◇悋気Ⅰ
またおまけ的な後日談です。無駄に長くなりましたので3回に分けて投稿しようと思います。
登場人物達があまり賢くみえない内容になってしまったので(今更なんですが)御用心下さい。
エドワードが屋敷に戻ってきた時、グレイスは玄関で出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ」
彼女の笑顔と言葉に心が安らぐ。今日の疲れが消えてゆく気がした。
「ただいま」
彼女にそう言えることにエドワードは幸せを感じる。
「これからお茶を用意してもらうのですが、ご一緒にいかがですか?」
「ああ。それはいいな」
エドワードは着替えを済まし、夫婦の部屋へ入った。
そこはグレイスが嫁いできた時に新しく作られた部屋で、二人がゆっくりと過ごす為に家具や調度品が揃えられていた。エドワードは長椅子に深く腰掛け寛いだ。テーブルに用意されたお茶の香りにほっとする。琥珀色の液体を一口飲むと温かさが体にじんわりと沁み込んできた。
「今日の昼食会はいかがでしたか?」
隣に座ったグレイスが尋ねてきた。
エドワードは先程まで領民達との昼食会に出席していた。
ラザフォード家の領地は広大だ。領地を複数に分け地域毎に領民の代表者をおきある程度の自治的活動を許している。地域同士の親睦を図る為に各代表者達は持ち回りで定期的に会を開いていた。その会の一部に領主も招待されることが時折あった。本来なら当主である父親のチャールズが行くべきところなのだが、最近は殆どエドワードが代理で出席している。現当主は息子に「いずれ家督を継ぐ身なのだから後学の為に行ってこい」と言うのだが、単に自分が行くのが面倒臭いだけなのは明らかだった。実際、会への参加はなかなか面倒で、エドワードも出来れば遠慮したい類いのものだった。領主という立場だからと気楽に座るだけでいたら痛い目を見る。何かと気を張る必要があって厄介なのだ。気を付ける事は多々あった。領民の代表者達は大抵が彼よりずっと年配者なのでまだ若いエドワードは嘗められないようにしなくてはいけない。逆に低姿勢でこられても、次期領主に取り入ろうとする下心もあるので用心しなくてはいけない。領民同士の軋轢もあるので揉め事にならないようにどちらにも肩入れせずにそれとなく取り成す必要もある。
それなりに楽しい時もあるのだが、基本的に気の抜けないものだった。
とは言っても、領地や領民たちの近況を知るいい機会であることは間違いがないので、エドワードは出席することに十分に意義は感じている。
今回の昼食会での色々な出来事をかいつまんで話す。気疲れからか、グレイスが優しく相槌を打ってくれるからか、話が少し愚痴っぽくなってしまったのは否めない。
「今日は、いつもよりも疲れたよ」
つい本音が漏れた。今日はいつもとは違う種類の精神の消耗があったのだ。
今回はエドワードが結婚して初めての食事会だったので皆が祝ってくれた。そのこと自体は大変有り難かったのだが、酒が振る舞われたのが良くなかった。エドワードも威張るつもりは毛頭ないので無礼講になることに咎めはしなかった。その結果、下世話な質問や夫婦についての要らぬ助言が新婚のエドワードに浴びせらる事になったのだ。仕舞いには一番の年長者が泥酔し頼んでもいないのにこの上なく怪しい子作りの秘訣を事こまかに伝授し始める始末で、エドワードは耳を塞ぎたくなってしまった。帰りに「次は是非奥様と」と冗談半分で言われたので聞こえない振りをしてすぐ馬車に乗り込んだ。
あんな話グレイスが聞いたら卒倒してしまうかもしれないな。エドワードは改めて思い返して深いため息をついた。
「まあ、本当にお疲れのようですね。少しお休みになられますか?」
彼を気遣う言葉は耳に柔らかく響いてくる。疲れたといっても日頃重労働をしている領民たちに比べれば何ともないことだった。大丈夫だと言いかけて、エドワードは口を噤んだ。とてもいい休息の方法を思いついたのだ。
「ああ。そうすることにしよう」
「では、ご用意を…」
「しなくて構わない」
「え?」
エドワードは立ち上がろうとするグレイスを押し止め、自分は体を傾け座っている彼女の腿の上に頭を乗せた。
「!」
グレイスは固まった。
「……あ、あの…ちゃんと横になられた方が良いのでは?」
「いや、この方が疲れが取れると思う」
実際は頭が重くならないように体に力を入れていたのでグレイスの言う通りなのだが、精神的な疲れを癒すには最適な方法なのだ。
あたふたしているグレイスを下から眺めるのは格別だった。彼女は両手を宙に彷徨わせている。どこに手を置けばいいのか分からないのだろう。
