53 「二人の初体験」
本当に短い短い春休みもあっという間に終わり・・・、いよいよ私たちも最高学年となりました。
正直、中学三年なんてものは人生の中でもワースト何位に入るぐらいのプレッシャーを感じる時期で、特にそれが多くのものにとって初めての経験になるわけですから、早い話が憂うつ以外のなにものでも無いのでした。
ただ、私たちが幸運だったのは、二年から三年に進級する際は、クラス替えは行わずに、そのまま進級できた事。そして、そんな憂うつな雰囲気を根本からぶっ倒してくれるような、そんな元気さを持った姫様がいてくれたこと。そのことで私たちは少し救われます。
もっとも、そのお陰で肝心の学業に身が入らず、後でしっぺ返しを食いそうな気もするのですが、まあその辺は各自自己責任で・・・と、割り切るのでした。
ところが、そんな元気の塊である姫様も、結局は人の子というような出来事がありました。
その日、私はいつものように姫様たちとの待ち合わせ場所に待っておりますと・・・。
― へっくちん!!
「ん? 何だ、この変なくしゃみ・・・。」
― へっくちん!!
「あっ、渡辺、おはよう~。」
「おっ、おう、リョウコ、おはよう。 あっあれ・・・。」
「へっぶちん!!」
「なんだエリ、どっどうした? ヨレヨレじゃねえか、風邪か?」
「う~ん・・・。 一昨日辺りから調子が悪いと思ってたんだけど・・・、昨日から本格的に風邪ひいたみたい・・・。」
「そういや、一昨日も昨日も、珍しく元気無かったもんな、お前・・・って! なっなんだ、その声! オッサンみたいじゃねえか!」
「うるさいわね・・・。 気にしてんだから、ほっといて・・・へっぶちん!!! ゲホゲホ・・・。」
「おいおい、大丈夫か!? そんなになってまで、無理して来なきゃ良いのに・・・。病院行かなくて平気なんか?」
「私も無理しないでって言ったんだけどね・・・。 どうしても出るって聞かないのよ・・・。」
「お前、そんなに学校好きだったっけ?・・・。」
まさか元気の塊のような姫様が病気になるなど思っても見なかった私は、その「鬼の霍乱」を絵に描いたような様子に少々面食らってしまうのでした。
そして、その昼休みのこと・・・。
私はエーちゃんと日の当たる廊下の窓に寄りかかりつつ、この時期特有の何とも言えないポカポカ陽気に、体中のやる気をもっていかれておりました。
「それにしても、今日も天気良いなあ・・・。なんだろうな、暖かくなると身体が動かしやすくなるはずなのに、こういう陽気だと、逆に動きたくなくなるよな・・・。」
「だなあ・・・。」
そんな弛んだ顔と身体をエーちゃんと二人で並べていると・・・。
「あんたら、だらけ過ぎよ・・・。 ゲホゲホ・・・。」
「お前・・・、帰ったほうが良いんじゃねえか?」
「余計なお世話よ・・・。 私が出たいんだから良いでしょ・・・。」
「(こいつ、ホント言うこと聞かねえな。こっちはメチャクチャ心配してんのに。)
まあ・・・、そんなに居たいなら別に良いけどよ。
それにしても、お前は風邪なんかひかねえと思ってたけどな!」
「何それ? どういう意味よ・・・。」
「ほら、昔から言うじゃねえか。馬鹿は風邪ひかねえって。
