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33.彼女の絵

エドワードはアトリエに向かっていた。

気が付けば足早になってしまう自分を制しゆっくり歩く。慌てている姿を使用人に見られたくはない。


分かっている。どうせからかわれているだけだ。

エドワードが嫌がる事をするのが大好きな絵描きの魂胆は読めている。つまらない事で発憤すれば彼をただ喜ばすことになってしまう。

エドワードは努めて冷静になろうとしていた。

(別に大したことじゃない、些細な事だ)と自分に言い聞かせる。


アトリエの入口の前に立ったエドワードは一度深呼吸をしてから扉をノックした。

中からは何も反応が無い。

二度もノックをしてやる必要はないと思い、遠慮なく扉を開け中に入る。

アトリエの中に人影は見当たらなかったが、静かな部屋に寝息が響いていた。

部屋の奥にある長椅子に近付くと思った通り部屋の主が横になっていた。別室にちゃんとした寝床が用意されているというのに、この男はあまり綺麗とは言えないこの場所で毛布に包まって寝るのが好きだと言っていた。


叩き起してやりたくなったがその前にエドワードにはやる事があった。

部屋を見回して目当ての物を探す。たとえそれを隠していたとしても部屋をひっくり返してでも探しだすつもりだった。けれどわざわざ探すまでもなくそれらしきキャンバスはすぐ見つけることが出来た。ひとつだけ他の絵とは離れて置いてあったのだ。正面に回り込んで目的の物かどうか確かめる。


エドワードは目を見張った。


絵の中にグレイスがいた。

彼女は膝の辺りに両手を重ね行儀良く椅子に座っている。

少し俯いた横顔の輪郭は柔らかで、前方から射しこむ光によって白い肌と濃い褐色の長い髪が輝いていた。前髪と横髪は緩やかな曲線を描きながら後頭部で束ねられ、後ろ髪と共に背中に流れ落ちている。真直ぐで艶やかな髪だ。

身に纏ったドレスは品の良い淡い色のシンプルなものだった。横に開いた襟元からは鎖骨と肩が覗いており、胸元のすぐ下には切り返しがついていて、そこからふんわりとしたスカート部分がドレープとなって繋がっている。首飾りなどはしておらず小さな髪留めがさり気なく飾られているだけだった。

彼女の目元と口元は微かに微笑んでいて穏やかな空気を醸し出していた。

表情がとてもいい。

その絵はグレイスの人柄をよく表していた。エドワードが彼女に対して抱いている好ましい部分が凝縮されているようだった。

エドワードはいつの間にかその絵に見惚れていた。



しばらくして我に返ると、言い様のない悔しさがだんだんと込み上げてきた。


部屋の奥に行き、長椅子の上で気持ちよさそうに寝息を立てて眠る男の顔を見下ろした。

エドワードは彼の頭の下の枕を一気に引っこ抜いた。


「ルイス!起きろ!」


支えていたものが突然無くなり、彼の頭がガクッと落ちた。

「え!?何?何?」

驚いて目を覚ましたルイスは混乱していた。

「さっさと起きろ!」

エドワードは掴んでいた枕をルイスに投げつけた。

「うわっ。何するんだよ!」


「お前に聞きたいことがある」

「は?」

「あれはなんだ?」

「あれって?」

エドワードはグレイスの絵を指差した。

「あぁ、あれかぁ…なんだって言われても…グレイスの肖像画だよ。見て分からなかったのか?」

ルイスは欠伸をしながらそう答えた。

「そう言う事を言ってるんじゃない。あれをどうやって描いたんだ?」

「えっと…記憶…かな。前に一度会った時の事を思い出しながら描いたんだ」

「嘘をつくな。俺に内緒で勝手に彼女をここへ呼び出したんだろう」

「…あのなぁ、知ってるんだったら聞くなよ。面倒臭いな。どうせ誰かから詳しく聞いてあるんだろ?」

「なんで俺の居ない時にやったんだ?」

「そうやって怒るからに決まってるだろう。そもそもお前が素直に彼女を連れてきてくれれば問題なかったんだ」

「だからって、彼女を騙してまでここに連れ込んで、おまけに絵のモデルなんて…」

「そんな大袈裟な。別にモデルくらいいいだろう。それにグレイスは最初は照れて嫌がっていたけど、結局は貴重な体験が出来たって喜んでたんだぞ」

その様子はエドワードにも想像がつく。それがまた癇に障った。


「…。お前余計なことはしていないだろうな?」

エドワードはルイスを睨んだ。

「余計なことってなんだ?」

ルイスがにやついている。それが一層腹立たしく、エドワードは更に強く彼を睨んだ。

しかしルイスは全く怯む様子が無い。

エドワードは肩を落として追及をするのを諦めた。このままではルイスを面白がらせるだけだ。

それにルイスは馬鹿なことはするが、本当に馬鹿な奴ではない。不本意だがルイスを信じることにした。


「…それで…あの絵はもう完成しているのか?」

エドワードが見る限り完全に仕上がっているように見えたが、それは描き手の意志による。

「あぁ、完成したよ。今は合う額縁を探しているところ」

ルイスは起きぬけのぼさぼさの髪を触りながら、徐にグレイスの絵に近付いていった。絵を両手に持ってじっくりと自分の作品を眺め満足そうに頷く。彼はその絵をエドワードの前に見せびらかすようにして掲げた。

「いい出来だろう?」

自慢げに言ったルイスの顔が本当に憎たらしい。が、認めざるを得ない。

「…ああ」

渋々といった表情でエドワードは返答した。

その絵はグレイスの良い面をちゃんと映し出していた。それが描き手の彼女に対する理解の深さを示すように思えて気に食わない。これを描いたのが自分であったなら良かったのにとエドワードは思う。


エドワードの態度があからさまに憮然としていたのでルイスは声を立てて笑った。

「ははは。気持ちは分かるけどさ、そんなに僻むなよ。俺は画家なんだ。いい絵を描くのが画家の本分だ。お前だっていい絵が見れたら嬉しいだろう?それでいいじゃないか。それに…モデルのいい表情を引きだせたのは前のお陰でもあるんだし、な。」

「俺の?それはどういう意味…」

「いやぁ、それにしてもグレイス嬢はなかなかいい子だねー」

ルイスが改めて絵の中の彼女を見てそう言ったので、エドワードは思わずむっとして彼の手からその絵を奪い取った。

「あっ、返せよ」

「これは没収だ」

「は?勝手に決めるなよ。その絵はグレイスにあげる約束なんだ。残念だったな」

「そうなのか…。なら俺がちゃんと渡しておくから安心しろ。それまで預かっておく」


エドワードはもう用は無いとばかりにアトリエを出て行こうとした。

彼は扉の前で一旦立ち止まりルイスの方を振り返る。


「ルイス、しばらくはお前にうちの馬車は絶対に使わせないからな。出掛けたかったら自分の足を使え」

ラザフォード家は景観のよい静かな場所にあるが、その分街からは離れている。馬車は外出に欠かせない道具だ。エドワードはルイスが日頃息抜きと称して頻繁に街に遊びに行っていることを知っていた。気軽にラザフォード家の馬車を使っていることも。


それが彼のせめてもの仕返しだった。

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