05 「腕時計」
私が中学生にあがって、しばらくした頃の事。
今考えますと、何の気まぐれだったのか。
特別、それは誕生日という訳でもなく、クリスマスという訳でもないのですが、突然、父が私に腕時計をプレゼントしてくれた事があります。恐らく、パチンコで儲かっちゃったから~とか、そんな理由だったとは思うのですが・・・。
この時計が殊のほか丈夫でして、なんと未だに現役で使える事に驚きを感じます。
ところで、私はそれまで腕時計をする習慣などは全くなく、そもそも、時間に追われるような生活をしていなかった事もありますが、小学生の時には、当然のようにそんなものは使いませんし、中学に入ってからも、学校内ではあちこちに時計がありますし、外にいる時も、腹が減ったら家に帰る・・・と言うような、とにかく適当な生活を送っていたものですから、時計自体に必要性を感じていませんでした。
そんな状態で、父から腕時計を突然もらった訳ですが、これが思ったよりも当時の私は気に入りまして、国産品のそれほど高いものではなかったのですが、それでも必要以上に大きくゴツゴツして、いろいろと無駄に機能がありそうなこの時計は、当時の少年の中の「男心」をくすぐる魅力を放っていました。
つまり、時計を単なる道具ではなく、「ファッション」として見た初めての出来事だったのではないかと思います。
と言う訳で、私はそれから、毎日のように、この腕時計をつける事になるのですが・・・。
その腕時計が必需品となった頃の事・・・。
「と言う訳で、再来週の林間学校に向けて、オリエンテーリングの予行演習をします。 まずは男子女子合わせて四人一組で班を作って~・・・・」
『なんだよ、オリエンテーリングって・・・。 中学に入ってまで、何でそんな事せにゃならんの・・・。』
「渡辺、あんたと私は同じ班だって。 残りのメンバーを決めましょ。」
「はあ!? なんで俺とお前は強制になってんだよ!」
「仕方ないでしょ、学級委員なんだから! 文句があるなら先生に言いなさいよ。 私だって別に、好きであんたなんかと同じ班になりたくないわよ!」
『なんてこったい・・・。ただでさえ馬鹿馬鹿しい行事なのに・・・。 まあ良いか。コイツと一緒という事は、強制的にリョウコも来るだろうからな。 クックック・・・。』
「で、お前の方は決まったのか? もう一人のメンバー。」
「そんなの、リョウコに決まってるじゃない。」
「宜しくね、渡辺。」
『よっしゃ! 計画通りっと。 厄介な残飯を引き受けんだ。これぐらいの豪華なメインディッシュがねえと、やってられねえっての!』
「さて、俺の方はと・・・。 誰と組むかな・・・。」
「別に良いじゃない、誰だって。 というか、誰でも良いわよ、残りの一人なんて。」
『えーっ・・・。 お前ってホント、興味ない人間は虫けらぐらいにしか思ってないのな・・・』
そんな訳で、私達はオリエンテーリングの予行練習とやらに挑む事になるのですが・・・。
それから数日後の事・・・。
私たちは隣のクラスとの合同で、計八人を一組とした、結構な人数で行うようです。
ちなみに、騒がしい男、犬飼が姫様たちと話をしたのは、この時が初めてのことでした。
「なるほどね・・・。 要するに、この地図とコンパスを照らし合わせて、地図にあるポイントを通過していけば良いのね。」
「各ポイントのパスワードと通過時間を記録して、速いものが優勝って事だな。 それにしても、地図は兎も角、コンパスなんて必要ねえな・・・。 地元の街ん中じゃ・・・。」
「本番はきっと、山とか林でする事になるから、ホントに予行って意味なんだろね、きっと・・・。」
「まあ、ボチボチやんべ。 どうせ優勝って言ったって、賞品が出る訳じゃねえんだしよ。」
「はあ!? 何言ってんのよ、あんた! やるからには一番を狙うに決まってんじゃない! 気合い入れなさいよ!!!」
「・・・。(なんでコイツだけ、いつもこんなにテンション高けえんだ・・・。 一人でやってろ、アホ女。)」
そんな具合に、オリエンテーリングはスタートした訳ですが、何せフィールドが学校近辺と言う事で、地図上で確認するだけで、大体の場所が分かってしまい・・・、私達は、ひたすら近道を行く事になります。
その際、重要な点は時間な訳ですが・・・。
「へえ~・・・。 渡辺、何かその時計、カッコイイじゃない。」
「おお!? 気がついたか!?
