54 「二つの顔を持つ男」
かつて「ネジ飛び姫」達との楽しい時間を共有した頃・・・。
私の友人に「犬飼ユウゾウ」という男子がおりました事は、既に何度もご紹介させて頂きました。
彼に関するエピソードは、私達「ネジ飛び姫組」の八人に比べますと、若干少ないのですが、それでも本当に古くからの友人でありますので、やはりそれなりに私の思い出話にも登場して参りました。
ところで、この「犬飼」という男、チャランポランでいい加減。スケベで女好きなのに、いざという時にはヘタレを丸出しにしてしまう・・・。というような男でして、いつだったか、ネジ飛び姫には「存在が嘘臭い」などと、バッサリと切り捨てられておりましたが・・・。
それでも犬飼には憎めない不思議な所があり、大抵のトラブルや厄介事は、コイツが持ち込む事が殆どだったのですが、何となく、皆許せてしまうのでした。
それもこれも、「妹思いの優しいお兄ちゃん」などと言う、意外な一面を持っているからかもしれません。
今回は、そんな「犬飼」の意外な一面をお話ししたいと思います。
それは、私たちが中学三年の一学期の事。
私たちは、体育の必須科目であった、剣道を行っておりました。
― いっぽん! それまで!
「くそっ! まだ全然ダメだ!!!」
「はっはっは! 渡辺~! 悪いけど、これだけはお前に負ける気はしねえぞ~! 昨日今日始めたばっかりのヒヨッコには、俺は倒せねえぞ~!」
『今に見ていろ、コノヤロウ! いつかケチョンケチョンにやってやんぞ!』
最近のニュース(執筆時の2006年ごろ)で知りましたが、近年、日本武道を必須科目にしようという案があるのだとか。これを聞いて意外に思いましたが、とにかく私達が中学生の頃は、必須では無かったにしろ、剣道や柔道は、普通に体育授業の一貫として行われておりました。
ところで、実は犬飼はこの道の大先輩なのでした。
彼は、私たちとは違って、幼稚園の頃から剣道を始め、中学当時には、既に初段の腕前となっており、同時に真剣を使った試し切りも並行して行う道場だったのですが、そちらでも道場認定の一級を取得済でした。実際の所、体育の授業などで行われた試合でも、私は彼に勝った事が一度もなく・・・、正直な話、まったく相手にならないほど、大きな実力差がありました。
そう、実はこの「犬飼」という男。竹刀を持つと、結構強くてイケテル男だったのです・・・。
「いや~! 今日も良い授業だったなあ! なあ、渡辺! はっはっは!」
「くそっ、コノヤロウ・・・。 調子に乗りやがって。」
「なによ犬飼。 気持ち悪いぐらいゴキゲンじゃないの・・・。」
「まあな! 今日も! も! 渡辺に完勝だったからな!」
「何の話?・・・。 えっ!? 渡辺、あんたまさか犬飼なんかに負けたの!?」
「・・・。」
「剣道だよ、剣道! まあ、俺は幼少の頃から剣の道を嗜んでいるからなあ。 渡辺がいくら最近始めようが、追いつくのは無理ってもんだよ!」
「ふ~ん・・・。 あんた、剣道強かったんだ。 なんか意外。」
「意外ってなんだよ! ああ、石崎にも見せたかったなあ、俺の勇姿!」
「えっ? あははは・・・。 残念~。」
「えっ!!! じゃ、じゃあさ! 今度見に来てくれるかな! 俺の勇姿を!」
「おっおい! 冗談じゃねえ! 俺はそんなみっともない所見られたくねえぞ! しかも体育は男子だけじゃなく、女子だってあるんだ! 見に来られる訳ねえだろ!」
「だ~れがお前とのヘッピリ剣道を見せたいなんて言ったよ。 実は今度の週末さ~、試斬の入段審査があるんだよ。 公開制だから、是非石崎とかにも見に来て欲しいんだ!」
「えっ、え~っと・・・。」
リョウコは困ったように、私とエリを交互に見つめ・・・。
「ふ~ん・・・。 ずいぶん大胆じゃない、犬飼。 リョウコを誘うなんて。」
「まあな! 俺は積極的な男だからな~! ああ成海、お前もオマケで来ても良いぞ。」
「ムカッ! あんたの剣道なんて、どうでも良いわよ! そうじゃなくて、あんたがリョウコを誘うなんて百万年早いって言ってんのよ! 身の程を知りなさいよ、この馬鹿!」
「いや、俺は行こう。 お前んところがどんな所か知りたいし、悔しいけど、勉強になんだろうから。」
「ああ、良いぞ! 男のお前に応援されても嬉しくねえけど・・・。」
「おっおう。(そりゃそうだ・・・。)」
「仕方ないわね・・・。 じゃあ、私も付き合ってあげる。 リョウコも行くでしょ?」
「うん。 犬飼くん、頑張ってね。」
「そう来なくちゃ! 当日は午前の部と午後の部があるから、みんな、飯は自分で用意してくれよ!」
「それじゃ、私がお弁当を作って持っていくよ。」
「ええっ!!! そっそれ、俺も食って良いの!?」
「あはは、良かったらどうぞ。」
「やった!」
「チッ・・・。 犬飼、舞い上がって、当日指落とすなよ!」
「へん! お前と一緒にすんなっての!」
『このうかれチンパンジーが! どうか入段落ちしますように! どうか入段落ちしますように!』
