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18.絵描き

その日もとてもよく晴れたので明るい屋敷の中でグレイスはまだ観ていなかった美術品を充分に堪能することが出来た。ついにラザフォード家という大美術館での貴重な体験も終わろうとしていた。グレイスにとってエドワードの丁寧な説明はとても有り難かったし、素直な感想を言うとそれに呼応して彼の意見も聞かせてくれるので楽しかった。至福の時間だった。

最後に立ち寄った部屋で全てを観終わっても名残惜しくて二人はずっと語り合っていた。




「これはこれは。珍しいこともあるものだ。エドワードが笑っているなんて」


振り向くと、その部屋の入口で青年が壁に寄りかかって立っていた。

グレイスは彼の口振りが使用人のものではなかったので、またエドワードの家族なのかとどきっとしたが、少し伸びた髭とぼさぼさの髪の毛がそれを否定していた。


「いつからそこに居た?」


エドワードが眉間に皺を寄せて尋ねた。


「結構前からいたぞ。気付かなかったのか?話に夢中になり過ぎていたんじゃないのか?お陰でいいものが見れた。お二人さんの芸術談義もじっくり聞かせてもらったよ。参考になった、ありがとう」


エドワードの眉間の皺が更に深くなった。


「何しに来たんだ。用がないなら離れで籠っていろ」


「つれないお言葉だ。せっかく出来たての絵を見せにわざわざ持ってきてあげたというのに」


彼は片手に持っていたキャンバスを見せる。額もなく、何かに包まれているわけでもない。扱いが雑だった。キャンバスの端に絵具が付いている。出来たてと言っただけあってまだ乾いていなさそうだった。エドワードは慎重に受け取り、しげしげとその絵を眺める。


「…相変わらず…絵だけは上手いな」


エドワードは何故か悔しそうに感想を述べる。

グレイスも気になってその絵を覗いてみた。

「あっ」

見覚えのある画風に驚いて思わず声を出してしまっていた。

筆のタッチといい色合いといい、あの広間に飾っていた風景画にとても似ている。

もしかして、と思っていると

「あの広間の絵の半分は彼が描いたものですよ」とエドワードが教えてくれた。


「まぁ!では、あ、あの…湖の絵などもあなたがお描きになったのですか?」


「ご存知なんですね。あれは自分でもいい出来だと思っています。お気に召されましたか?」


「ええ。とても。とても感動しました」


そこで諦めたかのようにエドワードが彼を紹介をする。


「グレイス、こちらはラザフォード家専属の画家のルイスだ」


「は…初めまして、私グレイス・ブラウンと申します。私、あなたの絵が…好きです…大好きです。見ているとても心地いい気分になるんです。お会いできて光栄です!」


グレイスは画家に会うのも初めてであったし、大好きな絵を描いた本人に会って興奮していた。


「そんなに喜んで頂けて、僕も嬉しいですよ。そうだ、よければ私のアトリエに来ませんか?」


「え?」


「ここの離れに専用のアトリエがあるんですよ」


エドワードが割って入る。


「あそこは滅多なことでは入らせないんじゃなかったのか?侍女達が掃除も出来ないと文句を言っていたぞ」


「何を言っているんだ、そんなことあるわけないだろう。お客様はいつだって歓迎するよ。僕のことをこんなに気に入ってくれているお客様なら大歓迎だ」


彼は満面の笑みをエドワードに向けた。


「お前のことじゃない。お前が描く絵を気に入っているだけだ」

「同じことだよ」

「全然違う」


グレイスはエドワードの様子がいつもと違うと感じて気にはなったが、突然現れた憧れの絵描きの存在に気を取られてしまいそれどころではなかった。


目の前に立っている画家は、描いた絵を見て想像するイメージとはかなり違っていたが、とても魅力的な人だった。身なりが整っていないし、適当な物言いだが、不快な印象は全くない。伸びた前髪から覗く瞳は人懐っこくて、優しそうな顔立ちだった。


やり取りを聞いている限り、どうやらエドワードと彼はかなり親しい間柄のようだ。

グレイスもスケッチ程度だが、描く事は大好きだった。だから出来る事なら本物の画家の制作現場を是非見てみたい。けれど本当に行ってもいいのか分からず、エドワードの顔を覗き込む。