お前が意地はるのは勝手だけど、リョウコとか他のヤツにうつすなよな。 早く帰れ帰れ!」
「なっ! くっ!・・・・。 まっまあ、それならあんたには取り合えずうつらないから関係ないわね!」
「ああ、なるほど! お前、喧嘩売ってんだな! っていうか、お前には言われたくねえぞ、アホ女!」
「はあ!? 喧嘩売ってんのはそっちでしょ!」
「俺は一応、心配して言ってやってんじゃねえか! あ~っ、心配して損した!」
「余計なお世話だ、この馬鹿!」
「おいおい、お前ら、やめておけって、たくよ~。 ふあぁぁ~ん・・・。 あれ~?・・・、校長だ。相変わらずてっぺん眩しく光ってんなあ。 天気が良いから余計に眩しいね~。」
「ちっ! 勝手にしろ、このアホ。 ああ、お前はバカじゃなくてアホだから風邪ひいたのか。なっとくなっとく。
あ~、ホントに校長だ。珍しいな、何やってんだ? あれ、鬼ハシ(鬼の高橋からの愛称で、生活指導担当だったもので、私とえーちゃんはいっつも殴られてました。)も一緒じゃねえか・・・。 外出なくて良かったな・・・。」
「もう私帰る!!!」
「おう、帰れ帰れ。 帰ってクソしてとっとと寝ろ。」
「ムカッ! ・・・・。 !!! はぁ~! ふぅ~・・・。ゲホゲホ・・・」
なぜか姫様は私をきっと睨み付けると、わざとらしい程の勢いで深呼吸をすると、むせながらも窓から身を乗り出し・・・。
『なっなんだ?・・・』
「ザッビエルぅーーーー!!!!!!!」
「はっはがあああ!!!! なっ何とんでもねえこと叫んでんだ、おまっ」
「ふんっ!!!」
「ぐえっ!!! まっ回し蹴り!? いっ痛てな、コンチクショウ!!!
って、あれっ!!! 逃げた!!! っていうか、アイツ全然元気じゃねえか!!!
まっまずい、エーちゃん逃げるぞ・・・って、もういねえ!!!
げえっっ! 鬼ハシと思いっきり目があった!」
まさかの予想外の攻撃にまんまと陥った私は、運悪く教師と目があったために、当然の様に・・・
― 『え~、三-Bの渡辺、三-Bの渡辺~。 至急、生徒指導室まで来るように』
と、ご丁寧に校内放送で呼び出しを食らうのでした・・・。
その後は、当然のように私の釈明なぞは一切聞かず、私は鬼ハシ教諭に徹底的にコッテリと絞られたのは、言うまでもありません・・・。
「あっあのヤロウ・・・。」
結局、私が生徒指導室より教室に戻った時には、既にエリの姿は無く・・・。
仕方なく、私は見舞いも兼ねて、エリの家に行って直接文句を言ってやろうと乗り込むのでした。
そんな様子を見て、リョウコが呆れたようにため息をついていましたが、こればっかりは腹の虫が治まらないので仕方がありません。
「おい、このアホ女! さっきはなんて事しやがるんだ!」
「ひとんちに来たのに、私の顔見て最初に言う言葉がそれなの、あんた・・・。」
「あったりめえだろ! お前のせいで、どんだけ鬼ハシに絞られたと思ってんだ、コンチクショウ!」
「いい気味じゃないの。 もう着替えるから、出て行って! このスケベ変態!」
「えっ!? あっそう!? わっわるい、ごめん!」
『・・・。 って、もう着てるパジャマから着替えるってなんだよ! くそ、はぐらかされた!
