《短編》マイディアテディベア《完結》
これは、私がまだ幼稚園に通っていた頃の話だ。
当時、流行していたテディベアのぬいぐるみというのがあり、ポップなCMが流れて話題になった。そのテディベアは普通のテディベアとは違い、話しかけると向こうからも会話をしてくるのだ。
周りの女の子はもちろんのこと、男の子でもそのテディベアを欲しがる子が多かった。だけど、私の家は貧乏でそのテディベアを買ってもらうことが出来ず、周りの子が楽しそうにテディベアと会話をするのを羨ましそうに見つめることしか出来なかった。
いつものように、お昼に幼稚園の遊具で遊んでいるのを横目に、私は、お友達のミカちゃんと二人で園内でおままごとをしていた。ミカちゃんの家はお金持ちな為、当然あのテディベアとはいつも一緒にいた。
「クマちゃん、そんなに食べのこしたらダメじゃない。ほら、ピーマンもしっかり食べるのよ」
と、ミカちゃんが言うと、テディベアは言う。
「うん、ゴメンね、ミカちゃん」
私はそれを見ていて、羨ましく思った。
「私のクマちゃんね、他の子と違ってたくさん話すの。他の子のクマちゃんは、決まった返事しないけど、私のクマちゃんは別なの。とってもお利口さんだから」
ミカちゃんは、よくそう言って嬉しそうに自分のテディベアを自慢していた。私は次第に、ミカちゃんのクマちゃんが欲しくてたまらなくなっていた。
幼稚園が終わり、お迎えの時間がくると、ミカちゃんは眠そうにまぶたを擦っていた。ミカちゃんの、お母さんが来て、ミカちゃんを抱き上げながら、私に「いつも、ミカと仲良くしてくれてありがとう」と、にっこり笑って帰っていった。
私は、帰っていくミカちゃんと、ミカちゃんのお母さんの背中を見て手を振った。
私も帰る準備をしようとしたら、目の前にはミカちゃんのクマちゃんがいた。ミカちゃんが忘れていったんだ。私はとっさにミカちゃんを追いかけようとした。だけど、私はそのミカちゃんの大事なテディベアを自分のバッグにしまい込んだ。
私は罪悪感と一緒に、ついにテディベアを手に入れたという高揚感でいっぱいだった。
私のお母さんが迎えに来て、私はミカちゃんのテディベアを連れて家に帰った。
家に帰ってくると、さっそく部屋の扉をしめて私は自分のものになったテディベアをバッグから出してあげた。マロン色のふわふわの毛に、首に赤いリボンが可愛らしく付いていた。
私はすぐにテディベアとお話がしたくなり、他愛もないことを訪ねてみた。
「ねえ、元気?」
そう、私が聞くとテディベアの口から声が聞こえてきた。
「うん、元気だよ、君は?」
「私も元気だよ。ねぇ、友達になってくれる?」
「うん、僕と友達になろう?君のことをたくさん教えて欲しいな」
テディベアが、愛らしい声でそう言った。やっぱり他の子とは違ってたくさんお喋りをしてくれる。私はあっという間にテディベアに夢中になっていった。
ミカちゃんに返すつもりも全くなくなり、私はテディベアとずっとお話をしていた。
次の日、ミカちゃんは幼稚園にいる最中ずっと悲しそうな顔を浮かべていた。いつもみたく遊んでいる最中ミカちゃんは私に聞いてきた。
「ねぇ、私のクマちゃん見なかった?探しても探してもどこにもいないの」
私は、正直に言おうかどうか迷った。だけど、言わないで黙っていた。ミカちゃんは、落ち込んでもっと暗い顔になった。
帰る時、ミカちゃんのお母さんは「また新しいの買ってあげるから」と、ミカちゃんをなだめていた。私は分かっていた。ミカちゃんは、あのテディベアじゃなきゃ嫌なんだってこと。だってあのテディベアは特別なものだから。本当に他の子のとは違いたくさんお喋りをしてくれる。それに、私に懐いてくれてる。私はもう絶対に一生テディベアを離さないって心に誓った。
