07.夜会巡り
結果的に言うとグレイスはその夜ほとんど何もしなかった。
シャーロットが言うとおり到着した会場はこじんまりとしていて、肩肘を張る必要のないところだった。
それでもグレイスをカチカチに緊張させてしまうには十分な場所だった。
妹は気楽にすればいいと言っていたが、体が勝手に強張ってしまう。
人が集まっているところに自分がいるという事実がどうしてもグレイスを硬くさせるのだ。
シャーロットが傍にいるので自然と人が集まってくる。
様々な話題が飛び交う。妹は器用に流れるように受け答えをする。
一方、グレイスが発した言葉は最低限の挨拶と自分の名前と相槌くらいしかなかった。
それもシャーロットがさりげなく話を振ってくれるから言えたことだった。
あまりにも緊張をしすぎて会った人の顔も、会話の内容もよく覚えていない。
俯いてばかりいたグレイスが覚えていることはひとつだけだった。
その屋敷の広間の床が、乳白色と琥珀色の綺麗な幾何学模様だったという事だ。
グレイスは本当に何もしなかったのだ。
そこに‘居る’だけだった。何の収穫もない。
なのに疲労感だけはたっぷりとあるのだから始末が悪い。
もう二度と行きたくないと思うグレイスに妹は言う。
「今日は久しぶりの夜会なのだから、こんなものよ。まずは第一歩を踏みだせたことが重要よ。
数をこなせば平気になるわ」
それからグレイスとシャーロットの夜会巡りが始まった。
結果は連戦連敗というよりも連戦連不戦敗だった。
グレイスは相変わらず緊張で硬くなってしまい、ほとんどしゃべる事が出来ない。誰とも目が合わせられない。
毎回ただ床の色や絨毯の模様などをじっと見つめて帰るだけだった。
しかしグレイスもただ人の集まりが苦手だからと諦めていたわけではなかった。
いまいち理由がよく分からないが、シャーロットは寄る辺の無い自分をとても心配してくれている。
使用人達にも余計な手間をかけさせている。
それらに報いるためには何か成果をあげなければいけないと思っていた。
結婚相手を見つけるためというより、ただ皆を喜ばすために進歩したいと必死だった。
すると微かだが変化がでてきた。
少しづつ俯く角度が上がっていく、少しづつ口角を上げれるようになっていく。
頭に入ってこなかった会話に耳を傾けることも徐々にできてくる。
グレイスはグレイスなりに頑張っていた。
そのご褒美なのか、予想外に嬉しい発見をした。
回数を重ね、前よりは緊張が和らいできたころに気がついた。
顔を上げて見渡せば様々な美術品に囲まれている事に。
夜会の会場になるような屋敷は由緒ある名家のものである場合が多い。あるいは商売で財を持て余した富豪の館だ。
そういう家には貴重な絵画や彫刻や調度品がたくさん飾られているのである。
夜会の間は屋敷の大部分を開放しているから、玄関や広間や廊下はもちろん、休憩用の個室なども覗けることが多い。間近で見放題なのである。
グレイスは美術品を見るのが大好きだった。特に自分でも簡単な絵を描いたりするので絵画を眺めるのは大好きだった。
人と対面して疲れたら美術鑑賞をして心を癒すという技を覚えた。
グレイスは地獄の夜会巡りが最高の美術館巡りでもあることに密かに歓喜した。
惜しむらくは夜なので場所によっては暗過ぎてはっきり見えないことだった。
昼間にも夜会をして欲しいと何度も思うグレイスだった。