14.恋愛劇
それからの数日間はグレイスにとって少々居心地の悪いものになってしまった。
家族や使用人達が皆それぞれに「私は何も知りませんよー」という顔をしながら様々な方法で近づいてきて、最近どうかとさり気なく尋ねてくるのだ。どうもこうも、特別な事など何も起こってないので、グレイスは仕方なく天気や新しく描き始めた絵の話などをしてお茶を濁すしかなかった。
もちろん彼女も、皆が何を知りたがっているかは分かっていた。ほんの数時間で家中の者が知ることとなったエドワードとの件だ。かつてのメアリーやシャーロットの色恋沙汰は数多く、当たり前のこととして取り立てて騒がれることも無かった。けれどグレイスには今まで一度も浮いた噂が無かったものだから、皆が興味津津なのだ。奥手な彼女がどうやって相手を捕まえたのか、どんな相手なのか、どれだけ進展しているか、皆が知りたがっていた。しかし同時に誰とでも分け隔てなく優しく接していたグレイスは皆からとても慕われていたので、恥ずかしがり屋の彼女に面と向かって不躾な質問はしてこなかった。変な刺激をして恋を終わらせてもいけないと思っているのだろう。皆が皆それとなく、静かに探りを入れてくる。
それはそれでやっかいなことだった。大っぴらにやめてというわけにもいかないからだ。
実は詳細を一番知りたがっていたのはグレイスだった。
あれからエドワードからは何の音沙汰も無く、こちらから何をすればいいかも分からなくて何も出来ないままだった。別に生き死にに関わる問題でもないので、ただの口約束のことなど無かったと事として気にしなければいいだけの話だが、相手がとてもいい人だったのでどうしても考えてしまう。その上周りが無駄にそわそわしているので妙に焦ってしまうし、身の置き所がない。
グレイスは無謀な恋愛劇の主人公に抜擢されてしまった気持ちでいた。演技未経験のド素人の役者だ。台本も無しにアドリブで何かを演じられるわけが無かった。しかもこの劇がちゃんと開演しているのかもよく分からない。相手役がちゃんと出演してくれるのかも分からない。ただ観客だけがぞろぞろと入って客席で騒いでいる状態だ。
項垂れていると弟が大人達の会話を仕入れてきて、わざわざ報告してくれる。
「みんなグレイスが心配なんだって。レンアイに慣れてないから上手にやれるかキガカリなんだって。」
当たっているだけにがくっとなる。偽りの恋愛でさえすでにしょっぱなから躓いているのだから。
何の行動も起すことが出来ずに日々が過ぎていく。
グレイスのあたふたする気持ちも周りのそわそわする気持ちも全て無意味なものかもしれない。
一度の口約束にただただ翻弄されているところへ、また一通の招待状が届けられた。
それはシャーロットの親しい友人からだった。社交界に引っ張りだこの彼女にはよくあることだ。グレイスも誘われて行くことになった。内心とてもがっかりしていた。招待状を開けるまではもしやエドワードがまた誘ってくれたのではないかと期待していたからだ。
シャーロットが彼を誘えばいいと提案してくれる。
そうか、こちらから誘ってもいいのか。グレイスには考えが及ばなかったことだった。
手紙で誘ってみようか、でもそんなことをしてもいいものか?あの夜の契約は冗談かもしれないのに、困らせることにならないだろうか。
悩んで悩んで、結局何もできないまま夜会へ行くことになったのだった。
◇◇◇
今夜もウィリアムが一緒だった。
一人で佇むグレイスを前にした彼の顔には「あれ、噂の彼は一緒ではないのですか?」と書いてあった。
いつも夜会は億劫だな苦手だなと感じていたが、今夜ほどやる気のない夜は無かった。
ただでさえあまり自然に笑えないのに、今は気持ちが沈んでいて尚更だった。だからシャーロットとウィリアムの邪魔だけはしないようにと少し距離をとる。しばらく一人で佇んでいると突然後方から声を掛けられた。
「あ、やっぱり来ていたんですね。探しましたよ。」
振り向くと、エドワードがいた。
(この方は私を驚かせるのが本当に上手だわ。)
鼓動が早くなるのを感じた。
「あ・・・あのどうして・・・」
グレイスはどうしてここにいるのかと問いかけようとしてやめた。それはきっと愚問だ。彼は名家の御子息だ。交友関係も広いだろうからグレイスとは違い招待されることなど日常茶飯事なのだろう。
「私の家の者は何かと招待を受ける事が多いんですよ。」
やはりそうなのかと納得しつつ、グレイスは今夜ここに来て良かったと思っていた。
彼が目の前にいると言う事だけで、心が喜んでいて最近の自分の中のざわついた気持ちが一掃された様な気がした。
「まぁおざなりの招待なのでいつもなら来ることはないんですが。貴方が来ると思って・・・」
「え?」
「ここの娘さんと君の妹さんは仲が良くて有名だから、あなたもきっといると思ったんです。正解でしたね。会いたいと思っていたから調度良かったですよ。」
グレイスはこの再会が偶然ではなかった事に驚いた。
