36.彼の不安
数日後
書斎で本を読んでいたチャールズが顔を上げると、息子のエドワードが立っていた。
いつの間に入ってきたのか分からないが、珍しいことだと思った。
見た目はよく似ている親子だが、性格が異なる二人は好む生活様式も違っていた。起床・食事・就寝などの時間帯が噛み合わないので共に暮らしているにも関わらず日頃顔を合わせることがあまりない。必然的に会話も少なくなる。特に息子から話しかけることはほとんどない。あったとしてもたいていは領地や屋敷の管理などに関する事務的な連絡だった。よく見るとエドワードは書類らしきものを手にしていた。おそらくそれもその類いなのだろう。午後の読書のひとときをわざわざ壊しにくるとは無粋な男だと思いながらチャールズは差し出されたそれを受け取った。
「先日グレイスから父上に返すように頼まれました。」
意外な名前が出てきてチャールズは驚いたが、中身を確認して思い出した。以前屋敷に来たグレイスに自分が渡したものだった。礼状らしき手紙も添えてある。
チャールズは顔を顰めた。
「これはおかしなことだ。私は貸すと言った覚えはない。差し上げると言ったのだ。」
「もう必要のないものだからでしょう。」
「ということは、もう出来上がったということか…。見せてみろ。」
「は?」
「彼女はこの絵を参考に刺繍をしすると言っていた。完成した物はお前に贈るつもりだとも言っていた。もう受け取ったのだろう?私は協力したんだ。完成品を見る資格はあると思うぞ。」
チャールズは自信満々で詰め寄った。
「・・・。今は持っていませんのでお見せできません。」
「なら持ってこい。」
「・・・。また後でお持ちします。」
エドワードは渋々といった表情でそう言った。
チャールズは少なからず驚いた。息子は必ず拒否すると思っていたからだ。
エドワードは成人してからというもの父親の言うことに素直に従うことはほとんどなかった。特に個人的なことについては拒絶反応しか示さない。
どういった心境の変化があったのか知らないが、なかなか好ましい事だった。
「で、グレイスと何を話したんです?」
さらっと言ったようでいてエドワードの目は真剣そのものだった。
チャールズは息子がここに来た理由が結局それを探るためなのだと確信する。
「何をと言われてもお客様に挨拶をした程度だよ。あまり時間も無かったしね。」
「本当に?」
「何を疑っているんだ。そんなに気になるなら彼女に直接聞けばいいだろう。まぁ、彼女ならあまり言いたがらないかもしれないが。」
「それはどういう意味ですか?」
「お前との結婚の話を匂わせたら彼女はひどく狼狽えて否定した。」
「なっ!?何を勝手なことをっ!」
「本当のことだろう?仲良くやっているらしいじゃないか。私の耳に入ってこないとでも思っているのか?まさか一時的なお遊びなのか?お前達二人にはそんな芸当が出来るとも思えないが。」
「そ、それは・・・まだ先のことは分かりません。こういうことには順序というものがあって少しづつ・・・」
エドワードが言い終わらない内にチャールズが失笑した。
「ふっ、家同士での謀ならいざ知らず、自由にさせてやっているのに何を悠長なことをやっているんだ。時間が無限にあるとでも思っているのか。気持ちがあるなら早く先へ進むのが当然のことだろう。」
「何も知らないのに勝手なことを言わないで下さい。」
「それはお前が私に何も話そうとしないからだろう。」
「父上には分かって頂けないと思ったからです。皆が皆、ご自分のように思ったことを言ったりしたり傍若無人に振る舞える訳ではないのですよ。早ければいいという訳でもない。グレイスは何よりも周りのことを思いやって行動しているんです。思慮深さや繊細さが彼女の素晴らしい所です。そのせいで少し遠回りになることもあるかもしれませんが、僕はそれに付き合いたい。今はそれで充分なんです。」
エドワードが懸命に述べる様子をチャールズは頬杖をついて眺めていた。
「お前見かけによらず案外純粋なのだな。」
「ふざけないで下さい。そういう父上も・・・」
