな思いだけが足を突き動かしていました。
いよいよ歩き出した私に、突然声が掛かります。
「渡辺、待って!」
無言で振り返る私に、リョウコは急いで追いつき、こう告げるのでした。
「待って、私、渡辺に渡さなきゃいけないものがあるの。エリに頼まれてたの。
本当は、二学期が始まってから渡そうと思ってたんだけど・・・。でも、分からないけど、今の方がいい気がする。
ちょっと、ここで待ってて!」
そう告げると、リョウコは急いで家の方へ掛けだしていました。
私はそれに特に応えるわけでもなく、ただベンチへ座り直し、木陰の中から照り付く太陽を不抜けた視線で眺めるだけでした。
どれぐらい時間が経ったでしょうか。
多分、数分のことだったと思います。ただ、私には本当に長い時間に感じました。まるで、時間が止まってしまったかのように、蝉の音も、周囲の喧噪も、何もかも耳には届きませんでした。
「渡辺!」
その声にようやく現実に引き戻された私は、声の発生源を無気力に眺めます。
「これ、エリが渡辺に渡してって。」
リョウコから手渡されたのは、一冊の分厚い大学ノートでした。
「読んでみて。エリの気持ちが・・・、渡辺に伝えたいものが、そこに書いてあるから・・・。読んでみて・・・。」
「そうか・・・。 ありがとう・・・。」
正直、いまさらそれを知って、どうなるのだろうという気持ちもありました。
ただ、それを無気力に受け取った私に対して、リョウコは少し怒りを感じたのかも知れません。
リョウコは私の両腕をつかむと、力を込めて叱咤するのでした。
「渡辺、しっかりして!!! エリが何のために泣かないで渡辺と最後を過ごしたのか、それを考えてよ!!! お願いだから・・・お願いだから、エリの気持ちを台無しにしないでよ・・・。」
リョウコの涙を見て、私はまた、自分の愚かさを思い知らされます。
自分だけが不幸のどん底のような顔して、何をやってるのかと。今渡されたノートの大切さにまったく気がつかない自分は何と愚かなのだろうと・・・。
そして、私は何故全部を諦めているのだろうかと気がつくのでした。
『まだ、一生逢えなくなったわけじゃない・・・。』
このころの私たちは、目に見える今がすべてでした。
将来についても、漠然としたものはあったかもしれませんが、それは自分たちで考えるよりも、周りの大人たちがそういうのだから、そういうものなのだろうという、その程度の認識しかありませんでした。
この時代の恋が、そこに生きる私たちのすべてで、その出逢いは一生のもので永遠に続くのだと、青臭い感情しか持たない私たちは、本気でそう信じていたのです。
だからこそ、その別れは永遠を意味しているという、そんな幻想に囚われてしまったのです。
『でも実際はそうじゃない。』
もしかしたら、高校を卒業するころには、あるいは成人した時には・・・。
何年かかるか分かりませんし、どうなるのかもわかりません。
けれども、まだまだ永遠に逢えなくなるわけではないと、そこに気が付いたのです。
エリは私を永遠に愛すると言ってくれました。なら、私も彼女を思い続け、再会の時まで待ち続ければ良い。
頑張れば連絡だってとれるかもしれない。まだインターネットも携帯もポケベルも一般的ではなかった時代ですから、簡単なことではありませんでしたが・・・待つことも、連絡を取る手段を考えることも、それがどれだけ大変なことかなど、その時は関係がありませんでした。
それしかないと、そう思ったのです。
「リョウコ、ごめんな、本当にありがとう。 しっかりしないとな。アイツの負けず嫌いを見習わないとな!
