◇甘い朝
バレンタイン●ーにちなんでチョコを食べる話です。嘘です。ただの結婚後の一幕です。おまけ的な内容です。最終話の前に大部分を書いていたんですが需要ないと思って捨て置くつもりでした。
が、この話予想外に多くの方に読んで頂けているよう(感謝です!)なので調子に乗って投稿することにしました。
寝室が少しづつ明るくなってきた。
グレイスが目を開けると見慣れない空間が広がっていた。起き抜けのぼんやりとした頭でここはどこかと悩む。
何故だか身動きがとれない。大きい毛布が体に纏わりついているからだ。この毛布、やけに温かくて固い…。
……。
数秒かかって頭の中が一気に覚醒した。
ここは自宅ではない。
いや違う、ここはれっきとした自分の家なのだ。移り住んできたばかりでその実感が湧いていないだけだ。
毎朝目覚める度にびっくりしている自分に呆れてしまう。
自分は何においても慣れるのに時間がかかる。
「奥様」という言葉にもなかなか慣れない。侍女達に呼び掛けられてもすぐに返事が出来ず何度困らせたことだろう。
とりあえず深呼吸をしてから耳を澄まして後ろの様子を探る。
背後からはエドワードの規則正しい呼吸音が聞こえてきた。彼はまだ眠りの中にいるらしい。グレイスはほっとした。
エドワードはグレイスを後ろから抱きかかえるようにして眠っていた。彼はこの体勢が好きなようで目覚めた時はいつもこうなっている。
心臓がうるさい。気を逸らさなければいけない。アダムが人形を抱いて寝る姿を一生懸命思い浮かべる。自分は人形だ。
少し心が落ち着ついた。
また深呼吸をしてから、彼を起こしてしまわないように慎重にゆっくりと体の向きを変えた。
エドワードと向かい合う形になる。二人の鼻頭が触れそうになる程顔が近づいている。
とてもいい眺めだった。
この一週間こうやって彼の寝顔を間近で愛でるのが彼女の朝の日課になっていた。
これが彼の顔をゆっくり鑑賞、観察ができる唯一の時間だった。
自分が早起きな体質で本当に良かったと心から思う。この日課を実行するには彼より早く目覚めることが何よりも重要だからだ。
彼が目を開けていたらこんなことは到底できない。
彼を見ることは大好きなのだが、見られるのはとても困る。
特に至近距離でこの愛しい人に見つめられると激しく動揺してしまうのだ。
彼の目元にかかる前髪をそっと掻きあげる。彼の睫毛は意外と長い。これは一週間前に初めて知った事だ。無防備な寝顔はいつもより少し幼く見える。
「…かわいい」
無意識に声に出していた。
エドワードの瞼が動いた。起してしまったのかもしれない。
グレイスは慌てて目を閉じ寝たふりをする。
しばらくそのまま様子を窺っていたが、彼は微動だにしない。
まだ眠っているのだなと安心したところに、彼の手が動きだした。大きな手はグレイスの髪を梳き始める。完全に彼は起きていてしかもこっちを見ている。
立場が逆転した。ここで目を開けてもどんな顔をすればいいか分からないし、視線から逃れる為に自然に寝返りをうつような芸当はできない。
鼓動が速くなる。必死で寝たふりを続けていると前髪を掻き上げられて後、額に唇の感触があった。思わず目を見開いてしまったが、それと同時に包み込むようにまた抱きしめられたので気付かれずに済んだ。
彼の肌の温もりの所為で心臓の音が鳴りやまない。気にしないようにしていたのにもう駄目だ。聞こえてしまいそうだ。それでもどうすることも出来ずに固まっているとしばらくして耳元からまた寝息が聞こえ始めた。
このままでは心臓が持たない。朝から体に悪い。
ため息をついた。
いつか慣れる日がくるのだろうか。
もう彼を鑑賞するのは諦めた。彼が目を覚ます前に寝台から離れて一旦落ち着こう。
細心の注意を払い彼の腕の中から抜け出だした。半身をゆっくり起して寝台の端を目指す。三人でも四人でも十分に横になれそうな大きな寝台は降りるのに苦労するところが難点だった。
あともう少しで脱出という時にグレイスは動けなくなった。エドワードがいつの間にか上半身を起こして彼女の腕を掴んでいたからだ。
また失敗してしまったのかとグレイスはがっかりした。絹の寝具はとても滑らかで、彼が引っ張ると何の抵抗も出来ないままに元の位置に戻される。
この一週間毎朝似たようなことを繰り返しているので相手も手慣れたものだった。
「こんな早くにどこへ?」
エドワードは寝起きの割にしっかりとした声を出していた。