実は最近手に入れたお気に入りでよ~。 かなり気に入ってんだよ。 何か良く分からねえけど、いろいろ機能が付いてんだ、これ。 ストップウォッチだとか、タイマーだとかよ。」
「へえ~・・・。 じゃあ渡辺、私が時計係やるから、その時計貸しなさいよ。」
「なっなんだよ、時計係って。 やなこったい。 お前なんかに貸して傷付けられたら最悪だからな~。」
「・・・。 ねえ、聞いた?リョウコ。 どう思う?こういう肝っ玉のちっちゃい男。 最低よね~。」
「あはは・・・。」
「なっ!!!!」
「ケチってやあね~。 特に男の! ああ、やだやだ、こういうセコイ男!そう思わない?リョウコ!」
「まてコラ! っていうか、腕時計貸さねえぐれえで、なんでそこまで言われにゃならねえんだ! ああ、貸してやろうじゃねえか、ほら! もってけ!」
「あらそう? 悪いわね~。 大丈夫大丈夫、大事に使うから~。 あははは!」
『このアホ女、いつか見てやがれ!』
「あら・・・。 ちょっと大きいわね。 すっぽ抜けちゃう。ほら」
「(げえっ! 何してやがる! 頼むから落とすなよ!)きっ金属ベルトだからな・・・。 調節できねえぞ。 あきらめろ。」
「仕方ないから、手で持つわ。」
「お前・・・、ホント落とすなよ・・・。」
「大丈夫よ、しつこいわね。」
そんなハラハラした不安を抱く中・・・。 オリエンテーリングは進んで行く訳ですが、そんな状況にも慣れた頃、事件が起こるのでした。
「結構見つからねえもんだな・・・。 たぶん、この辺りだと思うんだけど・・・。」
「良く見ると、この印って大雑把だもんなあ・・・。 監視係の先生が近くにいる所が怪しいってんで、いくつかは分かったけど・・・、結構甘くねえな・・・。」
「もう! あんたらの地図の見方が悪いんじゃないの!? ちょっと貸して見なさいよ! リョウコ、これ持ってて!」
「あっ・・・、うん。」
「えっらそうに! 大体、お前地図の見方わかんのか!? 地理だってあんまり点数良くねえだろ?」
「うるさいわよ! そんなこと全然関係無いでしょ! だいたい、あんただって偉そうな事言える点数とって無いじゃない!」
「ははは! まったく馬鹿なヤツらだよなあ、石崎さんだっけ? 俺たちでサッサと見つけようぜ。」
「えっ!? あ、うっうん。」
「はいそこっ!!! 犬飼のくせに、さり気なくデキそうな男アピールしてんじゃねえ!
っていうか、気安くリョウコに触ってんじゃねえ!」
「そうよ、この痴漢! あんたがリョウコの手を握るなんて、百万年早いわよ!!! ほら、リョウコこっちこっち!」
「あっ! ちょっと、エリ、引っ張らないで! あっ!・・・・」
ガッチャン!!!
「きゃあ!」
「っぎゃあ!!! 何してくれてんだ、このアホ女!!!!」
なんと、エリがリョウコを無理矢理引っ張ったために、リョウコの手から私の一張羅の腕時計が落下してしまうのでした・・・。
「うおっ! ケースとガラスにデッカイ傷が!!! このアホ! だから言ったじゃねえか! アホ、バカ、ワガママ女!」
「ごっごめんなさい、渡辺・・・。 ホントにごめんね、ごめんね・・・。」
そう言いながら、リョウコは涙ぐむのでした・・・。
「あっ、いや! ちっ違う違う!!! リョウコじゃねえって! 悪いのはエリなんだから! リョウコは全然悪くないって!」
「そっそうよ、リョウコは悪くないって! 渡辺! あんたも時計ぐらいでガタガタ大袈裟に騒がないでよ!」
「っていうか、殴るぞ! お前が謝れ、コノヤロウ!」
「今はそんな細かい事言ってる場合じゃないでしょ!」
そう言いながら、姫様はリョウコを指さし・・・。
いや、確かにリョウコが泣いている所など、初めて見る訳ですが・・・。
「私が悪いの・・・。 本当にごめんなさい・・・。 私がボーっとしてたから・・・。 ごめんね、渡辺。 ごめんなさい・・・。」
「いや、ホントもう良いから! 気にするなよ、リョウコ・・・。(それにしても、どうしたんだ? どうもリョウコらしくないな・・・。)」
「ごめんなさい・・・。 本当にごめんなさい・・・。」
「もう良いわよ、リョウコ・・・。 泣かないでよ、こんな事で。」