「…め、目は閉じた方がいいですよ?」
暗にこっちを見るなと言いたいのだろうが、そんな勿体無い事は出来ないので聞き流していると、グレイスは両手をエドワードの目の上にそっと乗せた。
「く、暗い方が眠りやすいでしょう?」
目隠しをされてしまった。彼女の顔が見えなくなって残念に思ったが、掌の温かさが気持ち良くて目を閉じた。本当に眠るつもりはなかったのに、やはり体も疲れていたのか眠気がさしてきて自然と体中の力が抜けていった。
とても心地がいい。
彼女がエドワードの髪を軽く触っているのが分かる。
穏やかで静かな二人だけの時間が流れていた。
その静寂を破るように部屋の扉が叩かれた。
突然の音にグレイスが一瞬身を震わせた。
微睡んでいたエドワードは瞬間目を開けさっと身を起こし、少し乱れた髪を撫でつける。
エドワードは嫌な予感がした。ノックの音が普段侍女達がするものと違いかなり粗雑な音に聞こえたからだ。
ノックの返答を躊躇っていると勝手に扉は開けられ人影が動く。
「よっ久しぶり」
何の音沙汰も無く数ヶ月行方不明だった画家がそこに立っていた。
エドワードとグレイスはしばし呆然とした。
「あ…れ?なんか…お邪魔だった?」
ルイスはそう言いながらも迷いなく部屋に足を踏み入れた。
エドワードはああその通りだと返してやりたかったが、グレイスが「い、いえ!全然!」とはっきり言ったので言葉を飲み込んだ。ルイスは彼女の言葉を本気にしたわけでもないだろうにそのままづかづかと入ってきて向かいのソファーの腰を掛けた。
エドワードの心の中に最高に上質な眠りを妨害されたことへの怒りがふつふつと湧いてきた。
「長い修業の旅を終え只今帰って参りました」
「何の用だ?」
「冷たいな。おかえりの言葉もないのか?」
グレイスがはっとなり慌てて迎えの挨拶を言った。
「あっ…ルイス様、おかえりなさいませ」
その言葉にエドワードの顔が曇る。
「グレイスは優しいねー。あ、もう奥様って呼んだ方がいいのか」
「いえ、名前で構いませんよ」
「分かった。そうさせてもらう。いやあ、本当にこの屋敷に来てくれたんだなぁ。良かったな、エドワード。俺は自分のことのように嬉しいよ」
「結婚式に欠席しておいてそんなことがよく言えるな」
「あー、それは…ごめん。なんか、またどこかに行きたくなっちゃったんだ」
常に気儘な絵描きは昔から発作的に旅に出ることがよくあった。はたから見ればただの放浪なのだが、本人曰く「画業をより深く極める為に様々な土地で感性を磨き見識を広める必要不可欠な修業の旅」なのだそうだ。急に屋敷から居なくなったと思ったら、数週間後ふらっと戻ってくることが多々あった。
今回はいつもよりも長い旅だった。ある日簡単な言付けだけを残し突然居なくなった。ルイスは行方不明の前科が多くあったし、どこでも暮らせる適応力を持った男なのでラザフォード家の人々は誰も心配はしていなかったが、数ヶ月何の音沙汰も無くエドワードの大切な式を欠席したことには皆が呆れていた。
「ええと…ご結婚おめでとうございます」
「言うのが遅い」
「仕方がないじゃないか。俺にもたまには気晴らしが必要だ」
「毎日が気晴らしの様な生活をしているだろう」
「お前、今日は特別機嫌悪いな。顔が怖いぞ。どうしたんだ?グレイス、夫婦生活が上手くいっていないのかい?」
「ええっ。いいえ!そんなことはありません」
「そうかー。仲良くやってんだー。いいねー、新婚さんは」
「何の用なんだ?」
「本当に冷たいな。せっかく土産をわざわざ持って来てやったのに何だよ」
「土産?今までそんなもの持って帰ったことないだろう」
「当たり前だろ。お前にやっても甲斐が無い。グレイスの為に用意したんだ。はい。これ」
ルイスは手にしていた小さな木箱をグレイスに差し出した。
「わ、私に?よろしいのですか?」
「うん。もちろん」
「お気遣い有難うございます。今ここで開けてもよろしいですか?」
「どうぞ」
その箱には木製の小鳥の置き物が入っていた。四角い台座の上に小鳥がちょこんと乗っている。
「まぁ…可愛らしい!」
「だろう?ここをこうやると面白いよ」
ルイスはそう言って台座の側面の小さなつまみを横に動かした。
するとそこから音楽が流れてきた。澄んだ音色に合わせて嘴と羽が僅かに動く。
「小鳥が歌っているみたいだろ?」
「ええ。とても上手です」
「気に入った?」
「はい。とても。有難うございます」
小鳥を掌に乗せたグレイスは玩具を貰った子供のように喜んでいた。
「エドワード様、とてもいい物を頂きました」