でも、まあ昼間よりは顔色も良さそうだし、風邪は大丈夫そうか・・・。 流石に丈夫だな。まあ、元気なら良いか・・・。』
その後は、しばらく廊下で待っていたのですが、呼ばれる気配も無かったので、仕方なく「今日はこれで帰るからな。」とドア越しに伝えると、「んー。」という牛のような返事が帰ってきましたので、来る途中に買ったお見舞いのジュースとのど飴をドアの前に置いて、そのまま退散するのでした。
ところで話は変わりますが、この頃の・・・つまり男子中学生というものは、多少の差はあっても頭の中で考えていることは、み~んな一緒でして。
丁度、身体的な特徴もいろいろと違いがでることもあり、世の中には二種類の人間が存在するのだということを意識し始める年代な訳です。
つまり、平たく言えば「女のことしか考えられねえ!」状態になる訳でして、これはつまりハシカみたいなものなのでしょう。それは何も恋愛だけに止まらず、もっと若さに任せたストレートな場合も多いのでした。
ところが、そんな状態に陥るのは、どうも男子だけではない・・・。
そんなことを知ったのは、丁度この時のことでした。
そして、翌日の授業中のこと・・・。気だるい季節のせいか、私が授業中にも関わらず惰眠を貪っていた時のこと。
「ええ~、そうなの~? がんばんなよ~(コソコソ)」
『んん~? なんだ~?・・・。』
「実は私もさあ~、この間先輩の部屋に泊まりに行った時に、途中までやばかったんだよね~。(コソコソ)」
『えっ、なに!?』
「最初はね、凄く痛いんだよ・・・。 血も少し出るし。」
「そっそうなの? どっどうしよう、ちょっと恐い・・・。」
『こっこいつら、授業中に何の話してんだ、何の・・・。
っていうか、女子もこういう話、やっぱりするのか!? もしかして、後ろのエリも聞いてたりして・・・って、うわっ、目があった! えっなに!? こっち見て不敵に笑ってる。えーっなに、気持ちわりいよ。 まあいいや・・・、もうちょっと寝るか・・・。』
「あ~っ!、渡辺く~ん、授業中に寝るのは良くないですよ~!」
「なっ!!!」
「そこ、うるさいぞ。 え~、それじゃ今日の授業はここまで。」
『ほっ・・・。』
「チッ」
『うわっ、いまコイツ舌打ちしたよ・・・。』
「それと渡辺~。 お前は今日、放課後残れよ。岡部先生には、しっかり報告して罰則を用意してもらうから。 俺の授業で爆睡して、ただで済むと思うなよ。」
「へっへい・・・。」
「くっくっくっく! バ~カ!」
『くっくそ・・・。 昨日といい今日といい、覚えてろよ、エリのヤツ・・・。』
結局、その放課後、私は岡部先生の蔑みの冷笑を受けつつ、その日の掃除当番に加わることを厳命されるのでした・・・。
ところで、この頃の私の学校では、掃除は放課後に当番制で行われておりました。クラスの班ごとに、一週間交替で当番が回ってくるという感じでして、中学になってこのシステムを知ったときは喜んだものです。
と申しますのも、小学生の頃の掃除と言えば、給食終了後に全員参加で行われまして、その後に昼休みという具合でした。これは正直、サボることも難しかったもので、中学のこのシステムは、小学のそれとは雲泥の差がありました。
「渡辺~、あっちのリョウコの方を手伝って~。」
「おっおう! (しっかし、今日がリョウコの班とはラッキーだなあ。罰が罰に感じないったらありゃしないよ。)」
などと、私はひとり、お気に入りの女子と掃除が出来るという事に浮かれていたのですが・・・。
「はぁ~・・・。」
― バサッ
と、珍しくリョウコがヤサグレて、持っていた雑巾を放り出すのでした。
その時の私は、余程あっけにとられたような顔をしていたのか、リョウコが私を見て、首をかしげます。
「んー? どうしたの? 渡辺。」
「いっいや・・・。リョウコがそんな投げやりな顔して雑巾を投げつけるような事するなんて思わなかったから・・・。 意外だな。」
「そう? 意外かなあ・・・。 私だって、掃除が面倒になる事だってあるよ。」
「そっそうなんだ。 いや、リョウコってほら、どっちかというと優等生だからさ。」
「私、全然優等生じゃないよ・・・。 渡辺にそう言うふうに見られるの、イヤだな。」
「えっ? そうなの? (しかし、見られるも何も、アナタの場合、そのまんまなんじゃ・・・。 なんか、珍しく気まずいな・・・。一応、機嫌が悪いんだろうか・・・。)」
「そっそういやさ、エリの風邪、もう良いのか?」
