40.別れ
本日(2月12日)2回目の投稿です。
目を閉じるとエドワードの姿が浮かぶ。彼が微笑みかけているのは見知らぬ美しい女性。
胸の真ん中を激しい痛みが襲う。
グレイスは目を開けて寝台から起き上がり机へと向かった。
抽斗から便箋を取り出しペン先にインクを付ける。
取り乱さずに彼の前で告げることはもう出来そうにもない。先延ばしにしていたことに激しく後悔をした。
手紙で伝えるしか方法がない。
夜通し考えた文面を書こうとするが手が動かない。
インクが乾いてしまう程の時間が過ぎた。
思いきって書き始めるが何度も何度も書き直す。
感謝とお礼と、別れの言葉を簡単に書いた。それが精一杯だった。
◇◇◇
(これでいい。これでよかったんだ)
グレイスは自分に言い聞かせるように何度も頭の中でそう繰り返した。
空を見上げるとまるで自分の気持ちを代弁してくれているかのように暗く重い雲が一面に広がっている。
家を出てからどれくらいの時間がたったのかも分からない。いつものように家の中で籠もっていたら余計なことばかり考えてしまいそうで衝動的に外へ出た。体を動かせば無心になれるような気がして当てもなく歩いた。
気がつくとかつて何度も通った道を辿っていた。その道の先には小高い山があって見晴らしの良い場所がある。そこは少し遠かったが家族みんなのお気に入りの場所で天気のいい日にはよく行っていた。足を悪くしてからは訪れてはいなかったが、体が行き方を覚えていたらしく自然とその場所を目指していた。着いたところでこの悪天候ではいい景色は望めないだろう。けれど引き返す気にはなれずグレイスはただ歩みを進めていた。
子供の時でさえあまり苦にならなかった道のりが今は一歩一歩が重く辛い。それが片足の不自由さの所為だけでなく気持ちの問題なのはよく分かっていた。
(これでいい。これでよかったんだ)
全てを振り切るように歩き続けた。
今朝エドワードに手紙を送った。
恋人役を演じてくれたことへの感謝とお礼。
エドワードは十分過ぎる程に役目を果たしてくれた。妹は姉の身を案じる必要もなくなった。シャーロットの結婚式も目前だ。関係を終わらせるにはいい頃合だ。だから今幕を下ろしましょう。
偽りの関係だとしても少しでも永く彼との繋がりを持っていたかった。だからせめて妹の結婚式が済むま
では傍にいる理由が欲しかった。けれどもう続けることは出来ないと思った。他でもないエドワードの父チャールズが自分達の仲を勘違いしている。終わりにしなくてはいけない。
エドワードと別れたことは周囲にはシャーロットの結婚式後に伝えることにした。今言ってしまえば式を控えたシャーロットの幸せに水を差すことになってしまう。
エドワードはもう手紙を読んだのだろうか。
屋敷には届いているだろうが、読むのは後回しにされているかもしれない。この期に及んで読まないでほしいと思う自分がいる。
彼はどう思うだろうか。
少しは寂しいと思ってくれるだろうか。そうであってほしい。
ひとつのお芝居が終了して役を十分に演じ切れたことにほっとするだけだろうか。
彼ほどの素敵な人にはきっとすぐに素晴らしい伴侶が現れるだろう。
彼の未来の邪魔をしてはいけない。彼を想うなら幸せを祈ろう。
これは当然の結末だった。初めから分かっていた事だった。
短い間だったとしても過分な待遇を受けることが出来て本当に幸運だったのだ。それを喜ぶべきだった。
頭では分かっているのに、彼との繋がりを断ってしまったことがグレイスには思った以上に辛かった。
二人の関係に何も期待していなかったはずなのに心の中は悲しさと寂しさで溢れかえっている。
何も考えないのが一番いい。グレイスはただひたすら歩いた。
ようやく目的の懐かしい場所に着いた時には、重い雲が更に増え薄暗くなっていた。
そこは小高い山の斜面の途中にあり見晴らし台のようになっていた。天気のいい日には遠くまで景色が見渡せる。今は暗い景色が広がるだけで近くの木々でさえよく見えない。
だがグレイスには景色などどうでもよかった。ただ宙を見つめていた。
すると空から白いものがはらはらと落ちてきた。朝からの寒さが雪を運んできたようだ。
辺り一面が少しずつ白くなっていく。
「くしゅん」グレイスの背後から音がした。
振り向くと斜め後ろの少し離れた木の陰に弟が口を押さえて立っていた。
グレイスは目を見開いた。
「アダム!」
「見つかっちゃったぁ」
アダムはかくれんぼをしていたかのような台詞を言った後、グレイスの傍まで駆け寄ってきた。