グレイスはそう言って笑顔をエドワードに向けた。
その可愛い小鳥は色の違う木材を器用に組み合わせて作られていた。これ程小さいのに表情があり仕掛けまでも施してある。価値のあるものに間違いはないがエドワードには子供の玩具にも思える。このような贈り物を選ぶことは自分には出来ない気がする。
「良かったな」
エドワードは何かすっきりとしない心の内を気付かれないようにグレイスに微笑んだ。
「この小鳥、旅先で仲良くなった職人が作ったものなんだ。結構手の込んだ細工がしてあるだろう?かなりの爺さんなのに何でも器用に作っちゃうんだよ。これグレイスが好きなんじゃないかと思って買おうとしたんだけど最初は売り物じゃないからって断られたんだよ。でも俺が描いたスケッチ見たら、爺さん感動しちゃって物々交換で譲ってくれたんだよね。いやぁ、芸術をちゃんと理解出来るいい爺さんだったなぁ」
ルイスの自慢話にエドワードは閉口したがグレイスは感心しているようだった。
それがまた少し気に食わない。
「なんだお前今回は旅先でもちゃんと絵は描いてたんだな」
「当たり前だろ。修業の旅なんだから」
「お前、いつもそう言いながらただふらふら旅をして帰ってくるだけじゃないか。スケッチなんか殆ど描いてなかっただろう」
「今までの旅は感性を磨くのが目的だったんだよ。今回は心の赴くままに描きまくってきた。かなりの枚数になったよ。重くて持って帰るのも苦労したくらいだ」
「まぁ、そんなに?」
「うん。何だったら見せようか?」
「えっ、よろしいのですか?」
「いいよ。アトリエにあるからおいで。グレイスなら大歓迎だ」
グレイスを連れて行こうとしたルイスの前にエドワードが回り込んだ。
「僕も見せてもらうことにしよう」
「え、お前も来るの?」
「何か不都合でもあるのか?」
「…いや、別に」
「なら、さっさと行くぞ」
ルイスはアトリエに着くと、作業机を指差した。
「あれが今回の旅行で描いてきたスケッチ全部だよ。適当に見てくれて構わない」
大きな机の上には何枚もの紙が乱雑に置かれていた。積み重なってこんもりとした山のようになっている。
近付いて眺めると街並みや動物、花、山、湖など様々なものが描かれていた。
長期の旅行だったとはいえ相当な枚数だった。おまけに一枚一枚の完成度も高い。
「本当に修業の旅だったんだな」
エドワードはそう呟いた。いつもはルイスの突発的な放浪の旅に呆れるだけだったが、彼が収穫してきたものを目にしてエドワードも流石に認めざるを得なかった。やはり彼の画才は本物だ。
グレイスも隣で感嘆の声を上げている。
ルイスは気を良くしたのかスケッチを見ながら旅の思い出を語り始めた。
ルイスは話上手だった。この街では酒場で変な踊りを踊らされたとか、この森では急に雨に降られてびしょ濡れになったとか、他愛もない話をおもしろおかしく話す。
ふいにグレイスが「ルイス様のように描けたら楽しいのでしょうね」と言った。
エドワードも同感だったが口には出せなかった。
「うん。楽しいよ。良かったら絵の描き方を教えてあげようか?」
ルイスが事も無げにさらっと言った。
「え?」
「え?」
エドワードとグレイスは同時に声を上げた。二人とも驚いた様子だったが表情には差があった。
「お、教えていただけるのですか?」
「うん、いいよ。人にちゃんと教えた事はないけど、俺がどうやって描いてるのかくらいは伝えられるから。理論的なことは無理。そうだな…静物画とか助言しながら一緒に描くとか…そんなんでいいんだったらいつでもグレイスの絵の先生になってあげるよ。段階を踏んで少しずつ描いていけば結構本格的な画を完成させられると思う。道具もここなら全部揃ってるから貸してあげられるしね」
「で、でもお仕事に差し障りはありませんか?」
「そんな、まさか。それくらい大丈夫だよ。却って気分転換になって丁度いいと思う。なぁ、エドワード?」
ルイスがエドワードに話を振った。グレイスがエドワードの顔を窺っている。
背中を押してほしいのだろう。反対出来る筈がなかった。
「…グレイス、遠慮することはないと思う。教えて貰えばいい」
グレイスの口元が綻んだ。
「宜しくお願い致します」
「じゃあさっそく来週から始めよう」
ルイスはやたら張り切っていて、してやったりという顔をエドワードに向けた。
むっとしたエドワードはグレイスに気付かれないように彼女の背後からルイスを睨んだ。
エドワードの心の中には先程からもやもやした何かが居座っていて、ずっとすっきりしないままだった。
読んで下さってどうも有難うございます。続きます。