「あっ、うん。 昨日早退して帰ったお陰で、すっかり良いみたい。 エリは無理するから、変にこじらせて肺炎にでもなったらって心配だったんだけど。」
「そっか。なら良かった。 まあ、アイツはホントに丈夫だからな。」
「そんな事無いよ、エリだって風邪ぐらいひくんだから。 それにしても渡辺、そんなに心配?」
「いや、まあ・・・。 そりゃ、やっぱりな。」
「ふ~ん・・・。あはは。 でもさ、気にするぐらいなら、ちゃんと仲直りしなよね。 エリも気にしてたよ。」
「いや、別に喧嘩してるつもりはないんだけどなあ・・・。 っていうか、そもそも全部アイツが悪いんだって。」
「それは元々、渡辺にデリカシーがないからでしょ。渡辺って、あんまり周りが見えてないもの。」
「えっ!? そっそうかな!? (あっあれー、笑ってるけど、何となくイライラしてる? こっ、ここは素直に言うこと聞いておくか。)」
「わっ分かった。俺から謝って、スッパリ仲直りするよ!」
「うん、そうだね。 それが良いよ、絶対。うふふ。」
そんなリョウコの珍しい姿を見たせいか、ついつい聞かなくても良いのに、疑問に思ってる事が口に出てしまいます。
「そう言えばさ、リョウコとエリって、エライ仲が良いじゃん? 幼なじみってのは知ってるけどさ。 お前らって、喧嘩する事とかあるの?」
「喧嘩? そりゃあ・・・、勿論、あるよ。」
「へえ~・・・。 それも意外だなあ・・・。 というか、想像がつかないな。」
「そう? う~ん、渡辺もまだまだって事だね、きっと。 あはは。」
「なっなんだそりゃ・・・。」
そんな事もあってか、私は罰則の掃除を終えると、そのままリョウコと一緒に帰りながら、エリの様子を見に行くことにしました。
まずは・・・。
「なあ、エリ。」
「ん? なによ?」
「ごめんな。」
「え!? なっなに!? 急に!」
「いや、ここ最近の俺、デリカシー無かったかなって。」
「は?・・・。 ああ、まあ良いわよ、そんなの。 それがユキでしょ、あはは。」
正直、リョウコに言われて謝ってみたものの、エリも特に気にしていなかったようで、何となく拍子抜けするのでした。
まあでも、風邪はすっかり良くなったようなので、私はそれで良しとするのでした。
そんなわけで、私は元気になった姫様と、二日ぶりのまともな会話を楽しむのでした。
ところが、そんな会話の最中、急に何を思ったか、エリは黙り込み、唐突にこんな事を言い出すのでした。
「ねえ、そう言えばユキ。あんたさ、喫茶店って入った事ある?」
「喫茶店? ああ、家族となら偶にあるけど・・・。 なんで? お前、入った事ないの?」
「無い、全然。 じゃ、彼女とは?」
「ある訳ねえだろ。 俺、今まで女子と付き合った事なんてねえもん。初めての彼女がお前なんだから。」
「ふ~ん、あっそう! じゃ、行きましょうよ、二人で! 連れてってよ!」
そう言って、お人形さんの様な顔いっぱいに笑みを浮かべる「ネジ飛び姫」の様子を、「なんで二人で喫茶店に行くぐらい?」と奇異に思われるかもしれませんが、当時の私達にとって、同級生同士で、ましてや女連れで喫茶店に入るなんて事は、もうそれだけで「オトナ」の体験な訳でして、もしかしたら皆様の時代もそうだったかもしれませんが、それは喩えるなら、高校生がパチンコ屋に入るドキドキ感よりも、更に重たいものなのでした。
その後に先生と鉢合わせちゃって、「出てんのか?」と聞かれた時ぐらいのドキドキ感でしょうか? あれ? ちょっと違うか・・・。
当時は今のように気軽な喫茶店である「スターバッ○ス」やら「ド○ール」なんてものはありませんから、それこそパイプを潜らせたマスターが出てきそうな喫茶店がメインだった訳です。
煙草の煙で満たされ、琥珀色の照明に照らされた薄暗い店内で、大人達が一杯のコーヒーを含みながら優雅な時を過ごす・・・なんて、ハッキリいって私達から見れば映画の世界の出来事な訳でして。
その上、なんてたって、生徒手帳に「生徒同士での喫茶店等の入店を禁ず」と、しっかりと明記されていた訳ですから、それはそれは、私達にとっては大変敷居の高い場所なのでした。(そんなもの、まともに読まなかったし、まともに守らなかったですけど・・・。)
「ふっ二人で喫茶店か!?・・・。 いや、何かそれ、良いかもな・・・。 うん・・・。 なんかオトナな感じだな・・・。」
「でしょ? 行きましょ! どうせユキは老け顔だし、分かんないわよ!」
「そうだな~・・・って、でっけえお世話だ!」
そんな訳で、私達は喫茶店デートを敢行する事になりました!
