第30話 残るもの
その日は、静かだった。
騒ぎもなく、
緊急の呼び出しもない。
医療局の廊下を歩く足音が、
やけに遠く聞こえる。
アークは、帳簿を閉じた。
今日の報告は、三件。
一件は、成功。
一件は、保留。
一件は——失敗。
失敗の欄には、
短い注釈が添えられている。
判断が遅れた可能性あり
追加介入が必要
名前は、ない。
誰の判断かも、
誰の責任かも、書かれていない。
それが、今の形だった。
処置室の前で、
慎重な青年が立っている。
「……報告です」
「聞く」
「今日は、救えました」
声は、まだ震えている。
だが、逃げてはいない。
「……判断を切るまで、
時間がかかりました」
「それでいい」
アークは、短く答えた。
「切るのが遅かったと感じたなら」
「次は、もっと早くなる」
「もし——」
青年は、言葉を探す。
「もし、間に合わなかったら」
アークは、少し考えた。
「その時は」
「間に合わなかった理由を、残せ」
青年は、頷いた。
それ以上の答えは、ない。
午後、
別の処置室から、低い泣き声が聞こえた。
救えなかった患者の家族だ。
誰も、責めていない。
誰も、怒鳴っていない。
ただ、
現実だけが、そこにあった。
アークは、立ち止まらなかった。
慰める役でも、
説明する役でもない。
今は、
判断が残るかどうかを見る役だ。
夕方、
リーナが並んで歩きながら言った。
「……全部は、残らないわね」
「ああ」
「でも」
彼女は、少しだけ微笑む。
「消えもしない」
窓の外、
王都の空が、ゆっくりと色を変える。
回復魔法は、今日も使われている。
制度も、変わっていない。
だが、
現場の空気は、確実に違った。
誰も、正解を急がない。
誰も、結果だけを掴もうとしない。
判断を、
一度、自分の中に落とす。
それが、当たり前になり始めている。
アークは、灯りを消す。
ここから先、
この医療は、歪むだろう。
誤解され、
利用され、
時には、武器になる。
それでも。
今日、
誰かが救われ、
誰かが迷い、
誰かが立ち止まった。
それだけで、
残す価値はある。
医療は、正しさを残す仕事じゃない。
判断を、残す仕事だ。
それが、
アークが世界に置いていったものだった。
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