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どうして個性を尊重するのだろうか。
高校教師である俺がそんなことを考え始めたのは、教え子が『急性覚醒症候群』にかかったときだった。
『急性覚醒症候群』。
5年ほど前にある女子高生が、魔法少女に変身して自分を苛めていた同級生をレーザーのようなもので殺した事件から発見されたこの病気は、『発症したものの感情を爆発させて、その妄想を実現する力を与えてしまう』という一見するとだれでも妄想を叶えられる、素晴らしい病気と崇められた。
ただそれが個性を暴走させただけで迷惑にしかならない、本当に病気と分かったのは最近だった。
今も鮮明に思い出される“あれ”。
俺はそんな嫌な思い出から逃げるように、この春から他県の高校に移籍したのだ。
「にしても…キツいな。」
マンションから歩いて10分程と聞いて、春の桜が散る道を歩いて学校に向かっていた俺は、
そのあまりに多い坂道に疲れはてていた。
「も…もう明日からは車にしよう!!
こんなの無理!!」
山を開拓して出来た町らしいので、坂道が多いのは当たり前。
隣の車道からどんどん車が俺を追い抜いていく。
…なんだかそれが余計に俺のテンションを下げた。
「なんかなあ、今日は一日厄日な気がす…」
何だかんだで歩き続けていた俺はふと見た電柱を見て言葉が途切れてしまった。
「……ん、なんですか?
私今首の角度を揃えるのが忙しいので見世物でもありませんし、スルーして頂けるとありがたいのですが。」
俺が見たそれは、あんまりにも“あれ”に似すぎていた。
人の首が四つ。
道路端の壁に亀裂と鮮血を付けてめり込んでいたのだ。
ただ“あれ”と違ったのは、そこに寝転がってその首の角度を直す女子高生がいなかったことくらいである。