場所は色々考えたのですが、近場の喫茶店ではなく、ちょっと電車で行くような離れた街角の喫茶店と決まりました。私は単にビビって遠くを希望しただけなのですが、姫様は少し遠出をして喫茶店に入る事が嬉しかったようで、直ぐに許可は下りました。この辺り、女の方が度胸が良いです・・・。
「しかし・・・・。馬子にも衣装とは、良く言ったもんだな・・・。」
その日のエリは、うっすらと化粧をし、目一杯のオシャレをしていました。普段のお人形さんの様な顔は、いわゆる童顔で、オマケに小柄でしたから、その行動も相まって幼く見えたものですが、その姿は三つぐらい年をサバ読んでも分からないぐらい、オトナっぽくみえたものです。
「馬子にも衣装って何よ? どういう意味?」
「あ~・・・、えーっ、えっとだな・・・。 むかしむかし、平安の都に「馬子」という絶世の美女がいてだな・・・。その人は大層衣装映えがしたという話だ。 うん、つまり、お前のその格好が凄く似合ってて、可愛いって事だよ、うん・・・。」
「ふ~ん・・・。 ば~か!」
私のデタラメで苦し紛れの誤魔化しを信じたのか、エリは大層機嫌が良くなり、私達はそのまま電車に乗り込むのでした。
そんな訳で、私達は目的の駅に到着します。
そこは私達の最寄り駅よりちょっと離れた比較的大きい駅でして、例の「ウツッテハイケナイモノ」を撮った古寺へ行く時の乗り換え地点となる駅でした。通常、私達が遊びに出掛ける時は、この反対側の大きな駅へ移動する事が多かったのですが、今回は若干寂れた感のあるこちらの方が雰囲気があるだろうとの判断でした。
その駅から伸びる商店街を歩いて、一件の喫茶店に入ります。
― カランカランカラン・・・。
「ようこそ、いらっしゃいませ。 空いてるお席へどうぞ。」
これが、私達二人が産まれて初めて、同級生同士、そして恋人同士で喫茶店に入った瞬間でした。
最近では珍しくなったかもしれませんが、当時は定番だった入り口の呼び鈴が鳴りますと、それ程広くない店内の右側に設けられたカウンターから、この店のマスターと思われる、如何にも雰囲気のある髭を生やした初老の男性が迎え入れてくれました。
店の中には、恐らく常連さんなのでしょう、何人かのお客が、カウンターに座って新聞やら本やら読んで時間を潰し、テーブル席には、私達の他に二組ばかりの若いカップルが仲睦まじく座っていました。私達もそれに習い、控えめに端の席に向かい合わせで腰を降ろします。
私達は席の横に備え付けてあるメニューをとり、注文を決めます。それを見計らった頃に、マスターがやってきて・・・・
「ご注文は何になさいましょう?」
「あっあの、ホットコーヒーを二つ!」
「かしこまりました。」
「あっ! ユキ、お腹は空いてない?」
「そっそういえば、ちょっと腹減ったな。」
「それじゃ、サンドイッチを一つ頼んで半分こしようよ。 すいません、クラブサンドも一緒にお願いします。」
「かしこまりました。 コーヒーは先にお持ちしますか?」
「いや、一緒でお願いします。 エリもそれで良いだろ?」
「うん。」
緊張の注文が終わった頃には、私達はすっかりリラックスして、店の雰囲気を味わっていました。もっとも、緊張していたのは私だけかもしれませんが・・・。
「ねえ、これなんだろう? この地球儀みたいなの。」
「ああ、これは星座占いだよ。 ここに100円入れると占いが出てくるんだ。 やってみるか?」
最近はあまり見なくなりましたが、この頃、このボール型の星座占い販売機?は、喫茶店の定番アイテムでして、大抵、どこの喫茶店のテーブルにも常設されていました。