夜寝る時、テディベアを抱きしめながらお話した。
「ねえ、私の事好き?」
聞いているのに、答えなかった。もう一度、同じことを聞いてみた。だけど、テディベアは答えなかった。
壊れたのかな、と思ってテディベアの腕をつかんで振ってみると、ようやく返事をした。
「ごめんね、聞いてなかったよ」
そうテディベアは言った。私はもういい、と拗ねて、後ろを向いて寝る準備に入った。
「ねえねえ、僕の本当の姿、知りたい?」
「本当の姿って?」
私は興味をそそられて、またテディベアの方を向いた。ビー玉のような目がこちらをじっと眺めてる。
「僕は本当は、お伽の国の王子様なんだ」
「本当に?」
「うん、ゆりちゃんにだけは言うけど」
「じゃあ、明日会いたい。幼稚園お休みだから」
「いいよ。ゆりちゃんの住んでる場所はどこ?」
「西区のオリエ団地だよ」
「じゃあ近くの公園に行くね。はやくゆりちゃんに会いたいなあ」
私は次の日、約束した公園に、テディベアをつれてお昼に行き、ブランコに乗って相手を待った。だけど、待っても待っても私の前には誰も現れなかった。
少し日が暮れて、人気も少なくなってきた頃、テディベアは話しかけてきた。
「もうすぐで、ゆりちゃんに会えるよ」
「今どこ?」
私は聞いた。
「公園の近くのアパートだよ。もうすぐつくよ」
私はワクワクした。はやく、テディベアの本当の姿を見たくて仕方なかった。
「ゆりちゃん」
テディベアは、私を呼んだ。その声には低い男の人の声も混ざっていた。顔を上げると、そこには、太った大きな男の人がこっちを見ていた。
「遅くなってごめんね、ゆりちゃん」
息荒くこっちを見つめる男に、私は怖くなって震えた。怖くてその場から動けなかった。
「どうしたの、そんな顔をして」
男が話す度にテディベアと同調する。私は逃げなくちゃと思って、思い切りテディベアを男の顔に投げつけた。すると、男は私に手を伸ばしてきた。
「そんな悪いことをしたらダメだろう」
テディベアは、地面に落ちた。男は刃物を取り出し、私に襲いかかってくる。
私は叫びながら一心不乱に逃げた。
「待って、ゆりちゃん。僕と遊ぼう」
そう言いながら、男は追いかけてくる。私は死ぬ気で走って、自分の家へ逃げた。だけど、男はまだ私の背を追いかける。階段を上って家の扉の前まで行くと、私は扉を懸命に叩いた。男が来る――。
「お母さん、開けて!」
男は近づいてきた。
ガチャリ。
お母さんは、きょとんとした顔をして私を見つめていた。
「どうしたの、ゆり。そんな顔をして」
「お母さん助けて!」
お母さんは、男の方を見た。男は逃げずに、私の方へ近づいてきた。
「はい、これ落としたよ」
男は笑顔でそう言いながら、テディベアを私に渡した。
それから、お母さんはとんでもない事を言い出した。
「大輔さん。本当にいつもありがとう。ゆりと遊んでくれて……」
お母さんは、そう言って笑った。
「いえ、僕も子供が好きですから」
「いつも公園で子供達と遊んでるものね」
私は頭が真っ白になり、足が棒になった。
テディベアの声は、大輔さんの声と同調してなかった。
「じゃあ、これで。気をつけて下さいね。夜は危ないんで」
大輔さんは、そう言って去っていった。
私は震えたままテディベアを見た。
お母さんに少し怒られたが、そんな事はどうでもよかった。
腕の中でテディベアが「また遊ぼうね」と言ったから。
翌朝、私はテディベアをミカちゃんに返す事にした。ミカちゃんは、戻ってきたテディベアと嬉しそうに話しかけていた。だけど、ミカちゃんはそのうち幼稚園に来なくなった。
ミカちゃんとテディベアはどこへ行ったのだろうか。私はその事にずっと知らないふりをした。
終




