始まりの前日 月光~Moonlight~ 【1】
始まりの日 前日の夜 路地
少年はため息をつきながら、先ほどまでコンクリートで固められた路地を歩きながら読んでいた小説を閉じた。物語を読むことは決して嫌いではない、幼い頃から少年の父は少年に本を与えた。
だから、決して読書が嫌いなわけではないのだが、先ほど閉じた小説は少年である北桜 深雪は上手く物語に馴染むことが出来なかったのだ。
つい最近出たばかりの好きな小説の続編だったのだがなぜか面白みにかけていた。
それは筆者の書き方がつまらないや変わったという問題ではなく、深雪の今の気分が小説には馴染めることが出来なかったのだ。おそらく、家に帰り、好きな小説を読み直しても今は馴染めないでいるだろう。
(失敗だったかな…)
深雪は過去に下した決断を思い浮かべながら再びため息をつく、夜になると半袖で過ごすと少し肌寒くなる秋の夜、他校は新学期が始まった9月前半である。
もちろん深雪が通っていた学校でも始業式があった。深雪は出席していない。
なぜ、出席していないかと言うと、父の仕事の都合で引越しをすることになりその準備に追われていた現状である。
深雪の父である、北桜勇希は気を使って一人暮らしでも構わないと自分のことを配慮した言葉を深雪に投げかけたのだが、引越しの準備や仕事などで倒れられては本末転倒しかねない、そう考えたので深雪は父親の配慮した言葉を否定し、一緒に引越しすることにしたのだった。
遠くの地区に引っ越したのでもちろん、自分のあとを辿って追いかけるように『転校』の単語が自分の前をチラついたのである。
新しい町、新しい学校、新しい家、全てのことに対して不安を持ったのだ、まさに『一喜一憂』という四字熟語がピッタリあっているような気がする。
先ほども本屋さんの店員に小説を渡すだけだったのだが、なぜか緊張してしまいぎこちなくなってしまった。
こんなことになるとは思わなかったと考えつつ深雪は父の仕事内容を頭の中のデータファイルを開いた。
――『猟奇的殺人事件』
各地でおこる無差別的な殺人事件である。テレビや報道でも取り上げられており、市民の中でも有名な事件。被害者は昨日殺された男性を含め、52人という驚異的な人数である。殺し方も様々で斧で首を直接切り下ろしたり、部屋に仕掛けた罠を上手く使い殺す聡明な方法、武器を使わなくとも体術で殺したりもする。そして全ての殺人現場には被害者の肉片や血液、つまり体の一部がありえない範囲でありえない量が飛んでいるのである。その現場はとても狂気に満ち溢れており、もし慣れていない人間が見たのならばその場で嘔吐するだろう。
(むしろ、それが正しい反応だろうに…)
深雪は現場は見ていないが写真を代わりに父に見せてもらった、現場に行っていないで殺人現場に耐性がある深雪ですら、体の中から嘔吐物が込み上げてきた、同時に体に『怒り』が込みあがった。その怒りはむなしく命を散らした被害者の代わりに怒っているようなものだった。父は探偵業を勤めており、この仕事を最後を見るまで見届けられることを深雪は幸福に思った。
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始まりの前日 夜 本屋
更衣室で少女が着替えていた。
着替えると言っても働いている本屋のロゴがついたエプロンと少女の名前が署名されているカードを首から提げるタイプのカード入れだけという準備にも時間のかからない着替えである。
「柚季ちゃん、お疲れ様~」
「お疲れ様です~」
柚季、それが彼女の名前である。
先輩店員と会話を交わしながら、柚季はスマホを見ていた。慣れた手つきでメールの件数を確認する。同一人物から30分ごとにメールが着ている。18:00~23:00の間で10件。
全てを読み進めるうちに少女の顔は険しくなった。
【最中で男に邪魔をされた。お前の働いている本屋の袋を持ってて、本も入ってた、今日の客にこいつ居なかったか?PM 9:31】
という内容とともに写真が添付されていた、その写真には黒髪で平凡的な顔をしているが目が大きく全体的に幼さが残る少年の顔が写っていた。
そして彼女にはこの少年に見覚えがあった。
柚季がちょうどレジをしていた頃に緊張しながら、ぎこちなく本を渡してきた少年だった。あまりにもぎこちないのでその様子がとてもおもしろく思えた柚季が少し吹出すと、さらに動きがぎこちなくなっていたのでとても印象についている。
今の時間は午後11時30分くらい、今、返信をしても無駄だろうと思い、返信する手を止めた。
(邪魔されたのは計算外だけど、まあいいか)
彼女はそんなことを考えつつ、スマホを置こうとした、が、スマホから発せられる着信音で行動していた手を止めた。