「私とユキは二人とも双子座だから、一回で良いわよね?」
「えっ? あれ、そういうものなの? まあ、良いけどね・・・。」
「お待たせいたしました。 ホットコーヒーとクラブサンドです。 どうぞ、熱いうちにお召し上がり下さい。」
そんなやり取りをしているうちに、例の渋いマスターが、私達の注文の品を運んでくれました。
「そういえば俺、まともなコーヒー飲むの初めてなんだよなあ・・・。」
「あれ? そう言えばうちに来た時もユキ、お茶ばっかり飲んでるよね。 嫌いなの?」
「いや、そう言う訳じゃねえんだけど、何となく、飲んでなかったんだよな。そういえば、なんでだろ?」
これが、私が産まれて初めて本格的なコーヒーを飲んだ瞬間でした。
「あれ! これ美味いなあ! 何で俺、こんな美味いもの、今まで飲まなかったんだろう!?」
「あはは! ユキ、良かったね。 これでやっとオトナになれたじゃん!」
「くそっ・・・。 お前に言われると無性に悔しいな・・・。」
そんな軽口を叩きながらも、私達はコーヒーとサンドイッチを二人で味わいながら・・・、果たして、今までこんなに二人でじっくりと顔を合わせて見つめ合った事があっただろうか?・・・と言うほど、ちょっと店内の不思議な雰囲気のせいか、私達は恥ずかしげもなく・・・、お互いの表情をマジマジと確認し合うのでした・・・。
それからどれぐらいの時間を過ごしたでしょうか。充分に満足をした私達は、その店を後にしました。
「いかがでしたか? コーヒーのお味は、お口に合いましたでしょうか?」
「とても美味かっ・・・じゃない、美味しかったです。」
「ありがとうございます。 ぜひ、またお越し下さい。」
それから、私達はせっかくのデートを満喫するように、少しさびれてはいましたが、長閑な商店街を二人で手を繋ぎながら、ノンビリと楽しんでいました。
「あの店、とっても感じ良かったね。 コーヒーもサンドイッチも美味しかったし。」
「ああ。 なんか、マスターが如何にもマスターって感じで貫禄あったしな。だけど、俺たちの事を子供だってんで馬鹿にした感じも全然なくて、凄く良い気分だったよ。」
「ねえ、また絶対来ようね! 二人だけで!」
「そうだな。 絶対に来よう。」
それからしばらくしての事ですが、どうも駅を目前にした辺りから、私は身体の異変を感じ始めていました。
まるで乗り物酔いにでもなったかのように、強烈なめまいと吐き気が襲ってきます・・・。
「(あれ・・・、俺どうしたんだろう?・・・。)すっすまん、エリ、ちょっと便所に行ってくる・・・。」
私はそのまま便所に駆け込むと直ぐ、嘔吐をくり返すのでした・・・。
『何か変なものでも食ったっけ?・・・。サンドイッチが悪いんなら、エリだっておかしくなってる筈だしなあ・・・。寝不足かな・・・。』
「ちょっちょっと! 大丈夫? 顔が真っ青よ!」
トイレから出てきた私を、直ぐ入り口で待っていてくれたようで、エリは私の尋常じゃない様子に駆け寄り、そう言いながら細くて白い右手を私の頬に当てていました。
「熱は無いみたいだけど・・・。 とりあえず、あそこのベンチで休みましょう。」
「ああ・・・。 悪いな・・・、助かる・・・。」
それからしばらくして、風に当たっていたのが良かったのか、私の体調はすっかり回復しました。
「だいぶん顔色が良くなったけど・・・、大丈夫? もしかして・・・、私が風邪うつしちゃったのかな・・・。」
