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22.侍女の思い

読み飛ばしていただいても差し支えないと思います。

グレイス付きの侍女リラは近頃ずっと上機嫌だった。

長年心の片隅を陣取っていた心配事がここにきて一気に解消しそうだったからだ。


(年頃を過ぎても浮いた話のひとつもなかったあのお嬢様が、たった数カ月たらずで名家の御子息の心を射止めてしまうなんて!)


リラはまるで自分のことのように喜んでいた。



(まぁ、当然と言えば当然のことなのだけれど)


何もなかった今まで方がおかしかったのだとリラは思っていた。

本当に良い品というものは目立つ所が無くても良識ある人であればその品質は必ず理解できる。だからそれが店頭に並ばなくとも、たとえ倉庫に眠ったままだとしても買い手がつくのは当たり前のことなのだ。

口にしたらまた他の侍女達に「例え方が失礼だ」と叱られそうな事を考えてしまい、リラは慌てて頭の中でかき消した。

リラは思いを言葉で表現するのは苦手だが、彼女が主人を敬愛していることは真実だった。


リラがグレイスの側で仕えるようになって十数年経っていた。

最初こそただ大人しいお嬢様という印象しか持ってはいなかったが、次第に打ち解けて彼女の心根を知るようになると大好きになっていた。グレイスは使用人の自分に対して家族や友達の様に接してくれる。今まで彼女からどれほどの賞賛や励ましや慰めの言葉を貰っただろう。そこには貴族にありがちな偽善的な優しさや単純な同情は一切ない。何事にも親身になってくれるので、ついついグレイスには関係のない愚痴までこぼしてしまう時もある。隣にいるだけで安らぐような不思議な魅力があり、自分まで心優しくなった気がするほどだ。

誰が何と言おうともグレイスはこの国一番の御令嬢であるとリラは心から思っていた。


だから他の貴族の御令嬢方が次々と交際や縁談を成立させている中、我がグレイスお嬢様だけが一人身であることに納得していなかった。世間は何も分かっていないと悔しい気持ちだった。

とはいえグレイスが貴族の出会いの場である社交場に全く出ようとしないのが問題であることはリラもよく承知していた。そしてそれは過去の出来事で深く傷ついた所為であることもよく分かっていた。

懇意にしてもらっているとはいえリラは口出しが出来る立場でも、何かしてあげられる立場でもない。ずっと歯痒い思いをしていた。本来なら両親であるブラウン夫妻が何かしら働きかけてもよさそうなものだったが、彼らは可愛い娘に無理強いするのを良しとしていなかった。それどころかどうやら三姉妹の内一人くらい手元に置いておきたいと考えているようでこの件に関しては全く頼りにならなかった。


唯一の救いは当の本人であるグレイスが一人身であることに何の不満も抱いていないということだった。グレイスは自分の事で多くを望むことは決してしない人だった。周りが平和であれば何も文句はないらしい。それならば一生お側に仕えますという気持ちでリラは日々お世話をしていた。

それは表立っては口に出さないがブラウン家の使用人達は皆考えていたことだった。


だから他ならぬ実の妹のシャーロットが「お姉様を社交場に連れ出したい」と動き始めた時は皆待ってましたとばかりに協力した。シャーロットの熱意は思いのほか強く、グレイスも夜会に頻繁に連れ出されることになった。


リラは髪を結うのが誰よりも得意だったので夜会用の髪結いは全て任された。それまではメアリーやシャーロットが社交場に出る時に頼まれてすることが多かった。しかし肝心のグレイスにそんな機会はなく残念な思いでいたためここぞとばかりに張り切った。飾り立てるわけではなく、控えめなグレイスに一番似合う髪形にする為にあれやこれやと奮闘した。それは楽しくて仕方がない作業だった。

リラは毎回どうか良い出会いが有りますようにと願いながら、グレイスの艶やかな髪に櫛を滑らせていた。


グレイスの夜会巡りの日々がしばらく続いた。

しかし一向にいい知らせは入らない。

思ったよりもずっとグレイスにとって社交場への道は険しいようだった。夜会から戻るといつも少し落ち込んでいる。足を悪くしているからやはり移動や立ち続けることも負担になっているのだろう。グレイスは一生懸命繕ってはいたが、心身ともに疲れていることが見て取れた。

皆がここまでする必要はないのかもしれないと思い始めた時だった。

御者のトーマスが朗報を仕入れてきたのだった。


どうやら良さげな人が現れたらしい。


ブラウン家は一気に湧いた。

リラはおめでとうございます!とグレイスに大きな声をだして抱きついてしまいたかった。

けれど、グレイスはどうやら初めての事で照れているらしい。恥ずかしがるばかりで詳細は何も言ってくれない。奥ゆかしい性格も本当に困ったものだと思ったが、ここで根掘り葉掘り聞いたり余計な事を言って、彼女が尻込みしてしまったら元も子もない。