そして他意はなくても会いたかったという言葉だけでドキドキしてしまうのを感じていた。
「・・私もお会いしたかったです。あの・・・」
契約のことを聞こうとした。
覚えていないかもしれない、冗談だったのかもしれない。けれどはっきりさせなくては精神的にもたない。
「・・あの・・。」
改めて口に出そうとすると、契約なんて自分でも滑稽過ぎていることに気付いてしまう。どう考えたって冗談だろう。あんな事本気にする方がおかしいだろう。分かっている。分かっているのに、すべて否定されてしまったらと思うと怖かった。
「連絡を取らなくて申し訳ありません。いろいろ考えていたんです。急ぎすぎても不自然でしょう?でも妹さんが年明けに結婚なら、速めに進めた方がいいのかもしれないですよ。とりあえず紹介して貰いたくて今夜来てみたんですが、どうでしょう?」
「え?」
グレイスは言われた事がすぐに呑み込めなかった。
「あ・・あの、それって・・・つまり・・その・・」
「前もって手紙でも出しておけば良かったとは思うんですが、貴方から何かあったら嬉しいなって期待して待っていたんです。良く考えたらそれは少し無理な話ですよね。」
「・・・す、すみません。」
グレイスだって真意を尋ねようと何度も何度も手紙を書こうとした。しかしいざ送るとなると不安になって全て破ってしまっていた。
「あ、いや、謝らないで下さい。半信半疑だったんでしょう?仕方ないですよ。こちらが悪いです。よく分からない男から突然おかしな契約を提案されたんだから怪しいと思うのは当然です。」
「そんなこと!・・・思ってません。親切な方だと・・・。」
「はは、それはそれで危険ですよ。騙されやすいってことです。」
そんな事は思ってもみなかったので目を丸くしていると。
「まぁ、こっちの素性はバレているわけだから騙されたと思ったらすぐ僕が酷い奴だったって言いふらして構いませんよ。」
そんな事を言われてグレイスはなんだか悲しくなる。
「・・・・。」
思わず俯いて黙ってしまう。
「ご、ごめんなさい。今のは冗談です。ちゃんとやるつもりです。妹さんが姉思いだってことも、あなたが妹さんを安心させてあげたいと思っていることもちゃんと分かっていますよ。協力します。信じてもらうしかありませんが、悪い様にはしませんから。」
真剣な顔でそう言ってくれる。
「要は君と僕が仲良くしていればいいわけですよね?それなら簡単そうです。」
「ほ・・・本当にいいんですか?私の・・・こ・・こい・・・。」
口にしようとするだけで赤くなってしまいそうで言い淀んでいると、それを助けるかのようにエドワードがはっきりと言った。
「恋人役を引き受けましょう。」
「・・・・。」
グレイスはまだ躊躇っていた。人の良さに付け込んで、こんなこと頼んでいいはずがない。きっと迷惑をかけてしまう。
「任せて下さい。」
穏やかな笑顔が、グレイスの背中をそっと押した。
「あ、、ありがとうございます。本当にありがとうございます。」
常識的に考えたら断らなくてはいけない。けれど、親切が嬉しくて、また彼と会う機会が増えるかも知れないことが嬉しくて、何度も頷きながらお礼を言ってしまっていた。
「あっ、あそこに居るのが妹さんですよね?」
そう言うと、エドワードはグレイスを連れてシャーロットに近付いて行った。
妹に話しかけるのがこんなに緊張するなんて・・・。
どうしよう、どうしようとあたふたしていると、シャーロットが先にこちらに気付いた。その大きな瞳が一瞬更に大きくなる。
「グレイスお姉様・・・・、その方はひょっとして・・例の・・。」
「え・・・ええ、あのね・・彼は・・・」
まごまごしているグレイスを助けるように、エドワードが自己紹介をする。
「エドワード・フォン・ラザフォードと申します。グレイスとは先日の夜会で知り合いまして仲良くさせて頂いています。どうぞお見知りおき下さい。」
一瞬間があいた。
「は、初めまして。シャーロット・ブラウンと申します。姉がお世話になっているようで、ずっとお会いしたかったですわ。」
ウィリアムも「あぁこれが噂の・・・」という顔をしながら自己紹介をしている。
グレイスは自分を中心に挨拶が交わされている光景を他人事のように眺めていた。自分が妹の知り合いに紹介されることは数え切れないほどあったが、逆はほとんどなかったのだ。
他の人も加わって会話が進んでゆく。
エドワードもシャーロットに負けず劣らず助け船を出してくれるので、とても話しやすい。何より傍に居てくれるのが嬉しいので、気持ちも明るくなり自然と笑顔になってしまう。いつもよりずっとずっと楽だった。
一息ついていると、いつの間にか彼が見当たらなくなっていた。
ウィリアムはすぐそこにいるのに妹の姿もない。
それぞれが別行動とるのもおかしなことではないから、特に気にせずに、弟の為のお菓子を選ぼうとテーブルまで行ってみた。珍しい包みの飴玉があったので、手にとって眺めてみる。ふと周りを見ると、他の人からは死角になっている廊下の奥の方に見覚えのある人影が見えた。