エドワードは言いかけて口を噤む。
「とにかく、グレイスとのことは放っておいて頂けませんか?今後彼女に余計なことは言わないで下さい。」
「そうしたいのは山々だが、そうもいかん。お前は時々私が父親だということ忘れているみたいだな。親は子供に関わる権利があるんだぞ。気になることは言わせてもらう。いい刺激にもなるだろう。」
「やめて下さい。僕達の問題なんですから。」
「傍観者の方がよく分かることもあるんだぞ。
お前本当はグレイス嬢に嫌がられているのではないか?」
「そんなことはありません。」
父親だとしてもあまりに失礼な発言にエドワードは憮然として言い返した。
「何故そう言える?」
チャールズは至極真面目な顔をしていた。
エドワードは即答出来ない自分に気付き怯んだ。
「それくらいは・・・分かります。」
「はっ、分かる?お前はいつの間に人の心が読めるようになったんだ。その様子じゃ互いの気持ちの確認さえしていないのだろうな。
お前自分が容姿や身分が人より少し良いからといって誰にでも好かれると思っていたら大間違いだぞ。人の好みなど千差万別だ。何が心に引っかかるか分からない。グレイス嬢を惹きつけられるような魅力をお前は持っているのか?
好いた男との結婚話を否定する女性が何処にいる?よく考えてみろ。好いた男の父親から貰ったものを突き返すなんて有得るのか?」
チャールズはエドワードが一番触れて欲しくない場所に矢を放ってきた。
◇◇◇
自室に戻ったエドワードは一人考え込んでいた。
何も反論が出来なかった。
いつもなら適当なことばかり言う父親に対してただ無視するか、嫌味も込めて慇懃無礼に返してやるかのどちらかだった。
悔しいことにチャールズが発言は的を射ていた。それだけに頭から離れない。
確かにエドワードは様々な点において人より恵まれていた。
それ故に幼い頃から嫌というくらいにもて囃されてきた。
会う人は皆手を広げて迎え入れてくれる。邪険にされることはほぼ無かったし、声をかければ大体の人が頷いてくれる。特に異性に関してはそうだった。
だからといって自惚れたつもりは一度もない。
それどころか人から向けられる好意に辟易していた。自分に群がる人々は皆揃って同じ事を同じ言葉で褒めそやす。虚しさが募るだけだった。
そう感じることがどれだけ贅沢なことかも分かっているのでどこにも不満を漏らせない。
「天が二物も三物も与えた人物」などど言われてもエドワードには褒め言葉には聞こえなかった。
つまり天から貰った物しか自分にはないということだ。自ら築き上げたものは何もないと言われているように聞こえるのだ。
人が指摘する自分の長所は価値あるものではないと、エドワードは心のどこかで感じていた。
でも結局は自惚れていたのだ。容姿や身分を自信の糧にしていたのだ。
だから頼まれたわけでもないのに恋人役を引き受けることができたのだ。上手くやれると思えたのだ。
何の根拠もなくグレイスは自分に好意を持ってくれるはずだと思っていた。
考えてみると彼女が容姿や身分を重要視するはずがなかった。
エドワードの長所だとされるものが彼女にとって有効に働くわけではない。
今の状況をすぐに進展させるつもりがないのは、グレイスの控えめな性格を考えてではなく、自分が彼女に好かれている自信が持てないからなのかもしれない。
エドワードがグレイスに魅かれる理由に釣り合うだけのものが果たして自分にあるのだろうか。
例えばルイスならその卓越した画力と感性で作品を描きあげる才能がある。そんなものが自分にあるだろうか。
グレイスと交わした会話や視線、共に過ごした時間など思い返せば彼女との繋がりは十分に特別なものだと感じる。
けれどそれに確証はない。
自分達の関係はとても脆いものなのかもしれない。
一抹の不安が心を過ぎる。
彼女とじっくり話す機会が最近ないことが不安に拍車をかけた。グレイスを誘ってもいつも何かの用事があって断られてしまう。
エドワードは悩んだ末、奥の手を使うことに決めた。
読んで下さって有難うございます。




