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38.恩返し

ただ民家の子牛を見に行くだけだと何度も念を押したのにもかかわらず、エドワードは本当についてきた。

立派な名家の御子息様が庶民の牛小屋を訪れることにその場の一同が眉間に皺を寄せたが、本人が希望するのを無下には出来ない。シャーロットは迷っていたが家に残ることにしたので、結局グレイスとアダムとエドワードの三人でのお出掛けとなった。



リラの実家は穀物や野菜、家畜を育てている。収穫した物を一部ブラウン家に卸しているので付き合いは深い。

三人が到着した時、リラの両親や弟妹達は見慣れない紳士を目にして慌てていたが、エドワードの偉ぶらない態度に気を許して快く迎えてくれた。


産まれたての子牛は円らな黒い瞳が大きくて噂通り本当に可愛らしかった。三人とも来て良かったと満足した。そこには牛だけでなく馬や鶏、犬などもいたので動物が大好きなアダムは始終大喜びだった。

料理上手なリラの母親は特製のケーキまで御馳走してくれた。食べ終えると、リラの弟妹達が犬を連れて散歩に行くというので例のごとくアダムが行きたがり、少しだけならとグレイス達もついて行くことにした。


その日は晴れていて絶好の散歩日和だった。グレイスとエドワードは前を行くアダム達を見守りながらのどかな田舎道をゆっくりと歩く。ただ歩いているだけなのに、冬の柔らかな日差しの所為かじんわりと心まで暖かい。


エドワードは近く木の柵があるのを見つけグレイスと並んで腰かけた。

アダム達は遠くの方で犬と駆けまわっている。

どこにでもある風景だったが広々とした景色が気持ちが良い。

穏やかで平和な時間が流れていた。



グレイスは絵の為にわざわざ足を運んでくれたエドワードに改めてお礼を言った。

彼が絵の感想を尋ねてくる。

「絵の中にいるのは自分だと分かるんですけど別人のような気もしてなんだか不思議でした。あんな風に素敵に描いて頂けてとても嬉しかったです。私やっぱりルイス様の絵が好きです。ルイス様は流石です。一流の人の手にかかればどんなものでも芸術に変わってしまうのですね。まるで魔法のようですわ。まさか本当に頂けるなんて思いませんでした。父も母も家宝にすると申しておりました。どうお礼を言ったらよいのか分からないくらいです。」

グレイスは正直な気持ちを言った。


「確かに彼の腕はいいですが・・・貴女自身に魅力があるからこそ、絵に表現することが出来るんですよ。」

突然の自分への褒め言葉にグレイスの頬が赤く染まる。

「そ、そうなのでしょうか・・・。きっとルイス様は良いところを引き出すのがお上手なのですね。」

エドワードは相槌を打ってくれなかった。それどころか不服そうな顔をしている。


なんとなく気まずい空気にグレイスは何かを言わなければと慌ててしまう。

「私であんなに良い作品になるのですから、ルイス様がシャーロットを描けば想像もつかないほどに立派な肖像画になるのでしょうね。」

今度はすぐに同意をしてもらえるだろうとそう言ったが、グレイスの期待に反してエドワードは無言だった。

「・・・。妹さんも確かに素敵な人ですが、貴女だって十分素敵です。グレイス、貴女は自分への評価が低過ぎますよ。」

責めるような物言いにグレイスは戸惑った。

エドワードがおかしい。彼の様子はいつもと少し違うような気がする。

グレイスは咄嗟に謝ってしまう。

「す…すみません。」

「…いや、別に怒っているわけではないのです。謝らないで下さい。」

エドワードはグレイスから視線を逸らし黙り込む。


今の彼にはいつもの落ち着きがなく、苛立ちさえ感じられる。

今までになかった彼の態度にグレイスは困惑し、自分が知らずに不愉快なことをしたのではと必死に思い巡らすが何も見つからない。



「・・・貴女のお陰で僕は救われた。」

思ってもみない言葉にグレイスは自分の耳を疑った。


エドワードが懐中に手を入れ何かを徐に取り出す。それはグレイスが贈ったハンカチだった。

「これのお陰で、父と母のことを前よりも知ることができました。」

エドワードは手にしたハンカチを見つめ微笑んだ。


「この刺繍は温室の花なのですね。僕はあそこの花の存在は知っていたけれど全く興味がなかった。何故屋外で咲かないものをわざわざ育てているのか気にもしていなかった。珍しい花だし派手な見た目が気に入った父の道楽のひとつでやっているのだと勝手に思っていたんです。…でもそれは間違いだった。

