第11話 救えなかったもの
三日目だった。
七日の猶予のうち、まだ半分も経っていない。
それでも、町の空気ははっきりと重くなっていた。
診療所に来るのは、軽症ばかりだ。
腰痛、関節の違和感、息切れ。
本来なら重症の影に隠れ、誰にも構われなかった症状。
俺はそれらを、一つずつ診た。
丁寧に、確実に。
——だが、分かっている。
本当に来るべき患者が、来ていない。
「……来ないわね」
リーナが、記録を取りながら小さく言った。
「ああ」
来ない理由も、分かっている。
来させてはいけないからだ。
王都の条件は明確だった。
重症患者の治療は禁止。
町の人間は、それを破れない。
破れば責任を負うのは——俺だ。
昼過ぎ、診療所の扉が静かに開いた。
「……先生」
声は小さかった。
だが、その時点で嫌な予感は確信に変わった。
立っていたのは、町で最も年を取った農夫だった。
背中は曲がり、息は浅く、立っているだけで苦しそうだ。
「……苦しい」
それだけ言って、膝をついた。
——重症だ。
触れなくても分かる。
呼吸が、完全に壊れている。
「……来るなって、言われた」
老人は苦しそうに続ける。
「でも……夜、息ができなくなって」
リーナが俺を見る。
視線が、問いを含んでいる。
——どうする?
答えは分かっている。
だが、それを選べば——
「……座って」
俺はそう言った。
それだけで、リーナの顔色が変わる。
「アーク……」
「触らない」
俺は先に言った。
「診るだけだ」
老人を椅子に座らせ、脈を取る。
弱く、乱れている。
——循環が、限界だ。
ここで手を出せば、助かる可能性はある。
だが、それは“重症治療”だ。
王都の条件を破る。
拳を握る。
頭の中を、いくつもの声が過る。
制度。
町の立場。
リーナの未来。
「……回復魔法は?」
リーナが、かすれた声で聞いた。
「……一度だけ」
リーナは歯を食いしばり、詠唱する。
光が老人を包む。
一瞬、呼吸が楽になる。
だが——すぐに戻る。
「……効かない」
老人の目が、俺を捉えた。
「……先生」
「俺は……もう……」
「喋るな」
俺は低く言った。
——治せる。
——だが、触れれば終わりだ。
選択は、もう決まっている。
「……すまん」
俺は、初めて患者に謝った。
「俺は、今——」
言葉が続かなかった。
老人は、ゆっくり首を振った。
「……いい」
「分かっとる」
その一言が、胸に突き刺さる。
「……若いもんを、頼む」
そして——
老人の呼吸が、止まった。
音が、消えた。
リーナが崩れ落ちる。
「……っ」
俺は、動けなかった。
——触らなかった。
——触らなかったから、死んだ。
それは事実だ。
外で、誰かが泣いている。
責める声はない。
だが、誰も救えなかった。
夜、王都の監視官が来た。
「……死者が出たな」
「ああ」
「君は治療していない」
「条件は守った」
「……それでも、死んだ」
「違う」
俺は、初めて声を荒げた。
「これは——治療を止めた結果だ」
監視官は、何も言わずに去った。
夜。
診療所には、俺しかいなかった。
灯りを落とした室内で、手を見つめる。
何もしていない。
何も、できなかった。
それなのに——
指先が、まだ熱を持っている気がした。
椅子に腰を下ろし、背中を丸める。
額を掌に押し付ける。
……震えている。
気づいた瞬間、少しだけ力を抜いた。
声は出さない。
泣きもしない。
ただ、呼吸が上手くできなかった。
——現代で救えなかった患者。
——今日、救わなかった老人。
同じだ。
何も変わっていない。
それでも。
ここで手を止めたら、
すべてが無駄になる。
深く息を吐く。
震えが、少しだけ収まった。
……まだ、やれる。
翌朝、リーナが言った。
「……続けるの?」
声は低い。
迷いではなく、覚悟の色だった。
「やめない」
俺は答える。
彼女は少し黙り、
それから、はっきり言った。
「……じゃあ、私も逃げない」
視線を逸らさず、続ける。
「あなたのやり方は、危険よ」
「正解じゃない」
「でも——」
一拍置いて。
「何もしないで見送るより、私はこっちを選ぶ」
それは、宣言だった。
俺は静かに頷く。
「……ありがとう」
彼女は、少し困ったように笑った。
「共犯ね」
英雄じゃない。
正解もない。
それでも。
救えなかった命を理由にして、
救える命を見捨てない。
それが、俺の医療だ。
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