「そんなことないだろ。もう全然大丈夫だよ、有り難う。 それにしても、なんでまた急に酔った様に気持ち悪くなったんだろう?・・・。 これは熱とか風邪とかとは違う感じがするんだよなあ・・・。」
結局、その日はすっかり気分も戻って、いつも通り、二人で軽口を叩き合いながら、帰路につきました。
そして、それからしばらくして、私たちは再び、例のシブい喫茶店を訪れていました。
「ねえねえ、今日はさ、お昼も兼ねてだから、別のメニューも頼んでみましょうよ!」
「そうだなあ。 じゃ、二人で別々のもの頼んで、半分こずつにするか?」
「あっ! じゃあ私、オムライスとスパゲッティーが食べたい!」
「って、それじゃお前が食いたいもんで終わりじゃねえか!」
「良いじゃない、ケチケチしないの! 男でしょ!?」
― カランカランカラン・・・・
「ようこそ、いらっしゃいませ。毎度ありがとうございます。 空いてるお席へどうぞ。」
「ちゃんと私達の事、覚えていてくれたんだね・・・。」
「ああ、やっぱりプロだな・・・。 まあ、お前は容姿的に目立つからな、良い意味で。男なら忘れないだろ。」
「馬鹿・・・。」
私たちは一見さんであるにも関わらず、マスターがしっかりと覚えてくれていたことに感動しつつ、前回と同じ席につくと、道々話し合ったメニューを注文します。
店内は前回同様、外の喧騒とは全く違ったゆっくりとした時間が流れ、しばらくすると、私たちの鼻腔をくすぐる何とも言えない香りが漂います。
「お待たせいたしました。 ホットコーヒーとミートソース、特製オムライスです。 どうぞ、熱いうちにお召し上がり下さい。」
「おお、それじゃさっそく! いや、これはどれも美味いぞ! 特にオムライスが美味いな!」
「ホントだ! って、あんた、顔中ケチャップだらけよ。ほら。」
「あっ、ありがとう・・・。」
そして、その日も前回と同じように、私達は喫茶店を出た後のノンビリした時間を味わうように楽しんでいました。
その後、同じように再び駅付近まで戻ってきた時・・・・
「すっすまん、エリ・・・。 また便所行ってくる・・・。」
「ええっ! また気持ち悪いの!? ちょっと、大丈夫!?」
結局、私は前回とまったく同じ症状になり・・・・、同じく顔を青くして心配するエリに付き添われながら、同じようにベンチで休む事になりました・・・。
そして、私はこの事で確信を持つのでした・・・。つまり、今回の一連の体調不良の原因と、何故今まで無意識にコーヒーを飲まなかったのかを・・・。
「なあエリ・・・。 もしかすると俺、コーヒーが飲めないのかもしれない・・・。 多分なんだけど、体質に合わねえのかも・・・。何かそう言えばさ、心当たりが色々あるんだわ・・・。」
「はあ!? コーヒーが飲めない!? ぷっ! あはははははははは!!!!!」
「あれ~っ!? そこってそんなに馬鹿笑いする所!? むしろ「ええ!? 大丈夫? 可哀想に・・・。」とか言っちゃって、心配して同情して慰めてくれる所じゃないの!?」
「だって、それじゃユキ、ずっとオトナになれないじゃん! ユキ、オコチャマのままだよ!!! あはははははは!!!」
『なんだろうか、このたかがコーヒー一杯で「俺という存在」が全否定されてる感覚は! というか、お前の「オトナ」の基準って、コーヒーなのか!? 思ったより単純だな、オトナって・・・。』
私は姫様の馬鹿笑いを恨めしく見つめつつ・・・、オトナのつもりでオコチャマだった自分と、オコチャマの様に見えて、結構オトナの姫様との関係が、意外とバランスの取れている仲なんだなあという不思議さを、多少嬉しく思うのでした。