最近になってやっとそれが分かりました。自分でいろいろ調べたんです。この贈り物がいい切っ掛けになってくれました。家の者に無理矢理聞きだしましたよ。温室の管理人とかね。貴方も会ったらしいですね。彼は本当に長い間うちで働いてくれているので僕以上に我が家の事情に詳しいんです。

そうしたら僕の知らない父と母のことも少し分かったんです。

あの温室の花は全て南国のもので、母の大好きな花だった。南国で生まれ育った母にとって一番身近で慣れ親しんだ花なんです。」

彼は花の刺繍にそっと指で触れた。


「お恥ずかしい話ですが僕は母の故郷が異国だということも知らなかった。母が亡くなったのは幼い頃だったし、彼女はこの国から南国への移民の娘だったそうで外見からも分からなかったので仕方ないのかもしれないけれど、息子なのに…母のことを何も知らなかったんです。・・・父は教えてくれようともしませんでした。

母のことを聞こうにも聞けなかったんです。父は母が亡くなってあまり日が経たない内に別の人を見つけてきたから。母は優しい人だったというぼんやりとした記憶を頼りに一人で勝手に想像するだけでした。


僕はずっと…父に腹を立てていた。母をすぐに忘れてしまった父にね。しかもあの人は取り付く島もないくらいに次々に相手を変えた。僕はそういう父に嫌気がさして距離を取るようになった。だから何も見えてなかった。」


エドワードは少し笑って空を見上げた。冬の澄んだ空気が空を一層青く見せている。


「あの温室は…父が母の為に作らせたものだったんです。母の好きな花が育つように特別に時間をかけて。母が好きだと僕が思っていた普通の花は、父が若い頃好きだった花らしいです。父が好んでいた花だったから母も好きになった。だから昔は屋敷の庭で沢山咲いていた。思ったよりずっと仲が良かったみたいです。

父が若い頃に描いた母の絵も初めて見ました。あの人にも案外純粋な所があるんだと思って驚きました。少しね…父を見直しましたよ。

本当に今更なんですが、父と母がお互いに想いあっていたことが分かってなんだか安心したんです。・・・。やはり嬉しかった。」


グレイスはエドワードの隣でじっと耳を傾けていた。

彼はハンカチを手にしたまま、彼女の方に顔を向けて微笑んだ。


「貴女がこれを贈ってくれなかったら、気付けなかったかもしれません。これは僕にとって特別な物になりました。」


「・・・私・・・私はエドワード様のお役に立てたのでしょうか?」


「ええ。感謝しています。」


「本当に?」


「勿論。」


グレイスの心は言いようのない幸福感で満ち足りた。

これまで彼がしてくれたことへの恩返しが僅かでも出来たのだ。これ程嬉しいことはない。

グレイスは無意識に「・・・良かった。」と呟いた。心からそう思った。



「こんなに身内のことを話すのは初めてです。僕の家族のことはあまりいい話にならないから誰にも言えませんでした。貴女だから言えるんですよ。

貴女達のような家族に憧れますよ。同じ様になれたらと思うんですが・・・無理でしょうね。父とは考えが違い過ぎて理解できないことが多いんです。

あの人はあまり深く考えずに思うように行動するので…いつも困ってしまうんです。僕が言うのもなんですが悪い人ではないんですけれどね。」


「分かります。チャールズ様はとても正直でいい方だと思います。」

グレイスのその言葉にエドワードは少しほっとした様子だった。


「・・・その・・・父が貴女に何か気に障るような事を言ったかもしれませんが…気にしないで下さい。」


グレイスは何のことを言っているのか分からなかったが、この前彼の屋敷を訪れた時のことをすぐに思い出した。


「・・・いいえ、そんなことありませんわ。私の方こそ・・・緊張してしまって上手く話せなくてお気を悪くされたのではないかと。」


「いや、貴女に非は絶対にないと思います。父は時折乱暴な考え方をするんです。自分の解釈で勝手なことを言うんです。あの人の言ったことは忘れて頂いて結構ですから。」


エドワードはグレイスを慮ってそう言ってくれるのだろう。


「チャールズ様はエドワード様の事を気にかけてらっしゃるだけですわ。」


あの後グレイスは何度もチャールズの言った事を思い返した。彼は父親として当然のことを言っただけだと思う。



いつの間にかアダム達が近付いてきていてた。

ずっと走り回っていたので皆肩で息をしている。存分に遊んだようだ。そろそろ帰ろうという話になる。



帰り道グレイスはずっと充足感に浸っていた。エドワードの恩に少しでも報いることが出来たのだ。

彼女はこれでもう思い残すことはないと思った。

読んで下さって有難うございます。

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