彼の思わぬ出現でグレイスは我に返る。この小さい弟は寒空の下でずっと後を付いてきたというのか。全く気付かなかった。気付いていたら直ぐに帰るように言っていたのに。
屈んで弟と目線を合わせる。
「どうしてついてきたの?」
アダムは首元に抱きついてきた。
「だってグレイスが悲しそうだったんだもん。悲しい時は誰かが傍にいた方がいいんでしょう?」
アダムは腕に力を込めてグレイスをぎゅっと抱きしめる。
弟が姉の異変を察知して気に懸けてくれたことに驚いた。
「グレイス、あのね安心して。内緒だけどグレイスは幸せになれるから。僕ちゃんとお願いしといたから」
「お願い?」
「うん。やっぱり探しても探しても流れ星は見つからなかったから、ふつうのお星様にお願いしといたの。動かないお星様だって同じお星様なんだからきっと少しはお願いきいてもらえるよね?グレイスも、お父様もお母様も、メアリーもシャーロットも僕もみーんな幸せになりますようにってお星様にゆっといたよ。だからみんな大丈夫だよ」
雪が降る程寒いのにこの小さな体はとても温かい。涙が零れ落ちた。
「…そうなのね、なら大丈夫ね。アダムありがとう」
グレイスもアダムをぎゅっと抱きしめる。
弟の心強さが頼もしかった。溺れていた心を救い出してくれた。胸がいっぱいになり、涙を拭いて立ち上がる。
「アダムのお陰でとっても元気が出てきたわ」
「本当?」
「ええ」
にっこりと笑うことが出来た。
「さぁ、雪が降ってきたし家に帰りましょう」
「え、せっかく来たのに?やだよ。雪で遊んで行こうよ」
アダムは姉の笑顔に安心した途端にいつもの悪戯っ子に戻っていた。
「駄目よ。風も少し出てきたしこれ以上ここに居たら風邪をひいてしまうわ」
雪の量がだんだん増えているような気がした。積ってきたら大変だ。グレイスは自分のマフラーを弟の首に巻き付けた。
「ちょっとだけここで遊ぼうよ」
言い出したら聞かないアダムは辺りを駆け回りだした。地面に自分の足跡が付くのが嬉しいらしい。
グレイスは足元に気を付けるように注意した。すぐ近くには急な斜面があり少し危険だ。この雪では尚更だった。
言う事を聞かずにはしゃぎ続けるアダムを力づくで制止しようした時だった。アダムが足を滑らせた。
そのままいけば山の斜面を滑り落ちてしまう。グレイスは咄嗟に弟を掴み抱え込む。しかし足の踏ん張りが利かなかった。あっ、と思った瞬間に急な斜面に身を乗り出してしまう。
気が付くと二人は斜面の途中の大きな岩の上に引っかかっていた。
怖かったのかアダムが大声で泣き出した。
「アダム!泣かないで。怪我は無い?」
グレイスが必死で庇ったおかげかアダムは見たところ少しすり傷を作っただけで済んだようだ。グレイスは泣きじゃくる弟を宥めて落ち着かせた。
辺りには斜面が広がっている。帰るにはまず元いた場所へ戻らなければいけない。それほど下に落ちたわけではなかったので、アダムをまず上がらせる。グレイスが下から支えてやると身軽なアダムはなんとか上に登ることが出来た。続いてグレイスも上がろうするが足が上手く動いてくれなかった。左手も落ちた時に少し痛めてしまったようで思うように動かない。
自力では登れない。
そう気付いた時、ただでさえ寒い空気が一瞬でとてつもなく冷たくなった。
雪と風が一層激しくなってきていた。このままここに居れば二人とも凍えてしまう。
(あぁなんでこんな日に弟がついてくるのも気付かずにこんな所にに来てしまったのだろう)
グレイスは激しく後悔をしたが、起こってしまったことは仕方がなかった。
覚悟を決め上から不安そうに覗く弟に出来る限り明るい声で話しかけた。
「アダム、これから言うことをよく聞いて。私は一人では上がれないの。だから助けを呼んで来て欲しいの。お家に戻って誰かにここに居ることを伝えてきて。お願いできる?」
「ぼ、僕一人で行くの?」
「そうよ、道は分かるでしょう?」
「う…うん」
「いい子ね。慌てないで行くのよ。あなたは賢いからきっと出来るわ」
「…うん」
「私の為に頑張って」
「うん。…頑張る」
「転ばないように気をつけるのよ」
「待ってて、グレイス。僕行ってくる!」
アダムは来た道を戻っていく。
しばらくすると吹雪いてきた。崖の途中に残されたグレイスは心細くて堪らない。先程まで感じなかったが体の所々が急に痛くなってきた。
彼女は身を屈め弟が無事に家にたどり着けるように祈り始めた。
読んで下さって有難うございます。




