20話
「綾野先生……田中先輩と長井先生って」
「今頃?あの先生、俺にしょっちゅう嫉妬して、子供っぽいことするの。全部田中さん絡みだよ」
そうなんだ、あの二人。
「これからきっと仲直りの時間だろ」
綾野先生の言葉に、かーっと頬が熱くなる。
――大人、だもんね。
「……さくら。なんか想像した?顔赤いけど」
ニヤニヤと、小学生男子のノリでからかってくる。
そんな言葉を無視しながら、先生の後について部屋に入った。
「はー、疲れた。さくら悪いけどコーヒー入れてくれる?」
「今日は先生宛の手紙やプレゼント持ってきたんですよ。見ておいてください」
綾野先生に頼まれ台所に立つ。
カサカサと、綾野先生が紙袋の中を確認してる音が聞こえる。
その音が止んだ頃、コーヒーを持っていく。
先生は一通の封筒をじーっと見つめていた。
「これ。お前の手紙だろ?」
「何で……分かったんですか?」
何の変哲もない桜色の封筒。
宛名も、『綾野先生へ』だ。
「それは――俺がデビューした時、ファンから貰った手紙と、同じような色の封筒だから」
確かに私は、高校生の時に初めてファンレターを出した。その時から何度も、桜色の封筒を好んで使っている。
でも、綾野先生の小説家デビューは大学の時だと聞いた。
「その封筒、綾野先生に使ったのって、数えるくらいしか――」
「俺、実は高校生の時に別名義で本出してたの」
待って待って――それってまさか。
「さくらなら知ってるよな。名前は――」
先生の口からその名前を聞いた途端、世界から音が消えた気がした。
「私の名前……覚えてたんですか?」
心臓がドクドクと、うるさい。
「大学の時、名前見てお前だってすぐ分かった。よくあるような名前でもないしな」
先生は、私の手紙を大事そうに撫でる。
「ああ……俺の、最初のファンの子だって」
高校生の頃、何気なく手に取った一冊の本。
何気ない日常が、少し色づき始めた。
「私、先生の本好きです……サイン会も行きました」
つい、前のめりになった。
「うん、知ってる。俺、さくらの事を見てたから。大学の時も、ちゃんと分かってた」
あの頃、憧れた作家の先生が目の前にいる。
胸の奥がぎゅっと詰まった。
「さくらも、俺の描いた物語、追ってくれてたんだよな?」
「はい。先生のは全部読みました」
真剣な表情の先生は、私の目を真っ直ぐに見た。
「……さくら。その中に、今の俺も入ってる?」
「当然です!」
食い気味に答える。
「はは、そっか……安心した。これからも、よろしくな」
頬に手を添えられ、親指がゆっくりと撫でる。
ぞくぞくと、背中に震えが走る。
「……先生。それ、くすぐったいです」
先生の顔から、目が離せない。
そっと先生が口を開く。
「さくら。俺、お前がいるから――」
先生は、そこで言葉を止めた。
ほんの一瞬、視線が揺れる。
私がいるから――その先の言葉は?
ブーブーブー――
「「…………」」
携帯の着信音が、空気を壊した。
「……姉貴からだ」
目で促すと、先生は頷いて電話に出た。
「――ああ、分かった。顔見に行くよ。うん、うん」
電話を終えた先生は、ほんの少し視線を逸らした。
「さくら。ちょっと急用が出来たから、付き合ってくれるか?」
眉を下げてお願いされた。
二つ返事で引き受け、タクシーに乗り込む。
「先生、どこにいくんですか?」
「病院なんだ。運転手さん、斗内総合病院までお願いします」
病院って、まさか詩織さんに何かあったの?
下を向いた先生の両手が、固く握りしめられている。
その指先は少し震えていた。
震える手をそっと握りしめる。
「先生、きっと大丈夫ですよ」
「さくら。ありがとう……」
私の手を握り返し、そのまま肩に額を預けてくる。
不安な気持ちで病院に到着した。