グレイスの気持ちが伝わったのか、「服が汚れない様に気をつけて下さいよ。」と渋々といった表情で言った。




アトリエに着くと絵具の匂いに包まれた。

キャンバスが壁に何枚も立てかけられて、大きな窓の横にイーゼルと椅子がある。

画材が無造作に机の上に置いてあり、見たことも無い色の絵具がたくさんある。

グレイスはきょろきょろと周りを見渡し、ここで素晴らしい絵が描かれているのかと一人興奮していた。


ルイスは満足そうにそれを眺め、「描いているところを見たくありませんか?」と提案した。

グレイスはぶんぶんと頷く。

「練習というか、気晴らしに描いている絵があるので、それを描いて見せますね。」

グレイスは喜んだ。

ふと気付くとエドワードが隣にいない。少し離れたところに居る。さっきまでずっと傍に居てくれたのにどうしたのだろうと思っていると

「彼は絵心が全くと言っていいほど無いんでね。僕が上手いのが気に食わなくて見ないんですよ」

と嘘か本当かよく分からない事を耳打ちしてきた。


ルイスが持ち出してきたキャンバスには大まかな色がすでについてあって、花の絵らしいことは読み取れた。彼は絵筆で更に細かい色をのせて花を形作っていく。

興味深く見つめていると「あなたも描いてみませんか?」と言われた。

グレイスはそんなの出来るわけがないとぶんぶんと首を横に振ると「これは練習の絵ですから、失敗しても大丈夫ですよ。」と半ば強引に椅子に座らされ筆を渡された。

本物の画家の絵に触ることの緊張で手が震えてしまう。ルイスはグレイスの持つ手に自分の手を重ね、筆先を誘導してくれた。パレットとキャンバスを絵筆が何回か往復したが、グレイスは素敵な絵を自分が壊してしまうような気がして「や…やっぱり、無理です。すみません」と立ちあがる。


「それは残念だ。あぁ、手が汚れてしまいましたね。」

と言い、ルイスはそばに置いてあった布を持ちグレイスの手を丁寧に拭いてくれる。

グレイスは「自分でやります」と言おうとした。

けれどその前にいつの間にかエドワードがすぐ傍に来ていて

「水で濡らした方が早い。用意させますから、あちらに行きましょう」とグレイスをぐいっと引っ張った。




手を洗うグレイスを待ちながらエドワードはルイスに声を小さくして言った。


「お前わざとやっているだろう」


「何のことだ?」


エドワードがルイスを睨む。


「あははは、ごめん。でも、誰かさんの反応が面白過ぎるのが悪いよ。いつもの無表情を崩すのは快感だった。楽しかったよ。ありがとう」


「ふざけるな」


「いやぁ、でも噂の彼女を拝見出来てよかったよ。お前の本当の好みがやっと分かった。意外に俺も気に入った」


また彼は睨んだ。


「はいはい。用が無い邪魔者は大人しく退散しますよ」



◇◇◇



「…もっといろいろなお話を聞いてみたかったです」


ルイスが立ち去った事を告げると、グレイスは残念そうに言った。


エドワードが「……すみません。…あなたが絵描きに会えて嬉しいのは分かりますが…その…彼は、馴れ馴れしいところがあるので…少し…嫌だったんです。」

彼が珍しく目を逸らし気まずそうに言った。


彼が何故謝まるのかグレイスには見当がつかなくて何と言えばいいのか分からない。

二人とも黙ってしまい、なんとなく気まずい空気が流れた。


それに耐えきれなくなったのかエドワードが違う話題を持ち出した。


「…ええと、そうだ。今度舞踏会に一緒に行きませんか?」


「え?」


「そうそう、前から誘おうと思っていたんですよ。王室の舞踏会です。御存知でしょう?賑やか過ぎてあまり行く気にはなれないのに毎年招待されて困っているんです。立場上断る事も出来ないのでね。どうか一緒に行って頂けませんか?」


グレイスは‘王室の舞踏会’と聞いて黙り込む。

王室主催と言うことは会場は間違いなく宮殿だ。グレイスの頭の中で思い出したくない記憶が蘇る。答えあぐねているとそれを察したエドワードが優しく言った。


「あっ、もちろん無理にとは言いませんよ。貴方もああいう場所は好みではないでしょうし…。ああ…すみません、余計な事を言ってしまいました。貴方と行けば少しは楽しくなるかと思ったので…。忘れて下さい。また別の機会に一緒にどこかに行きましょう」


(あぁ、何て優しい方なのだろう。本当に…私と行けば楽しいと思って下さるの?)


(彼となら、エドワードとなら行っても大丈夫かもしれない。

それに…エドワードと一緒に居る機会を逃したくない。)



何よりも優しい彼のお誘いに少しでも応えたい。


「是非、ご一緒させて頂きます」


気がつくとグレイスは精一杯の笑顔でそう返事をしていた。

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