エドワードとシャーロットだった。
一瞬どきっとなる。
何かを真剣に話しているようだ。
胸に小さな針が刺さる。二人が美男美女でお似合いだったからだ。
目が離せずに立ちつくしていると、シャーロットがすぐにこちらに気付いて笑顔になった。
「あら、お姉様、それアダムにまた持って帰るの?駄目よ、あの子を甘やかしちゃ。みんなから色々貰い過ぎなんだから。」
「ああ、例のお菓子のアダムですね。いいじゃないですか、お菓子くらい。」
二人はもう打ち解けている。喜ばしいことだ。けれどどうしてだろう、少しだけ寂しい気持ちになる。
「手伝いますよ、また籠を用意させましょうか?」
エドワードはすっとグレイスの隣に来て微笑みかけてくれる。
それだけであたたかい気持ちになって安心する。「いいえ、毎回そんな贅沢は出来ませんわ」と微笑み返した。
◇◇◇
「やっぱり人って会ってちゃんと話をしてみないとよく分からないよな。」
ウィリアムはシャーロットに話し掛けた。
夜会も終わり二人はウィリアムの馬車で帰るところだった。行きはグレイスも同乗していたのだが、帰りはエドワードが自分の馬車で送ると言い出したのでお任せしておいた。
「どういうこと?」
「いや、エドワードがさ、思ったよりずっと気さくな人だったから驚いているんだ。今まで会釈ぐらいしかしたことがなかったけど、近寄り難い印象があったんだ。でも、全然違うことがよく分かったよ。お父上が華やか過ぎるから比べてしまって、余計に堅く見えていたのかもなぁ。」
「ええ。そうかもしれないわね。」
「でも、良かったね。お嬢さん。」
「え?」
「二人ともいい感じだったじゃないか。君の努力がやっと実ったってわけだ。」
「ふふ、そうね。あんな風に嬉しそうなお姉様を見るのは初めてよ。」
「初々しくてこちらの方が照れてしまったよ。僕もグレイスが好きだし、未来の義姉が幸せになるのは大歓迎だ。何より君が喜んでいるのが嬉しいよ。」
「今まで我が儘ばかり言ってごめんなさいね。」
「その話はもういいよ。エドワードもいい人そうだったし、上手くいくといいね。あの容姿と身分じゃ敵も多そうだけど。」
「きっと大丈夫よ。」
「えらく自信あり気だね。」
「まあね。」
「で、何が言いたいんだい?」
「え?」
「さっきから、僕に何か言いたいことがあるみたいだから。」
「あ、・・・ええ。そうなの。よく分かったわね。・・・・大したことではないのだけれど・・・」
「何でも聞くよ。言ってみてごらん。」
「・・・実はエドワードの事なんだけど、私ずっと前から彼の事を知っているの。」
◇◇◇
「そんなに堅くならないで下さい。何もしませんから。」
「え?あ・・あぁ・・・はい。・・・・へ?」
二人っきりの馬車の中でグレイスは固まっていた。
気を紛らわそうと手をしきりに動かしていたので膝に置いたお土産のお菓子が潰れそうになっている。
「結局あまり持って帰れませんでしたね。シャーロット嬢は弟さんに厳しいようだ。」
シャーロットの強い反対にあって、お菓子はほんの少ししか持って帰れなかった。
「ええ、少し。シャーロットは弟を自分の様に我が儘になってほしくないっていつも言っているんです。
妹と弟は似ているので余計に厳しくしたくなるみたいで・・・。本当にそっくりなんですよ。顔もそうなんですが苦手なことまでも同じなんです。二人に読み書きを教えたのは私なんですが、二人とも読みが苦手で同じところを同じ様に間違うのでいつも笑ってしまうんです。」
妹と弟の話を振られてとグレイスも自然と雄弁になる。エドワードも笑って聞いてくれる。
いろいろ家族の事を話しているといつの間にかくつろいでいた。
「ところで来週お暇な日はありませんか?」
「え?」
「僕の家にまた来ませんか?」
「ええ!?」
「前にもっと明るい時に絵を見たいっておっしゃっていたでしょう?昼間に来て下さったらよく見えますよ。」
確かに夜会の時は暗くて素敵な絵がぼんやりとしか分からないので本当に悔しくて、何度も口に出してしまっていた。
「でもご迷惑じゃないですか?」
「絵を見に来るくらい何の問題もないですよ。」
「私の事をご家族が知ったらお困りになるのでは?」
変な虫がついたと嫌がられるのではないか。
「?まさか、そんなわけないですよ。僕の家の者は皆自由に行動するので気にもとめないかもしれません。」
気のせいだろうか、少し寂しげな顔になった。
「それに、見ていない絵がまだあるでしょう?ゆっくり見れますよ。僕が案内するのでどうですか?」
なんて魅力的なお誘いだろうか。またあの夢の空間に行けるなんて。
でも本当に行ってもいいものかどうか・・・。
「行きたいって顔に書いてありますよ。ほら遠慮しないで。」
「・・・はい。是非行きたいです。よろしくお願いします。」
「決まりですね。」
こうしてグレイスの恋愛劇は無事開演したのだった。