「(って、お前が言うな、コノヤロウ! っていうか、お前が謝れ、ホントに!)リョウコ、ちょっと触るぞ。」
「えっ・・・・。」
「ちょっちょっと! あんた、どさくさに紛れて何してんのよ!!!」
「うわっ! やっぱり、顔が赤いから変だと思ってたんだ! お前、めちゃくちゃ熱あるじゃんか!」
「ええっ! ほっホントだ! 何で今まで我慢してたのよ、バカ!」
「ごめんね、ホントにごめんね・・・。」
「意識がもうろうとしてんだ・・・。リョウコ、背中に負ぶされ! 犬飼、先生探してきてくれ!」
「って、なんであんたが負ぶんのよ!」
「お前が負ぶれんのか?」
「いや、俺が負ぶるって! 俺が!」
「・・・。 やっぱり渡辺で良いわ・・・。」
「ええっ! なんでやねん!」
「渡辺! どさくさに紛れて、変なとことか触んないでよ! そんな事したら殺すわよ!」
「でっけえ声で変な事言うな、このアホ女!」
結局、オリエンテーリングは棄権となり、私達はそのまま学校に戻る事になります。
リョウコは保健室に運ばれたのですが、かなりの高熱だったため、手すきの先生に連れられて病院へ直行し、そのままエリに連れられ、帰宅となりました。
その間も、自分のせいで迷惑をかけた事を気に病んでいたようで・・・。私達の姿を見る度に、リョウコはずっと謝り続けていました。責任感が強く、真面目で一生懸命のリョウコは、普段は、大人しく見えますが、大変心が強く、弱音を吐く所など見た事がありませんでしたので、私もリョウコの脆くも儚い姿に、大きな心配と、なんだか少しだけホッとする不思議な感情を抱いておりました。
それから二日ほど、リョウコは学校を休んで寝込んでおりましたが、三日目には、まだ本調子では無いにもかかわらず、私達に精一杯に元気な姿を見せてくれました。
「みんな、ホントにごめんね。 特に渡辺、ごめんね。大事な時計、傷つけちゃって・・・。」
「気にすんなって。リョウコが悪いわけじゃねえんだから。 それに、別に壊れたわけじゃねえし、何だか貫禄が出て、かえって良かったよ。」
「そうそう、リョウコは全然気にする事無いってば。」
「いや、お前はもうちょっと気にしろよ。 っていうか、謝れコノヤロウ!」
「えへっ♪」
「えへっ♪ じゃねえよ! 全然可愛くねえぞ、このアホ女!」
「あはは・・・。 それと、ありがとうね・・・。 学校まで負ぶってくれて・・・。 重かったでしょう?」
「全然全然! リョウコが重かったら、他のヤツ運べねえよ! うははは!」
「ホント、ありがとうね・・・。」
「もう、良いから気にするなって。 それより、まだ本調子じゃねえんだから、無理すんなよな。 リョウコは頑張り過ぎるからなあ・・・。」
「あはは、そうかな? そうかもね・・・。 あはは、気を付けるね。」
そう言いながら、リョウコはようやく、いつもと同じ様に、みんなを魅了するような素敵な笑顔を見せてくれるのでした。
ところで、今回思わぬ目にあった、私の腕時計ですが・・・。
どういう訳か、姫様は大層この腕時計が気に入った様でして、この後の、特に丁度「恐怖新聞」を作った辺りから、ことある事に、私と一緒にいる時は、やたらとこの時計を借りたがり、何だかんだと自分の腕にちゃっかりとはめている事が多くなりました。私も最初は嫌々貸していたのですが、心境の変化と共に、それはそれほど嫌では無くなり・・・。
「なあ・・・。 そんなブカブカの時計してたって、仕方ねえんじゃねえの?」
「良いじゃない。 なんかブレスレットみたいだし。」
「ふ~ん・・・。 そんなに気に入ったんだったら、お前にやろうか? その時計。」
「ううん、いらない。 あんたといる時に借りられれば、別にそれで良い。」
「ふ~ん・・・。 変なヤツ。」
結局、私は姫様でもちゃんと出来るように、ある日コッソリと、金属製のベルトから革ベルトへと交換してしまいます。
それを見た姫様は・・・。
「ふ~ん。」
と、一言唸っただけでしたが、その顔は、私には何となく気に入ってるように見えました。
革ベルトですから、付けられた金具の跡が、使う穴の周辺に出来る訳ですが、その跡が違う太さの所に二つ出来る事が、当時の私には何となく嬉しく感じるのでした。