そんなことがありつつ、結局、私たちは犬飼の入段試験とやらを応援・・・見学しに行くのでした。
そして、その週末の事・・・。
「で、アイツの出番はいつなのよ?」
「ん~。 午前中に演武があって、試験自体は午後かららしい。 それにしても、公開演武なんていうから、もっと派手なものを想像してたんだけど・・・。普通の体育館で、ごくごく内輪だけの会みたいだな。人も少ねえ。」
「ホントにね。 なんか地味ね~。」
「でも犬飼くん、張り切ってたから、受かると良いね。」
「張り切りすぎて、空回りしなきゃ良いけどね~。」
「お前は・・・。 そう言う事は思ってても言うもんじゃねえんだよ、まったく。(俺も心ではバリバリ思ってるけどね。)」
「ムスッ・・・。 ! そう言えば、ユキは段とか持ってるの?」
「ねえよ・・・。 俺は初心者だから。」
「ふ~ん。 それ、いつ頃取れるの?」
「いつ頃取れるんだろうね~・・・。 俺も知りたい・・。 っていうか、その前に道場入らないとね・・・。学校の授業だけじゃねえ・・・。」
「・・・。 まっまあ! そう言う事だけが全部じゃ無いんでしょ!? 頑張っていれば、絶対犬飼にも追いつけるわよ! ねえ、リョウコ!」
「そうだよ渡辺。 あんまり気にしちゃだめだよ。」
「そうね・・・。 気にしない方が良いね・・・。」
「うう・・・。 あっ! ほら、犬飼居た! 犬飼~!!!」
「おおっ! みんな、ホントに来てくれたのか! もうすぐ、俺の演武が始まるから、しっかり見ていってくれよな! また昼頃に顔出すから! 石崎の弁当、楽しみにしているよ!」
「あはは。 あんまり期待しないでよ。 本当に普通のお弁当だから。」
「いや、もう今日はそれを楽しみにしてきたようなもんだから!」
「そんな事言って、午後の試験は大丈夫なのか?」
「まあ、いつも通りやれば平気だろ、多分。 それじゃ、また後でな!」
そう言って、元気に去っていく犬飼でしたが・・・。
そんなこんなで、午前の部が始まり、早速犬飼は演武を披露します。
「へえ・・・。 なんか犬飼、結構カッコイイわね・・・。」
「ホント。 なんか見直しちゃったよ。」
「くそっ・・・。 悔しいけど、上手いな、やっぱり。」
「しかし、意外な才能よね~・・・。 あの犬飼がねえ・・・。 普段はいい加減なヤツだけど、ああやってみると、ちゃんとした子に見えるから不思議よね~・・・。」
「あはは、私もそう思った。 普段もああいう雰囲気だったら、みんなに誤解されないのにね。 あはは。」
『リョウコにまで、そんな風に見られてたのか・・・。 哀れだな、犬飼・・・。』
そして、演武が一通り終了し、昼食の時間になった訳ですが・・・。
「いや~! ホントに美味いよ!!! 流石だな~、石崎!!! これなら直ぐにでも最高のお嫁さんになれるよ!」
「あはは・・・。 大袈裟だよ、犬飼くん・・・。」
「・・・。 まったく、これが同じ人間とは思えないわね・・・。」
「ホントにな・・・。(それにしても犬飼のやつ・・・。 普段はヘタレなくせに、よくそうポンポンと歯の浮くセリフが飛び出すな・・・。 得意な分野で、気が大きくなってんのか?)」
「わははは! 今日は最高に幸せだなあ!!!」
そんな浮かれ気分の真っ只中、いよいよ午後の部、試斬の入段審査が始まった訳ですが・・・。
ところで、この思い出話は、普段「私」の視点から語られており、会話以外の内容は、私の当時の考えが反映されております。
ですが、ここから先の「入段審査」の一部始終の間は、当時の犬飼ユウゾウの証言を元に、彼の視点、つまり「犬飼」の心の声を交えて語らせていただきたいと思います。
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『う~ん・・・、結構緊張するなあ。 何が緊張するって、石崎が見てるからなあ。 とにかく、石崎には良い所を見せなければ!』
そして、試斬がいよいよ始まり・・・。
「なんか、カッコイイじゃない、犬飼・・・。 良く分からないけど、あれって凄いんでしょ? なんか、スパスパ切れてるし。」
「いや、凄いと思う・・・。 正直、本物の刀なんて持ったこと無いから分からんけど、俺みたいな素人じゃ、絶対ああは行かないと思う。」
「へえ~・・・。 ねえ、受かりそうなの?」
「う~ん、俺は素人だから良く分からないけど・・・。 他の人と比べても大丈夫なんじゃねえかな、たぶん・・・。」
「受かると良いね、犬飼くん・・・。」
そんな私たちの心配をよそに、犬飼は快調に審査を重ねていき・・・。
『よし! 最後までミス無しだ! 残りの残心、納刀と決まれば、晴れて初段の仲間入りだ! 石崎が見に来てくれたお陰で、いつもよりも興奮して動くぞ! なんだか体が熱いぜ! おっといけねえ! 平常心平常心っと・・・。』
― ス~ッ、キチッ・・・。
(きっ決まった・・・。)
全ての審査を終えた犬飼は、揚々と舞台を後にし、私達にアピールをするように歩き出します・・・。
『どうだお前ら! ちゃんと見てたか! 特に石崎、見ててくれたか~!