寝台に引き戻されて仰向けになったグレイスをエドワードは上から見下ろした。
「…お、おはようございます」
気を取り直して取り敢えず朝の挨拶を述べる。目が合わせられない。
「朝の支度をしようと思いまして…」
「まだ随分と早い」
「…でも、昨日お義父様から朝食も一緒にとお誘いを受けたのをお忘れですか?早めに着替えておかないと」
そうだとしても早過ぎる時間ではあったが、咄嗟に思いついた理由を言ってみた。
「父の言うことは真に受けなくていいんだ。あの人と朝食なんて今まで碌にしたことがないよ。あの人は僕達の邪魔がしたいだけなんだ。放っておけばいい。今朝も食事は寝室に持ってくるようにと言ってある」
「そんな邪魔だなんて…」
どうもエドワードは父親に対して過剰に手厳しいところがある。グレイスはどうしたものかと困った。
「新婚夫婦の朝に割入ろうなんて邪魔以外の何物でもないじゃないか」
エドワードは父が自分達夫婦をからかいたがっていることを知っていた。
チャールズは普段家を空けることも多いのに最近は屋敷にずっと居て朝から晩までうろちょろしている。夕食だって前までは外で食べることも多かったのにこの一週間しっかり屋敷で共に食べているのだ。
夫婦で旅行にでも行けばよかったのかもしれない。いや今からでも遅くはないか…。
しばらくは出来る限り父には関わらないようにしたい。
「まだ寝ていればいい」
「…でも目が覚めてしまったので…」
グレイスが離れようとするのでエドワードが引き寄せる。彼女は夫から顔を背けた。赤くなった耳が少し乱れた髪の中から覗いていた。
「そんなに僕と離れたい?」
「ま、まさか」
「じゃあ、ここにいればいいじゃないか。そんなに傍にいるのが嫌?」
声が沈んでいたのでグレイスはちらっとエドワードの方を見る。悲しそうな顔をしていた。
「いいえ!」
(あぁ、そうじゃなくて…)
エドワードに誤解されてしまう。どうしよう。
「……ですから…その…前にも申しましたように…」
エドワードの傍に居るのが嫌なはずがない。触れてくれるのも嬉しいし出来ることならこちらから抱き付きたい程だ。
でもあまり接近し過ぎるとドキドキしてしまって落ち着かなくなる。みっともない自分をあまり彼に見せたくない。
婚約して徐々に距離が縮まって流石にそういうことにも少しは慣れたつもりだった。
結婚したらより一層自然に彼と仲良くできると期待していた。
その考えは甘かった。
自分の性格はどうしてこうも面倒くさいのだろうか。
結婚して繋がりは確かに深まった。
ちゃんと正真正銘の夫婦となれた。
そのことでかえって傍にいることが前以上に恥ずかしくなってしまったのだ。
密着していると何だかいろいろと思い出してしまう。そういう自分も恥ずかしい。一人であたふたしてしまう。
その症状が治まるまではなるべく気付かれないように距離を置くようにしたのだが、すぐにばれてしまった。
誤解されたくなくて、自分の厄介な性分をこの前、夫に説明したばかりだった。直接的な言葉は使えず遠回しな表現にはなってしまったが、それでもグレイスにとっては相当に恥ずかしく勇気を振り絞ってのことだった。その健闘も虚しくどうやら彼にはまだ理解して貰えてないらしい。
グレイスは焦った。理由もなく距離を置くなんて不愉快になるのは当然だ。誤解を解かなくてはいけない。もう恥ずかしがってはいられない。
意を決して今度ははっきりとした言葉で説明をしようとした途端、エドワードは顔を近づけてきて右の鎖骨に唇を寄せた。
「きゃあ」
思わず変な声が出た。恥ずかしい。これだから近過ぎるのは駄目なのだ。
出はなをくじかれてしまって、しどろもどろになるグレイスにエドワードはお構いなしのよう様子だ。
「…あの、わ、私の話…聞いています…か?」
「聞いているよ。続けて」
「…ですから…」
彼の手が腰に回る。
「…あの…何を…」
「気にしないでいいよ」
その声はとても明るいものだった。
「…でも」
何かがおかしい。恐る恐るエドワードの顔を覗いてみる。
その顔はつい先程とは打って変わって何だかとても楽しそうだった。
「慣れてしまえばいいんだよ。僕も協力しよう」
にっこりと笑顔を向けられてグレイスが漸く彼の思惑に気付いた時には口を塞がれていた。
朝食までは時間がたっぷりとあった。
新妻は寝台からまだまだ抜け出せそうにない。
読んで下さって有難うございました。




