6話
「あ、の……先生相手は平気、というか。お仕事なので……」
何と答えていいか分からず、仕事という言葉で逃げ道を作ってしまった。
「ふうん、仕事ね……」
私は、下を向いたまま答えたから、先生の声色からは表情は分からない。
「糸谷が、仕事に責任を持ってやりたいのは分かった……仕事っていうなら。俺の言う通りやってもらうけど、本当にいいの?」
ここで、顔を上げて先生の顔を真正面から見つめた。
「は、はい!やります、やらせてください!」
先生は溜め息をついた。
「分かった。じゃあ……また逃げるなよ?」
先生は、逃げるなよ?で蕩けるような天使の微笑みを浮かべた。
もし、先生に好意を持っているなら、蕩けるように見えただろう。
でも、私には悪寒が走る、麗しい悪魔の微笑みにしか見えなかった。
「よし……俺の家に戻ってわんこ置いたら、今日は家まで送っていくから」
「え、でも、まだ仕事……」
「あのねえ、さっき怖い思いしたよな。俺が行かなかったらどんなことされてたか。だから、俺の言う事聞いて大人しく家に帰るの。分かった?返事」
「は、はいっ!」
反射的に返事をしてしまった。
「じゃあ、いくよ。ほら、手だして」
先生が手を伸ばしてきた。
「え、何ですかその手」
「あ?わっかんないの?こうすんの」
私の手を先生が持ち上げたと思ったら、ぎゅっと指を絡めてきた。
「さっき震えてたから……仕方なくだからな」
「そ、そんな事は……ありがとうございます」
「ん、行こう、か?」
綾野先生は、私の手を家まで繋いでくれてた。
震えは落ち着いたけど、今度は手のひらが緊張で汗をかく。
綾野先生のマンションに着いた時に繋いだ手を離された。
「私の手、汗かいてベタベタにしてすみません……」
私は思わず謝った。
「そんなに気にするな。むしろ、俺の方が――」
「俺の方が、なんです?」
「――なんでもない、ほら行くよ」
綾野先生は、スタスタと部屋に向かう。
慌てて追いかけた。
部屋の前に着いて、先生がドアを開けようとしたら、ガチャリと音がして中からドアが開く。
「お帰り!」
とても綺麗な女性が笑顔で先生を出迎える。
「サク、待ってたわ!」
女性は先生に抱きつき、頬にキスをした。そして、わんこを抱き上げた。
「わんこもお帰り!……あら、お客様?どうぞ~中に入って」
そして私に気付いて、にこりと笑いかける。
先生は「糸谷、入れ」と言って、さっさと入っていった。
その女性の行動を見て、何故か分からないけど、足元がぐらつくような感覚と胸にズキンとした痛みが走る。
――挨拶はしないと。
「は、初めまして。私は糸谷といいます。その、綾野先生担当の編集で……」
「ああ!サクの担当の、もう少し年上の方かと思ったわ」
「私は新人でして、宮古先輩と2人で綾野先生を支えて行けたらと思っております。今回、私は初めての担当になります……」
「そうだったのね。糸谷、んん~、糸谷さん?……差し支えなければ下のお名前は?」
「すみません、私、糸谷桜と申します。よろしくお願いいたします」
私はぺこりとお辞儀をした。
「あ!あなたがあの、さくら――んん!!」
「姉貴、うるさい――!」
先生が女性の口を後ろから手で塞いでいた。
「え、姉貴って、先生の、お姉さんですか?」
「ひどいわ、サク!たった一人の姉じゃないの。あ、姉貴じゃなく、お姉様と言ってよ。お行儀が悪いわ」
「はいはい、姉さんでいいだろ?」
「もう、仕方ないわね。桜ちゃんの前だから、我慢してあげる。そ・れ・で~」
綾野先生のお姉様は、私の方を振り向きにこにことしながら聞いてきた。
それより、あのさくら、って言いかけてなかった?
「ところで、桜ちゃんとサクは、いつからお付き合いを?」
「は?」
「え?」
「またまた、2人とも~指を絡めて恋人繋ぎで帰って来たじゃない!」
ニヤニヤしながらお姉様が聞いてくる。
「あんた、どこで見てたんだ!?」
「ちちちち、違いますよ!!」
真っ青になる先生と、真っ赤になる私。
「え、マンション前でよ。丁度マンションに着いたら、女の子と手を繋いでたから。マンション前で話して、そこでお別れかなと思ったんだけど……お部屋に連れ込……ん~ん~!!」
「だまってくれ!」
先生は今度は真っ赤になってお姉様の口を塞いでいる。
私は事情を説明した。
「あらら、そういう経緯だったのね。桜ちゃん怖かったわね」
先生のお姉様。詩織さんはポンポンと頭を撫でて、背中をさすって慰めてくれる。
「うう、あのおじさん、私気持ち悪くて……」
「そうよねえ、怖かったわよね」
私をぎゅっと優しく抱き締めた詩織さん、良い香りがする。
先生は複雑そうな表情で私達を見ていた。
落ち着いたところで、私は疑問を抱いた事について聞いてみた。
「詩織さんは私の事知ってらしたんですか?」
「あ~そうねえ……」
ちらりと先生の方を見た。
「俺が大学の時に、こういうやつがいるって話してたからだよ」
「ああ、なるほど?って、私は話題にのぼるような変なキャラしてましたか?」
大学時代は地味に過ごしていたつもりなんだけどな。
「桜ちゃん、そういうのではない――」
先生がじろりと詩織さんを睨む。
「それなら良かったです」
ホッとするけど。
じゃあ、どんな話題だったんだろう。