ただ密かに上手くいきますようにと願うだけだった。


人づてに聞いたところによるとお相手はラザフォード家の御子息だという。貴族社会の隅の隅にいるリラでもその家名は聞き覚えのあるものだった。しかも容姿も知性も兼ね備えているらしい。

最初からいきなりそんな大物では、恋愛初心者のグレイスは気後れして上手くいかないかもしれないと心配だった。競争相手が大勢いるのでは。まさかもて遊ばれているのでは。などといろいろ考えてしまう。

しかしすべて杞憂だった。


シャーロットの話では、お相手のエドワードはなかなか信頼出来る方とのことだった。

邸宅にも招待されたし、夜会へも幾度も行っている。グレイスが寝込んだ時はわざわざ花束まで持って見舞いに来た。体調が戻ったと思ったらすぐに観劇に誘われたらしく、つい先日も街へ一緒に出掛けていた。エドワードがグレイスを気に入っていることは周知の事実だった。


これは間違いないとリラは確信していた。

何より時折見せるグレイスの表情が完全に恋する乙女のものだったからだ。エドワードに会う前の支度を手伝う時などに見ていると、始終はにかんだような笑顔を零していて恋が上手くいっていることを物語っていた。ひょっとするとシャーロットとウィリアムの後に続くのではと思うようになっていた。


(グレイスお嬢様にもこんな日が来るなんて。)

リラは廊下を静かに歩きながら一人しみじみと感慨に浸っていた。


リラはグレイスの部屋の前で止まり、その扉を軽くノックした。

何も反応が無い。

そっと扉を開け中に入る。グレイスは窓際のソファーに腰かけていた。

どうやら刺繍をしている最中だったようだが、手元を見ておらず顔は窓の外に向けられていた。微動だにしない。リラは仕方なくグレイスに歩み寄りもう一度名を呼んだ。グレイスはびくっと肩を震わせこちらに振り向いた。

「お食事の用意ができました。」そう告げると

「え?もうそんな時間なの?すぐ行くわ。」と急ぐ必要はないのだが、少し慌てた様子で刺繍道具を片付けようとする。リラはそれを手伝いながら、グレイスの作品をちらっと覗き見た。もう完成間近と思われるそれは明らかにハンカチで、大きさからすると男性用のものだと分かる。

施された刺繍は何色もの糸が使われており、ひと針がとても細かく手の込んだものだった。丁寧さに込めた気持ちが表れていた。


(今度はちゃんと渡せるといいけれど…)

同じ様な物が何枚かグレイスのお気に入りの小物入れの引き出しにあるのをリラは知っていた。それらは全て最近作られたもので誰も触れることなくそっと仕舞われている。

グレイスは自分が刺繍をした作品を自分で使うことはほとんどない。出来上がるとすぐに誰かにあげてしまう。

この地方では刺繍は女性の嗜みであり、自分の作品を贈ることは親愛の情を示すことになる。

刺繍が凝っている程気持ちが大きいことを表していて、リラも他の侍女たちも残らずグレイスから売り物にも出来そうな作品をいろいろ貰っていた。


しかし妙齢の女性が男性に贈るとなると意味合いが変わってくる。

それは愛情表現なのだ。


仲睦まじくやっているんだからさっさと渡してしまえばいいのにとリラは思う。何を迷うことがあるのだろう。恥ずかしがり屋の主人にもどかしい気持ちでいたが、端で見ていてもグレイスが初めての恋愛事に戸惑っていることはよく分かっていた。


気のせいだろうか。

決して皆の前では見せないが、ふと一人になっている時に何かに悩んでいるような、沈んだ表情になって考え込んでいるような時がある。

やはり恋敵でもいて悩んでいるのかしらとリラは心配になる。

グレイスの性格を考えると恋愛を円滑に進めるには不向きかもしれないと思う。彼女は自分を過小評価し過ぎるところがある。人の為になることは心を尽くすのだが、自分から積極的に何か求めるということをしない。


(余計な事を考えていないといいけれど。)

何か悩んでいるのなら相談してくれたらいいのにと少し寂しい気持ちもあった。

「何も心配しなくていいですよ」と言ってあげたかった。

(だってあんなにお幸せそうなのだから。)


リラがこれまでエドワードとグレイスが二人でいるところを見る機会は少ししかなかった。

それでも伝わってくるものは十分にあった。

そこにはお互いの気持ちが溢れていた。


リラはグレイスの想いが込められたハンカチが早く相手に届きますようにと

心を込めて祈ったのだった。


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