あれ? みんなビックリした顔じゃねえか!?
はは~ん、さては俺の技のキレの良さにビビッちゃったか?
なんだよ、所詮成海も女だからな~。こういうものは普段見たこと無いからビビるだろ!
おっと、渡辺まで驚いてやがる! 気持ちいいなあ~!』
「○×△□!!!」
『ん? 何騒いでんだ? アイツら・・・。 そんなに感激したか? 俺の技に!?』
「左手! 左手!!!」
『左手!? 何のこっちゃい、成海。 興奮しすぎておかしくなったか!? いや、あいつは元々おかしいか。』
「犬飼!!! 左手見ろ!!! 左手!!!」
「(なんだよ、渡辺のやつまで。
左手? あれ? そういや、さっきから左手がやたらぬるぬるするな。
興奮して、汗が出過ぎたかな?
・・・・。
・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・。
・・。)
なっ、なんじゃこりゃあああああぁぁぁっ!!!!!」
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そう、私達がその時驚いていたのは、犬飼の浮かれ具合でも、技のキレでもなく・・・。
左手から鞘を伝わり、白い帯と袴を真っ赤に染めながら、下緒をしたたり落ちる、大量の「血」のためでした・・・。
結局、犬飼はそのまま病院へと搬送され・・・、左手のひらを八針縫う事になります。
つまり、犬飼に何が起こったのかといいますと、一番憧れるリョウコが応援に来てくれて、その上、手作りの弁当まで食わせてもらった犬飼は、いわゆる脳内麻薬であるアドレナリンやらドーパミンが大量に放出され・・・、いつもより運動機能も代謝機能も高くなっていたのでしょう・・・。
恐らく、試斬の審査を受けている頃にそれはピークに達し・・・。
納刀時(使った日本刀を鞘と呼ばれる入れ物に仕舞う動作。)には、ホッとしたのか気が緩んでしまい、大量の汗をかいた左手は、包んだ鯉口(日本刀の鞘の入り口の事。 鯉が口を開けた姿に似ているからとの説がある。)を滑りはなれ、そのまま刀身を滑ってしまったようです。
普段なら、そんなミスは犯さないでしょうし、たとえ切ってしまっても、直ぐに違和感やら痛みやらで気がつくのでしょうが、何せ晴れの舞台である緊張と・・・、いや、それ以上にリョウコに優しくしてもらい浮かれた事で大量に放出された脳内麻薬のせいで、痛みすらも感じなくなっていたようで・・・。
結局、犬飼のかっこいい活躍は、その後の凄惨な姿ですべての印象を打ち消されてしまうのでした。
そしてその翌日・・・。
「で、結局どうだったのよ、犬飼。」
「ああ、ちゃんと受かった・・・。」
「そっか。 出血したとは言え、技は見事だったもんな。 くっくっく!」
「犬飼くん、左手は大丈夫?・・・。」
「ああっ! もう全然平気だよ、こんなの!」
「犬飼・・・。 また興奮すると、血が止まらなくなんじゃねえのか?」
「そんな訳あるか! あ~あ・・・、みっともねえなあ~・・・。 今更、納刀で手を切っちまうなんて・・・。」
「ホント、マヌケよねえ~。」
「お前も容赦ねえな・・・。 まあ、弘法も筆の誤りって言うからな。 気にすんなよ。」
「でも、刀って凄く切れるんでしょう? 結構深かったみたいだけど、スジとか大事な所傷つけないで良かったよ。 それに、試験にもちゃんと合格したんだから。」
「あっ、うん・・・。 そっそうだよな!」
「あはは。 それに、刀を振っている犬飼くん、カッコ良かったよ!」
『げっ! りょっリョウコさん! そう言う言葉は、男を誤解させますよ!!!』
「!!!!!!!! ホントに!!!!!」
「えっ・・・、うっうん。 ねっ、エリ。」
「まあ・・・。 確かにね・・・。」
「おいっ!!! 聞いたか、渡辺!!!! 石崎が俺の事かっこよくて惚れちゃうって!
俺、もう今死んでも良いぞ!!!」
「いや、そこまで言ってない。じゃあ、死んでしまえ。」
「うひゃあ!!!!!」
私の言葉など聞こえたのか聞こえないのか分からないまま・・・。 犬飼は奇声を発すると、一目散に何処かへ飛び出していってしまうのでした・・・。
「結局・・・。 犬飼は犬飼って事ね・・・。」
「あはは・・・。」
犬飼ユウゾウ、十五歳の春でした・・・。