なんていうか、俺は本当にダメだな。リョウコには本当にいつも迷惑をかけてばっかりだ。」
「あはは。 それが渡辺だから仕方ないよ。」
そう泣き笑いの顔で見上げるリョウコを見て、私はまだ折れるわけには行かないと、決心を固めるのでした。
家に帰り着いた私は、リョウコから渡されたエリのノートに向き合います。
表紙には、エリの字で「日記」と書かれていました。
私はその文字を・・・、何故かとても愛おしく感じ・・・、何度も何度も指でなぞるのでした。
そして、私はその愛おしい気持ちを保ちながら、ノートを開きます・・・。
■3月○日
戻ってこれた。
折角だから、記念に日記を書こう。
私は強い。だから弱音はいわない。
弱音は全部、日記に書こう。
正直、あの男は私が邪魔なんだろう。
けど、ママにはもう、ママの幸せがある・・・。私が居たら邪魔になる・・・。
もう、ここしか私の居場所はない・・・。
リョウコのお父さん、お母さんには本当に感謝しかない。あの人達が居なかったら、私がこの家で一人で住む事なんて、許されなかった、きっと。
中学だけは、こっちで卒業したい。けど、あの男は、きっと私を早く帰したいだろう。
幸い、新しい女の所で暮らしているから、私は自由だ。
大丈夫、隣にはリョウコもいる・・・。リョウコのお父さん、お母さんだって優しい。
それに、私は強い・・・。大丈夫、私は強い。
ひとりだって、全然大丈夫・・・。
■4月○日
無事に入学式終了。
良かった、リョウコと同じクラスになれた。心強い・・・、本当に心強い・・・。
それに、ユキちゃんが居た!
驚いた、あのユキちゃんだ。
机の名札を見たとき、もしかしたらと思ってた。
これは運命なのかもしれない。ユキちゃんは、私がつらいと、いつも助けてくれる・・・。
ユキちゃんは、当たり前だけど、大きくなっていた。たくましくなっていた。
顔も・・・、正直好みとは違ったけど、けど、少しカッコイイと思う。
リョウコは普通じゃないかなと言っていた。そうかもしれない。思い出のぶんだけ、よく見えるのかも?
でも・・・、ショックな事もある・・・。
ユキちゃんは、私のことをまったくおぼえてない・・・。
たぶん、あの約束も忘れちゃってるんだろうな・・・。
■4月○日
たぶん、私は渡辺に嫌われてるのかもしれない。
無理矢理、学級委員にしたせい?
でも、私だってなったんだから、おあいこじゃないか。
別に、私も異性として見てほしいわけじゃない。でも、友達にはなりたい・・・。
一人はイヤだから・・・。
一人は寂しから・・・。
■4月○日
渡辺の好みは、私よりもリョウコみたいだ。
なんか、腹が立つ。
約束もおぼえてないし、昔とは全然違うかもしれない。
あの滑り台で助けてくれたユキちゃんは、本当に私のヒーローだった。
当時、いじめられて一人でいた私を、守って、強くしてくれた。
でも、もうあの時のユキちゃんと渡辺は別人なんだろうな・・・。
■4月○日
何人かの友達が出来た。
鷲尾タカコと金丸シズカ。
二人とも、可愛くて優しい。
男子にも仲良くできそうな子がいる。
特に藤本という男子は、気兼ねなく話してくれる。
ちょっとなれなれしいけど・・・。
きっと、仲良くなれる。
もう、私は一人じゃない。
■5月○日
今日行ったお城跡、広くて景色がきれいで良いところだった。
みんなでご飯を食べるのは、やっぱり楽しいね。
いつか、みんなでこの桜を見に行こう・・・。
そう出来るようにがんばろう・・・。
■5月〇日
週末、渡辺を呼んで三人でご飯を食べることにした。
服はどうしよう・・・。
部屋は金曜に家政婦さんが来てくれる。
料理もお願いしたいけど、リョウコに頼んだ方が美味しいから、それはいいか。
ちょっと怖い・・・けど、やっぱり楽しみ。
■5月〇日
本当に楽しい一日・・・。
こんな日が毎日だったら、どんなに幸せだろう・・・。
私はもっと積極的にならなければいけないのかも。
次は、ほかのみんなも呼んでみよう。
人数は多ければ多いほど楽しい。
そうやって、私のさびしさなんて、分からなくしてしまえ。
私はだいじょうぶ。私は強い。
今だって、さびしくない。さっきまでを思い出せば、さびしくない・・・。
「うっうっううう・・・、なっ、なんだよこれ・・・・、エリ・・・・エリ・・・。」
そこに書かれていたのは、私が見てきた彼女とは全く違う・・・・ひたすら孤独と戦う、ただのか弱いひとりの少女の姿でした・・・。




